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番号・名称 年 代   構造等
396 落柿舎 江戸後期
(1751-1830)

木造平屋建、茅葺一部瓦葺、建築面積58㎡

落柿舎 (撮影:2023-6) 落柿舎 (撮影:2023-6)
落柿舎 (撮影:2023-6) 落柿舎 (撮影:2023-6)
特徴等
落柿舎 (らくししゃ) は、蕉門十哲 (しょうもんじってつ) の一人として名高い向井去来 (むかいきょらい) (1651-1704) の閑居の跡で、嵯峨小倉山の麓に所在している。芭蕉も晩年三度当庵を訪れて「嵯峨日記」を著した。
現在の落柿舎は、蝶夢 (ちょうむ) 門下の井上重厚 (じゅうこう) により、去来の死後、明和7年(1770)に再建されたものである。寄棟造茅葺で、東端を狭い土間とし、床上部は西端南側を四畳半の主室として西面にトコとトコ脇を備え、他は二畳と三畳を配する。数寄屋を基調とする穏やかな佇まいの茅舎で、嵯峨の風情を醸す重要要素となっている。
土間の壁に蓑と笠が架かっている光景は、落柿舎の佇まいとして良く知られているが、これは庵主の在宅を示す印とのことでである。
参考資料:季刊誌「落柿舎」245号/国指定文化財等DB(文化庁)
2023-6-12
       
       
       
       
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