特徴等
多田神社の前身は、源満仲が天禄元年(970)にこの地に創建した天台系の大寺院多田院で、満仲の死後、遺命によって満仲・頼光・頼信・頼義・義家の5公を祀る廟所が作られた。江戸時代に入り、寛文7年(1667)に4代将軍徳川家綱により社殿が再建されるなど神社としての色彩が濃くなり、明治維新の時に多田神社と改称、今日に至っている。
随神門は寛文7年(1667)に徳川家綱により建造された社殿の1つで、拝殿の手前に建っている。切妻造、本瓦葺、三間一戸の八脚門で、三楝造と呼ばれる伝統的な手法により建てられており、両脇に築地塀が付く。本殿や拝殿にふさわしい堂々とした門であり、豊岩間戸尊、櫛岩間戸尊の二体の随神像が安置されている。
参考資料:国指定文化財等DB(文化庁)/多田神社HP

3009-3-19
     
     
       
       
多田神社随神門 (撮影:2009-3) 多田神社随神門 (撮影:2009-3)
       
       
       
       
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    兵庫県の重要文化財建造物       2018-2-1 現在
番号・名称 年 代   構造等
134 多田神社
随神門
寛文7年
(1667)
三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺
多田神社随神門 (撮影:2009-3) 多田神社随神門 (撮影:2009-3)