特徴等
京都市内紫野に広大な境内地を有する臨済宗大徳寺は、元応元年(1319)、宗峰妙超 (しゅうほうみょうちょう) が、播磨の武将赤松則村の援助でこの地に大徳庵を作ったのに始まり、正中元年(1324)、妙超に厚く帰依した花園・後醍醐両天皇から船岡の雲林院の跡地を寄進されたことによって寺基を拡張し、大徳寺として開山した。応仁の乱によって伽藍は一時荒廃したが、文明6年(1474)、一休宗純が入寺して復興に当たった。貴族階級、戦国大名、新興商人等の帰依により、特に茶道の流行がめざましく、禅界において独自の地位を占めてきた。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の菩提を弔うために総見院を建立、戦国武将の塔頭建立が相次ぎ、現在24の塔頭がある。
仏殿は、桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺の建物で、山門の北に建っている。寛文4年(1664)、京都の豪商・那波常有によって再建されもので、釈迦如来を安置している。毎月1日、15日には僧侶が集まり諷経 (ふぎん) される。拝観した時は修復工事中であった。
参考資料:大徳寺大慈院HP/国指定文化財等DB(文化庁)
2022-12-11


諷経(ふぎん):声を出して経を読むこと。特に、禅宗では仏前の勤行をいう
大徳寺仏殿 (撮影:2023-2) 大徳寺仏殿 (撮影:2023-2)
番号・名称 年 代   構造等
039 大徳寺仏殿

寛文5年
(1665)

桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺、南端木造渡廊 桁行一間、梁間一間、北側廊下 桁行七間、梁間一間、一重、切妻造段違、本瓦葺
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    京都府の重要文化財建造物         2018-2-1 現在