番号・名称 年 代   構造等
026 三宝院殿堂
   表書院 (国宝)
慶長3年
(1598)
上段十五畳 (床及び棚付) 、十八畳、次の間二十七畳、四面入側、泉殿、車寄より成る、
一重、入母屋造、泉殿切妻造、桟瓦葺、西面車寄唐破風造、檜皮葺
三宝院殿堂表書院 (撮影:2022-12) 三宝院殿堂表書院 (撮影:2022-12)
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三宝院殿堂表書院 (撮影:2022-12) 三宝院殿堂表書院 (撮影:2022-12)
特徴等
三宝院は、下醍醐の入口となっている総門から東に延びる参道 (桜馬場) の北側に位置している。永久3年(1115)に創建され、醍醐寺の歴代座主が居住してその本坊的な存在となってきたが、応仁・文久の乱で荒廃した。その後、秀吉によって催された「醍醐の花見」を契機に、秀吉・秀頼の援助を得て慶長3年(1598)に復興され、その時期に建てられた表書院など7棟と、唐門及び墓地内の宝篋印塔が国宝・重要文化財に指定されている。
三宝院殿堂表書院 (国宝) は勅使の間と純浄観の間に位置し、庭園 (国名勝) に面して建っている。平安時代の寝殿造りの様式を取り入れた建築で、下段・中段・上段の間がある。下段の間は「揚舞台の間」とも呼ばれ、畳をあげると能舞台になる。中段の間、上段の間は下段の間より一段高く、能楽や狂言を高い位置から鑑賞できるようになっている。「上段・中段の間」の襖絵「四季の柳」、「山野の風景」は長谷川等伯一派が、「下段の間」の「孔雀と蘇鉄」は石田幽汀が描いている。慶長3年(1598)に復興された建物の一つである。 
参考資料:醍醐寺HP/国指定文化財等DB(文化庁)
2022-12-11
       
       
       
       
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