特徴等
三宝院は、下醍醐の入口となっている総門から東に延びる参道 (桜馬場) の北側に位置している。永久3年(1115)に創建され、醍醐寺の歴代座主が居住してその本坊的な存在となってきたが、応仁・文久の乱で荒廃した。その後、秀吉によって催された「醍醐の花見」を契機に、秀吉・秀頼の援助を得て慶長3年(1598)に復興され、その時期に建てられた表書院など7棟と、唐門及び墓地内の宝篋印塔が国宝・重要文化財に指定されている。
三宝院殿堂庫裏は、桁行21.7m、梁間13.8m、入母屋造、桟瓦葺の建物で、勅使の間・秋草の間・葵の間の背後 (北側) に建っている。大屋根を葺き下ろし、正面に唐破風造の車寄が設けられている。慶長3年(1598)に復興された建物の一つである。屋根上に設けられているのは物見台なのであろうか。
参考資料:醍醐寺HP/国指定文化財等DB(文化庁)
2023-4-16

番号・名称 年 代   構造等
030 三宝院殿堂庫裏 慶長3年
(1598)
桁行21.7m、梁間13.8m、一重、入母屋造、桟瓦葺
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三宝院殿堂庫裏 (撮影:2023-4)
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