二条城本丸櫓門 (撮影:2023-1) 二条城本丸櫓門 (撮影:2023-1)
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二条城本丸櫓門 (撮影:2023-1) 二条城本丸櫓門 (撮影:2023-1)
特徴等
二條城は慶長8年(1603)、江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするため築城したものである。その後、寛永のはじめに後水尾天皇の行幸のために大規模な改修が行われ、壮麗な城郭となった。時代は下り、慶応3年(1867)に15代将軍慶喜が二の丸御殿の大広間で「大政奉還」の意思を表明し、日本の歴史が転換していったことは広く知られている。
二条城の中心部となる本丸は二の丸の西にあり、周囲は内堀に囲まれている。内堀には東西二つの橋が架けられ、曲輪の北部に本丸御殿が建ち、南側は庭園になっている。天守閣は東南角の一段高い石垣の上に建っていたが、寛延3年(1750)に落雷により焼失、その後再建されなかった。
本丸櫓門は入母屋造、本瓦葺で、東橋の先に設けられている。寛永3年(1626)頃の建造で、本丸では最古の建物である。当時の橋は2階建で、門内に階段が残っている。重要文化財に附 (つけたり) 指定されている内側の袖塀には、銃眼が設けられている。
扉や開口部は銅板で覆われているが、その緑青 (ろくしょう) と白壁の対比が独特の雰囲気を醸し出していた。
参考資料:二条城案内リーフレット(京都市)/国指定文化財等DB(文化庁)
2023-1-2
       
       
       
       
二条城本丸櫓門 (撮影:2023-1) 二条城本丸櫓門 (撮影:2023-1)
番号・名称 年 代   構造等
176 二条城本丸櫓門 寛永2-3年
(1625-1626)
櫓門、入母屋造、本瓦葺
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    京都府の重要文化財建造物         2018-2-1 現在