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番号・名称 年 代   構造等
155 二条城東南隅櫓
  北方多門塀
慶長7-8年(1602-1603)
及び寛永2-3年(1625-1626)
延長41.9m、本瓦葺
特徴等
二條城は慶長8年(1603)、江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするため築城したものである。その後、寛永のはじめに後水尾天皇の行幸のために大規模な改修が行われ、壮麗な城郭となった。時代は下り、慶応3年(1867)に15代将軍慶喜が二の丸御殿の大広間で「大政奉還」の意思を表明し、日本の歴史が転換していったことは広く知られている。
東南隅櫓北方多門塀は東南隅櫓と東大手門の間の延長41.9m、本瓦葺の塀である。塀の形態は、犬走りがなく石垣の上にすぐ塀が建つ多門塀で、内側に控柱を設けそれを石柱で固定して強化している。銃眼はないが、大手門南の守りを固めている。

参考資料:二条城案内リーフレット(京都市)/国指定文化財等DB(文化庁)
2023-1-2
二条城東南隅櫓多門塀 (撮影:2023-1)
二条城東南隅櫓多門塀 (撮影:2023-1) 二条城東南隅櫓多門塀 (撮影:2023-1)
       
       
       
       
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