特徴等
愛宕念仏寺 (おたぎねんぶつじ) は、奈良時代に聖武天皇の娘の稱徳天皇によって、現在の東山松原通の地に建立された。平安初期に鴨川の洪水で堂宇が流失し、廃寺となったが、天台宗の僧 千観内供 (せんかんないぐ) (918-984) が再興し、等覚山愛宕院と号し、比叡山の末寺となった。大正11年 (1922)に堂宇の保存のために移築され、嵯峨の愛宕念仏寺として再興された。昭和25年(1950)の台風で多大な被害をうけて荒廃したが、仏師西村公朝(1915-2003)が住職となり復興されていった。
現在の本堂は鎌倉中期の建立で、山腹を切り開いた境内に建っている。桁行五間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺で、周囲に縁を廻らした簡素な和様建築である。本尊は厄除け千手観音で、内部の天井は繊細な小組格天井、さらに本尊の位置を二重折上格天井にするなど、鎌倉様式の美しい曲線を今にとどめている。
境内には参拝者の手によって彫られた、1,200躰の石造の羅漢さんが表情豊かに並び、訪れる人を迎えている。
参考資料:愛宕念仏寺リーフレット/国指定文化財等DB(文化庁)
 2023-6-6
       
       
       
       
愛宕念仏寺本堂 (撮影:2023-6) 愛宕念仏寺本堂 (撮影:2023-6)
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番号・名称 年 代   構造等
457 愛宕念仏寺本堂 文保2年
(1318)
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺
愛宕念仏寺本堂 (撮影:2023-6) 愛宕念仏寺 (撮影:2023-6)
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