特徴等
曼殊院(まんしゅいん)は、延暦年間(728-806)、天台宗の宗祖である伝教大師最澄が、鎮護国家の道場として比叡山西塔北谷に創建した東尾坊が始まりとされている。その後幾度か移転があり、明暦2年(1656)に、桂離宮を創始した八条宮智仁親王の第二皇子良尚法親王が入寺し、現在の地 (左京区一乗寺竹ノ内町) に堂宇を移し造営されたのが今日の曼殊院である。曼殊院の瀟洒で軽快な大書院・小書院は、「桂離宮の新御殿」や「西本願寺の黒書院」と並んで数奇屋風書院の代表的な遺構とされている。
書院 (小書院) は桁行10.0m、梁間8.9m、こけら葺、南面寄棟造、北面切妻造で、南面、東面及び西面に庇を付ける。富士の間、黄昏の間の二間からなり、富士の間の襖は狩野探幽筆、欄間は菊を型どったもので、元禄模様の先駆をなすといわれる。黄昏の間は上段の間 (玉座) で、違い棚は曼殊院棚と呼ばれ、約十種の寄せ木をもって作られている。奥に茶室「八窓軒」があり、附指定されている。
参考資料:曼殊院リーフレット/曼殊院HP/国指定文化財等DB(文化庁)
2023-5-1
曼殊院書院 (撮影:2023-4) 曼殊院書院 (撮影:2023-4)
       
       
       
       

曼殊院書院 (撮影:2023-4)
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番号・名称 年 代   構造等
214 曼殊院書院 明暦2年
(1656)
桁行10.0m、梁間8.9m、一重、南面寄棟造、北面切妻造、南面、東面及び西面庇付、こけら葺
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