特徴等 |
妙心寺は、建武4年(1337)、関山慧玄 (かんざんえげん) (無相大師) を開山に迎え、花園天皇がその離宮を禅寺に改められたこと始まる古刹である。応永6年(1399)の大内義弘の乱の際、足利義満は境地寺産を没収し、妙心寺を竜雲寺と改めたため、一時中絶したが、第六世雪江宗深
(せっこうそうしん) (1408-1486)の時代に細川勝元の支援を受けて復興、武士層の帰依を受けて隆盛した。臨済宗妙心寺派の大本山で、広い山内には三門、仏殿、法堂、方丈等の伽藍が一直線上に並び、周囲に四十六の塔頭寺院が点在している。 衡梅院 (こうばいいん) は妙心寺の塔頭の一つで、妙心寺経蔵の東方に所在している。当院は細川正元(室町幕府管領)により文明12年(1480)に開かれたが、現在の本堂は、慶長9年(1604)大阪夏の陣の豊臣方七人衆の一人、真野蔵人の寄進により再建されたものである。桁行18.9m、梁間11.9m、入母屋造、こけら葺で、西面に庇を付ける。 参考資料:妙心寺HP/国指定文化財等DB(文化庁) 2023-1-12 |
番号・名称 | 年 代 | 構造等 | |
431 衡梅院本堂 | 慶長9年 (1604) |
桁行18.9m、梁間11.9m、一重、入母屋造、西面庇付、こけら葺 |
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京都府の重要文化財建造物 2018-2-1 現在 |