番号・名称 年 代   構造等
040 大徳寺法堂 寛永13年
(1636)
桁行五間、梁間四間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺
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特徴等
京都市内紫野に広大な境内地を有する臨済宗大徳寺は、元応元年(1319)、宗峰妙超 (しゅうほうみょうちょう) が、播磨の武将赤松則村の援助でこの地に大徳庵を作ったのに始まり、正中元年(1324)、妙超に厚く帰依した花園・後醍醐両天皇から船岡の雲林院の跡地を寄進されたことによって寺基を拡張し、大徳寺として開山した。応仁の乱によって伽藍は一時荒廃したが、文明6年(1474)、一休宗純が入寺して復興に当たった。貴族階級、戦国大名、新興商人等の帰依により、特に茶道の流行がめざましく、禅界において独自の地位を占めてきた。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の菩提を弔うために総見院を建立、戦国武将の塔頭建立が相次ぎ、現在24の塔頭がある。
法堂 (はっとう) は、桁行五間、梁間四間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺の建物で、仏殿の北に建っている。法堂は禅宗寺院において説教・講義が行われる場であり、かっては禅問答が行われた建物である。寛永13年(1636)、小田原城主・稲葉正勝の遺命でその子稲葉正則により再建された。
参考資料:大徳寺大慈院HP/国指定文化財等DB(文化庁)
2022-12-11
大徳寺法堂 (撮影:2023-2) 大徳寺法堂 (撮影:2023-2)
大徳寺法堂 (撮影:2023-2) 大徳寺法堂 (撮影:2023-2)
       
       
       
       
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