特徴等
妙心寺は、建武4年(1337)、関山慧玄(かんざんえげん)(無相大師)を開山に迎え、花園天皇がその離宮を禅寺に改められたこと始まる古刹である。応永6年(1399)の大内義弘の乱の際、足利義満は境地寺産を没収し、妙心寺を竜雲寺と改めたため、一時中絶したが、第六世雪江宗深(せっこうそうしん)(1408-1486)の時代に細川勝元の支援を受けて復興、武士層の帰依を受けて隆盛した。臨済宗妙心寺派の大本山で、広い山内には三門、仏殿、法堂、方丈等の伽藍が一直線上に並び、周囲に四十六の塔頭寺院が点在している。
庫裏は桁行25.8m、梁間18.0m、切妻造、妻入の大きな建物で、大方丈の西北に南北棟として建っている。大方丈西側の縁の北から廊下を進み、左折すると庫裏に至る。妙心寺の台所で、土間、大庫裏、小庫裏に分かれている。大庫裏に据えられている大竈戸では、一度に何百人もの食事を一度に調理、配膳することができる。小庫裏は普段の生活で使われる竈戸が据えられている。屋根上に二つの大きな煙出しが見える。庫裏に至る廊下が「附(つけたり)」指定されている。
参考資料:妙心寺HP/国指定文化財等DB(文化庁)
2022-12-5

板の間

土間
妙心寺庫裏 (撮影:2023-1) 妙心寺庫裏 (撮影:2023-1)

南妻面

煙出し
妙心寺庫裏 (撮影:2023-1) 妙心寺庫裏 (撮影:2023-1)
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大竈戸

竈戸
妙心寺庫裏 (撮影:2023-1) 妙心寺庫裏 (撮影:2023-1)
番号・名称 年 代   構造等
427 妙心寺庫裡 承応2年
(1653)
桁行25.8m、梁間18.0m、一重、切妻造、妻入、東面、西面、北面庇付、北面及び東面下屋附属、総こけら葺
    京都府の重要文化財建造物         2018-2-1 現在