特徴等 |
三宝院は、下醍醐の入口となっている総門から東に延びる参道 (桜馬場) の北側に位置している。永久3年(1115)に創建され、醍醐寺の歴代座主が居住してその本坊的な存在となってきたが、応仁・文久の乱で荒廃した。その後、秀吉によって催された「醍醐の花見」を契機に、秀吉・秀頼の援助を得て慶長3年(1598)に復興され、その時期に建てられた表書院など7棟と、唐門及び墓地内の宝篋印塔が国宝・重要文化財に指定されている。 三宝院殿堂勅使の間、秋草の間及び葵の間は、表書院と玄関の間に、東から三室並ぶ形で建っている。勅使の間と秋草の間は入母屋造の建物で、広縁、車寄を付ける。葵の間は両下造で、東側は秋草の間,西側は繋の間に接続している。勅使の間の襖絵は竹林花鳥図で、長谷川等伯一派の桃山時代の作品といわれている。また、秋草の間の襖絵には秋の七草が点在する広々とした風景、葵の間の襖絵には葵祭の風景が描かれている。慶長3年(1598)に復興された建物の一つである。 参考資料:醍醐寺HP/国指定文化財等DB(文化庁) 2022-12-11 |
番号・名称 | 年 代 | 構造等 | |
025 三宝院殿堂勅使 の間、秋草の間 及び葵の間 |
慶長3年 (1598) |
勅使の間十畳(附書院付)、秋草の間十五畳、広縁、車寄より成る、一重、入母屋造、妻正面、桟瓦葺、車寄唐破風造、檜皮葺、葵の間二十畳、一重、両下造、両端秋草の間及び繋の間に接続、桟瓦葺 |
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京都府の重要文化財建造物 2018-2-1 現在 |