特徴等 |
大覚寺は、平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室として建立された嵯峨院離宮を前身とし、貞観18年(876年)、嵯峨上皇の長女で淳和天皇の皇后であった正子内親王により、淳和天皇第2皇子の恒寂入道親王を開山として開創された。明治時代初頭まで、代々天皇もしくは皇統の方が門跡
(住職) を務めた門跡寺院であり、「いけばな嵯峨御流」の総司所 (家元) でもある。 宸殿は、桁行20.0m、梁間13.6m、入母屋造、檜皮葺の寝殿造りの建物で、元和5年(1619)の建造になるものである。後水尾天皇に入内 (じゅだい) された徳川2代将軍秀忠の娘、東福門院和子が、女御御殿として使用していたものを天皇より下賜されたものである。妻飾り、破風板、天井などに装飾が凝らされ、前面には見事な蔀戸が設けられている。部屋は5つに分かれ、正面牡丹の間は格式が高く、天井は折上小組格天井になっている。建物の前には御所の名残として、右近の橘、左近の梅が配されている。 参考資料:大覚寺案内リーフレット(大覚寺)/国指定文化財等DB(文化庁) 2023-6-6 |
番号・名称 | 年 代 | 構造等 | |
454 大覚寺宸殿 |
元和5年 (1619) |
桁行20.0m、梁間13.6m、一重、入母屋造、檜皮葺 |
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京都府の重要文化財建造物 2018-2-1 現在 |