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番号・名称 年 代   構造等
157 二条城南中仕切門 慶長7-8年(1602-1603)
及び寛永2-3年(1625-1626)
一間門、一重、招造庇付、本瓦葺
特徴等
二條城は慶長8年(1603)、江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするため築城したものである。その後、寛永のはじめに後水尾天皇の行幸のために大規模な改修が行われ、壮麗な城郭となった。時代は下り、慶応3年(1867)に15代将軍慶喜が二の丸御殿の大広間で「大政奉還」の意思を表明し、日本の歴史が転換していったことは広く知られている。
南中仕切門は本瓦葺の一間門で、北中仕切門と対になっている。門の両側が石垣の埋門 (うずみもん) で、本丸西櫓門への通路を塞いでいる。屋根は片流れ屋根の上部を折り曲げて反対方向へ流す招造 (まねきづくり) で、庇が付いている。
参考資料:二条城案内リーフレット(京都市)/国指定文化財等DB(文化庁)
2023-1-2
二条城南中仕切門 (撮影:2023-1) 二条城南中仕切門 (撮影:2023-1)
       
       
       
       
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