特徴等 |
安養寺は、延暦年間(782-806)に最澄 (伝教大師) が開創したと伝わり、法然・親鸞両上人念仏発祥の地・吉水草庵 (よしみずそうあん) として有名である。のち、建久年間(1190-1199)に至って慈鎮
(慈円・関白九条兼実の弟) が中興し、安養寺と称した。その後、次第に衰微したが、至徳年間(1384-1387)に国阿 (こくあ) 上人によって再興され、以降、時宗寺院に改まった。 知恩院の南に位置する境内には、もと六阿弥坊があって、いずれも林泉の美と眺望に富む楼閣を構え、遊客に席を供して風流行楽の域となったが、明治維新の際に六坊は廃寺され、また火災にあうなど次第に衰微し、現在は門内境内に阿弥陀堂・書院を、飛地境内 (約50m南方) に弁天堂、慈鎮和尚多宝塔を残すだけである。弁天堂は、慈鎮が叡山から勧請 (かんじょう) したものといわれ、技芸上達祈願の信仰が厚い。 宝塔は、鎌倉後期(1275-1332)造立の石造宝塔で、弁天堂の東北隅に建っている。塔身は壷形で、正面に鳥居型を彫り、その内部を龕 (がん) にして、多宝、釈迦二仏が並座している。傘は大きくむっくりした形で、上部に隅棟 (降棟) を付し、軒は真反りを示す。相輪は六輪で、大様な造りである。 安養寺は古くから山号・慈円山の慈を外して円山として親しまれ、これが円山公園の名称のもとになったといわれている。 参考資料:現地の説明板(京都市ほか)/国指定文化財等DB(文化庁) |
番号・名称 | 年 代 | 構造等 | |
392 安養寺宝塔 |
鎌倉後期(275-1332) |
石造宝塔 |
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京都府の重要文化財建造物 2018-2-1 現在 |