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番号・名称 年 代   構造等
156 二条城桃山門 慶長7-8年(1602-1603)
及び寛永2-3年(1625-1626)
五間一戸、側面三間、一重、入母屋造、本瓦葺
特徴等
二條城は慶長8年(1603)、江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするため築城したものである。その後、寛永のはじめに後水尾天皇の行幸のために大規模な改修が行われ、壮麗な城郭となった。時代は下り、慶応3年(1867)に15代将軍慶喜が二の丸御殿の大広間で「大政奉還」の意思を表明し、日本の歴史が転換していったことは広く知られている。
桃山門は五間一戸、側面三間、入母屋造、本瓦葺の門で、二の丸と本丸の間の通路の南に、北の鳴子門と対になって設けられている。寛永行幸時の絵図には大きな建物として描かれているが、それを改造して現在の長屋門になったのではないかと考えられている。両脇は門番所になっている。 
参考資料:二条城案内リーフレット(京都市)/国指定文化財等DB(文化庁)
2023-1-2
       
       
       
       

天守閣跡から
二条城桃山門 (撮影:2023-1) 二条城桃山門 (撮影:2023-1)
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