特徴等
同志社は、明治8年(1875)に新島襄により創立された同志社英学校に始まり、当初の教員は創立者の新島襄、宣教師J.D.デイヴィスの2人、生徒は8名であったという。現在の同志社は、幼稚園から大学まで9校を擁し、校地は明治9年(1876)に寺町今出川から移転した京都御所北側の今出川キャンパスのほか、京都の南部・京田辺や大阪府の香里園などにも広がり、創立者新島襄から受け継いだ「キリスト教主義」「自由主義」「国際主義」による「良心の涵養」を教育理念とした教育の場となっている。
今出川キャンパスにある5棟の煉瓦造の建物「有終館」「クラーク記念館」「ハリス理化学館」「礼拝堂」および「彰栄館」は、明治17年(1884)から約10年の間に順次建てられたもので、重要文化財に指定されている。その後大正や昭和初期、近年に建てられた学舎と調和して美しいキャンパス景観を形成し、我が国の大学教育の歩みを今に伝えている。
ハリス理化学館は、煉瓦造、建築面積587.0㎡、桟瓦葺で、高等教育レベルの理科教育機関設立のために寄せられた米国の実業家J.N.ハリスからの寄付により、ハリス理化学校(理工学部の前身)の校舎として建てられた。イギリス人A.N.ハンセルによる設計で、明治23年(1890)に竣工した。現在は同志社の歴史と創立者・新島襄の今に息づく精神を貴重な資料によって紹介する、ハリス理化学館同志社ギャラリーとなっている。

参考資料:同志社大学HP/国指定文化財等DB(文化庁)
2023-5-11
       
       
       
       
番号・名称 年 代   構造等
125 同志社 (旧英学校、神学校及び
波理須理科学校)
ハリス理化学館
明治23年
(1890)
煉瓦造、建築面積587.0㎡、東北隅実験室付、桟瓦葺(階段以外の内装を除く)
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    京都府の重要文化財建造物         2018-2-1 現在
同志社ハリス理化学館 (撮影:2023-5) 同志社ハリス理化学館 (撮影:2023-5)