特徴等
二條城は慶長8年(1603)、江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするため築城したものである。その後、寛永のはじめに後水尾天皇の行幸のために大規模な改修が行われ、壮麗な城郭となった。時代は下り、慶応3年(1867)に15代将軍慶喜が二の丸御殿の大広間で「大政奉還」の意思を表明し、日本の歴史が転換していったことは広く知られている。
二条城西門は二条城の西外堀に開かれた本瓦葺の埋門 (うずみもん) で、江戸時代には通用門として使われた。天明8年(1788)の大火で周辺の櫓等が焼失し、明治以降には外堀に架かる木橋も失われ、今ではこの西門だけが残っている。石垣に囲まれることから埋門 (うずみもん) と呼ばれるが、西門の場合には上が土塀になっている。 
参考資料:二条城案内リーフレット(京都市)/国指定文化財等DB(文化庁)
2023-1-2
二条城西門 (撮影:2023-1)
二条城西門 (撮影:2022-12) 二条城西門 (撮影:2022-12)
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番号・名称 年 代   構造等
161 二条城西門 慶長7-8年(1602-1603)
及び寛永2-3年(1625-1626)
埋門、本瓦葺
       
       
       
       
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    京都府の重要文化財建造物         2018-2-1 現在