特徴等
正法寺は、建久2年(1191)に、当地に八幡宮幣札使として来住した鎌倉幕府御家人・高田忠国(たかだただくに)により、天台宗の寺として開かれたと伝わり、石清水八幡宮の1kmほど南の八幡清水井に所在している。高田氏は地名にちなんで姓を「志水」と改め、正法寺は志水家の菩提寺となった。近世になって、志水家の娘・お亀の方 (1576-1642) が、伏見城に住んでいた徳川家康公の目に留って側室となり、家康公の第9子、後の尾張徳川家初代・義直公 (1600-1650) を儲けた。その後、当寺は相応院 (お亀の方) の菩提寺となり、尾張藩の厚い庇護を受けてきた。現在の伽藍は相応院の寄進により整備されたもので、御成に備えた形をとっており、寛永7年(1630)建立の唐門、本堂及び大方丈が重要文化財に指定されている。
唐門は、前後唐破風造、側面入母屋とする類例の少ない四脚門で、御成門としての格式の高さを示している。親柱筋の冠木虹梁間に牡丹の透彫彫刻を入れ、桟唐戸の綿板 (わたいた) にも牡丹唐草の浮彫を施すなど装飾性豊かな門である。
参考資料:正法寺案内ブックレット(正法寺刊)/国指定文化財等データベース(文化庁)
2023-4-4
       
       
       
       
正法寺唐門 (撮影:2023-4)
正法寺唐門 (撮影:2023-4) 正法寺唐門 (撮影:2023-4)
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番号・名称 年 代   構造等
543 正法寺唐門 寛永7年(1630) 四脚門、前後唐破風造、側面入母屋、銅板葺、左右袖塀附属
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