特徴等 |
養源院は、豊臣秀吉の側室・淀殿が父浅井長政の菩提を弔うために文禄3年(1594)に創建した寺院で、三十三間堂の東に寺地を構えている。創建後程なくして火災により焼失したが、元和7年(1621)に淀殿の妹で二代将軍徳川秀忠の正室・お江により再興された。 客殿(本堂)はこの再興時の建物で、桁行22.8m、梁間18.9m、入母屋造、本瓦葺である。西面南端間に東西棟、入母屋造、本瓦葺、軒唐破風付の「奥玄関」を、北面西寄りに南北棟、本瓦葺の「奏者所」を、東北隅に東西棟、入母屋造、桟瓦葺の「内仏壇及び廊下」を接続する。六間取方丈形式の平面をもち、内部は俵屋宗達の筆と伝える襖絵や杉戸絵などで飾られるなど上質な接客空間を備えている。 附指定されている表門は、切妻造、本瓦葺の一間薬医門で、境内西辺の北に設けられている。板蟇股の意匠などから文禄三年創建時に建設され、江戸時代中期に大きく改造されたと考えられている。 参考資料:養源院HP/国指定文化財等データベース(文化庁) 2023-3-21 |
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京都府の重要文化財建造物 2018-2-1 現在 |
番号・名称 | 年 代 | 構造等 | |
377 養源院客殿 |
元和7年 |
桁行22.8m、梁間18.9m、一重、入母屋造、本瓦葺、西面奥玄関、北面奏者所附属、本瓦葺、北東隅内仏壇及び廊下附属、桟瓦葺 |