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特徴等
妙心寺は、建武4年(1337)、関山慧玄(かんざんえげん)(無相大師)を開山に迎え、花園天皇がその離宮を禅寺に改められたこと始まる古刹である。応永6年(1399)の大内義弘の乱の際、足利義満は境地寺産を没収し、妙心寺を竜雲寺と改めたため、一時中絶したが、第六世雪江宗深(せっこうそうしん)(1408-1486)の時代に細川勝元の支援を受けて復興、武士層の帰依を受けて隆盛した。臨済宗妙心寺派の大本山で、広い山内には三門、仏殿、法堂、方丈等の伽藍が一直線上に並び、周囲に四十六の塔頭寺院が点在している。
妙心寺寝堂 (しんどう) は桁行三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺の建物で、法堂から北に延びる廊下の先に建っている。以前は住持の接客に使われていたが、現在は法堂 (はっとう) の控室になっている。東側に玄関棟が建っている。  

参考資料:妙心寺HP/国指定文化財等DB(文化庁)
2023-1-9
妙心寺寝堂 (撮影:2023-1) 妙心寺寝堂 (撮影:2023-1)
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番号・名称 年 代   構造等
426 妙心寺寝堂 明暦2年
(1656)
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺
    京都府の重要文化財建造物         2018-2-1 現在