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■ライプニッツ原理とカント原理

 紀貫之の現象学的歌論と藤原定家の論理学的歌論。永井均著『西田幾多郎』に触発されて、今後の作業仮説としてたてたこの二つの歌の世界の関係をめぐって、まずは前段、貫之現象学なるものの考察に着手する運びとなったわけですが、その前に、前章の終わりのところで書いた事柄をあらためて整理し、これに若干の補足と註釈をほどこしておくことにします。永井氏の前著『私・今・そして神』と旧著『ウィトゲンシュタイン入門』を再読しているうち、いくつか思いついたこと、作業開始に先立ってあらかじめ書いておきたいことが浮かんできたからです。(本当は、貫之現象学の世界へと踏み分けていくための「哥の勉強」が遅々として進んでいないから、というのが実情なのですが。)

◎永井氏が、西田哲学における現象学と論理学を区別して、論理学に対する現象学の優位性が、「体験は言葉と独立にそれだけで意味を持ちうる。言葉の意味もまたそういう体験にすぎないのだ」とする西田的確信犯の特質であると書いていたこと。

 西田現象学とは、『善の研究』で「純粋経験」と呼ばれ、後に「場所」と呼ばれることになった概念をめぐるもので、端的にいって、言語以前の(精確には、言語そのものがそこにおいて、あるいはそこから立ち上がる根拠、根源、基盤としての)生の事実、たとえば、その存在が世界の開闢そのものであるところの独在性の〈私〉のあり方にかかわる哲学のことでした。これに対して、西田論理学とは、言語以後の、すなわち一般的な概念の場所や人称構造をもった客観的世界が成立して以後の「現実」の本性、たとえば、世界の中の個物としての単独性の《私》のあり方にかかわる哲学のことです。
 西田論理学において、超越的主語面(いかなる一般概念による規定をも超えた真の個物)と超越的述語面(無限の細部を持ち、過去から現在にいたる現実世界のすべての事実によって成立させられる具体的一般者)との一致、もしくは後者による前者の包摂(判断)を通じて、超越性をもった「唯一の真の個物」(「何ものの一例でもない、ただ端的にそうあるだけ」の《私》)がもたらされるのですが、それは、西田現象学が扱う対象(場所としての〈私〉)には到達できない。私と他人、そのいずれもが《私》である(意識と自己意識が重なっている)が、そのどれが〈私〉なのか(どの私が悲しいときに、世界が悲しいのか)を、西田論理学は区別できない。これが、西田現象学が西田論理学に優位するということの意味です。
 ところで、西田現象学が対象とする世界(非人称的な表現世界=暗に独我論的な世界=開闢の奇跡)と、西田論理学が対象とする世界(人称構造が組み込まれた表現世界=かなり複雑な事情が介在する世界=高度に抽象的な超越概念によって開闢の奇跡が複数化・概念化された世界)は、『私・今・そして神』で永井氏が命名した二つの原理、すなわち「ライプニッツ原理」と「カント原理」にそれぞれ対応しています。
 ここで、ライプニッツ原理とは、「何が起ころうとそれが起こるのは現実世界だ」という原理(=開闢原理)で、一方、カント原理とは、「起こることの内容的なつながりによって何が現実であるかが決まる」というもの(=開闢された世界の内部原理)。また、ライプニッツ原理に強弱二相があって、弱いライプニッツ原理は、カント原理の内部で、カント的に可能なものの中からの選択(そのうち一つの現実化)としてはたらき、強いライプニッツ原理は、カント的な可能性の空間をはじめてつくりだす。
(永井氏は、強いライプニッツ原理は「デカルト原理」と呼ばれるべきかもしれないと書いていますが、私はさらに、もっと強いライプニッツ原理というものがあって、それは「西田原理」と名づけることができるかもしれないと考えています。また、ライプニッツ原理の強弱をめぐる永井氏の議論を逆転させると、ライプニッツ原理の内部ではたらく弱いカント原理と、ライプニッツ的な現実性の空間をはじめてつくりだす強いカント原理の二相が区別でき、さらに、もっと強いカント原理として「ウィトゲンシュタイン原理」なるものを想定することができるかもしれないと考えています。そして、西田原理を貫之現象学に、ウィトゲンシュタイン原理を定家論理学にそれぞれ関連づけてみたい、などと目論んでいるのですが、これらのことは、今のところ単なる思いつきの域をでず、そこに何がしかの意味があるのかないのかは、実地にやってみなければわかりません。)
 西田現象学とライプニッツ原理、西田論理学とカント原理。この二つの補助線を引くことで、今後、西田現象学をよりどころに貫之の現象学的歌論を、さらには、ウィトゲンシュタイン論理学をよりどころに定家の論理学的歌論を考察していく際(とりわけ、前者の考察を行う際)、『私・今・そして神』の議論を自在に輸入できることになります。その利点としては、たったいま丸括弧内に注記した、西田原理とウィトゲンシュタイン原理という対概念の活用をはじめとして、いくつか挙げることができるでしょうが、なかでも最大のものは、(詩的言語ならぬ)私的言語をめぐる永井氏の議論を勝手に使って、貫之現象学や定家論理学の実質を(とりわけ、前者の実質を)精密に描写することができる点に尽きるのではないかと思います。
 たとえば、「私の言語の中にある言語ゲームの中に私の言語がある」、「この言語(私がいま理解する唯一の言語)の誤りえなさが、ライプニッツ原理とカント原理を現につないでいる」、「言語は開闢を隠蔽する。逆に言えば、世界を開く」、等々、いま『私・今・そして神』の第3章「私的言語の必然性と不可能性」から、その最終局面の議論をいくつか任意に抜きだしてみただけでも、このことを強く確信させられます。
(思いつきを重ねるならば、私的言語と言語ゲームのそれぞれに強弱二相があって、たとえば「強い私的言語」は貫之現象学に、「強い言語ゲーム」は定家論理学にそれぞれ関連する、などということができるかもしれない。私はそう考えているのですが、これらのことの意味やその是非もまた、実地に作業を進めてみなければわかりません。
 さらに付言すると、西田の場所の哲学とウィトゲンシュタインの言語ゲームの概念のあいだには、ある反転したかたちでの論理的な同型性、もしくは同様に反転したかたちでの稼動原理の同型性のようなものがあって、それは、永井氏が『西田幾多郎』で、自覚において有は無化されていくが、言語においては無は有化されていく、云々と書いていたことと、『ウィトゲンシュタイン入門』で、言語ゲームには底がない、つまり、根拠を求める哲学(という言語ゲーム)は空無を存在すると信じるにいたるしかない、云々と書いていたことに関係していると私はにらんでいます。あるいは、まだうまく言葉にできないけれども、実存=端的な事実=憲法制定権力と本質=概念・規範=憲法改正権力とが、場所の哲学と言語ゲーム、それぞれの本来あり得ないメタレベルにおいて、もしくはそれらが遂行された事後において、反転的に一致するといったようなかたちで。
 そうして、そこに、「強い私的言語」として語られる西田現象学と「強い言語ゲーム」としてのウィトゲンシュタイン論理学とが「相理解」する契機、もしくは、二つの哲学が相互包摂の関係を取り結ぶ契機があるのではないかとも考えているのですが、しかし、これでは何をいいたいのかわからないだろうし、そもそもこの問題は、本来、ここで取りあげるべき事柄ではありません。)

■言語の成立という語りえぬ出来事

◎西田現象学と西田論理学の間には、客観的世界がそこから始まる基盤であるところの言語の成立という、語りえぬ出来事が介在していていること。

 西田現象学が対象とするのは言語以前の世界で、これに対して、西田論理学が対象とするのは言語成立以後、そして私と汝がともに彼であるような抽象的で客観的な場所が生まれた後の世界だということです。ただし、このことは、西田哲学の構図(論理学に対する現象学の優位)のうちにすでに織りこみ済みの事柄ですから、ここでは、あくまで、ウィトゲンシュタイン哲学の構図(現象学に対する論理学の優位)を西田哲学の構図との対比を通じて炙りだすという、次の話題への伏線として提示されたものであるにすぎません。
(なお、言語成立の「以前」や「以後」は、時間の先後関係のことではなくて、精確には、時間という概念や観念そのものが言語とともに成立することに先立つのか、それともその後のことなのかということです。だから、言語以前は、言語の外、あるいは時制や人称の構造を組みこんだ世界を包摂する上位の世界と、空間論的にいいかえてもいいものです。言語の成立という出来事そのものを言語で語ることなどどだい無理な話で、いずれにせよ、比喩表現でしかありえないのですから。)
 ところで、このような西田哲学の構図の上に、永井氏が指摘した二つの問題が浮上します。(このことも前章ですでに触れましたが、今後の議論の足場を固めておくために、もう一度繰り返しておきます。)その一は、言語に云い表すことができない純粋経験や無の場所の哲学を、いかにして言語で語れるのかという問いで、これに対する永井氏の回答は、純粋経験それ自体が言語を可能ならしめる内部構造を内に宿していたからというもの。その二は、直接に結合していない私と他人がなぜ言語を通じて相理解できるのかという問いで、これに対する永井氏の回答は、そんなことができるということがすなわち言語の成立そのものだからというもの。
 後段の回答は、これだけだと何も語っていないのと同じなので、もう少し言葉を補います。「私が世界である」と、この私と同じことを語りうる汝が存在すること、つまり、独在性の〈私〉が複数化=概念化され、意識(端的な生の事実=非概念的な実存=クオリア)と自己意識(概念化・本質化された実存概念=非概念的なものという概念=自己言及的な志向性)が重なった単独性の《私》(客観的世界における主体=第三人称の「彼」)が成立することが、言語を可能にする。私という無の場所に、すべての存在者とともに汝が入り、この別の無の場所である汝のうちに私が入る、そうした私と汝の相互包摂(入れ子)の関係が完成すること、そして私と汝が共に「彼」になることが、すなわち言語である。また、そのような言語が成立することが、汝や彼を可能にする。いや、言語は客観的世界そのものがそこから始まる基盤なのだから、汝や彼といった他者の成立よりもはるかに根源的である。
 しかし、これでもまだ、直接に結合していない私と他人がなぜ言語を通じて相理解できるのかという問いに、直接に答えたことにはなりません。だから、永井氏は、西田がこの問題に答えることに成功したとは思わない(成功した人は今のところ誰もいない)が、「主体の成立」に関する問いに答えることで問題の意味を深めることに成功していると思う、と書いていたわけです。
(問題の意味を深めるとは、言語成立以後の客観的世界における私と他者の相互理解の可能性の問題(そんな問題は、そこではとうに解決されている)を、言語の成立という、「暗に独我論的な世界」(世界の開闢)と「かなり複雑な事情が介在する世界」(開闢が開く世界において開闢が持続する)とをつなぐ語りえぬ出来事のうちに位置づけたことをいうのでしょう。そして、この出来事をはさんで、今度は、客観的世界の側から、そのような語りえぬ出来事や、言語成立以前(あるいは、言語の外)というもっと語りえぬ世界を語る言語がいかにして可能なのか、また、そのような言語が(あるいは、「強い言語ゲーム」が)可能であるとしても、では、そこにおいてこの私と相理解する他人(たとえば、西田幾多郎)とはいったい誰のことなのかといった、ウィトゲンシュタイン哲学の構図の上に浮上する(精確には、ウィトゲンシュタイン論理学が、その根っこのところにかかえこんでいる)二つの問題が立ち上がってくるのではないかと私はにらんでいるのですが、これもまた、ここで取り上げるべき事柄ではありません。)

■古今和歌集仮名序、再び

 私は、西田哲学の構図の上に浮上する(精確には、西田現象学が、その根っこのところにかかえこんでいる)これら二つの問題を、紀貫之の古今和歌集仮名序のうちに、別のかたちで見出すことができると考えています。
 まず、言葉で語りえぬものをいかにして言葉で語れるのかという問いは、「やまとうたは、人のこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける」のうちに、次に、直接に結合していない私と他人がなぜ言語を通じて相理解できるのかという問いは、「ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるはうたなり」のうちに、それぞれ回答のかたちで示されています。
 それはどうしてか。「人のこころ」が「よろづのことのは」となり、和歌(やまとうた)が、他人だけではなく天神地祇(あめつち)や死者(おに神)の霊魂まで感動させるとは、何を根拠にそういうことがいえるのかというと、それは「このうた、あめつちのひらけはじまりける時よりいできにけり」だから。つまり、和歌は、永井氏が「開闢の奇跡」と呼んだ、その存在が世界(あめつち)の開闢そのものであるところの〈私〉や〈今〉や〈現実〉等々と相並ぶ(精確には、同じものの別の名である)〈言葉〉もしくは〈哥〉であったから、というわけです。貫之の歌論が、西田現象学に通じるのは、まさにこの一点、開闢という場所においてなのです。だとすると、仮名序で「人のこころ」といわれているのは、「世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心におもふことを見るものきくものにつけていひいだせるなり」といわれるときの、世の中にある歌人の実生活における心的体験のことでは、もはやありえません。
 尼ヶ崎彬氏は『花鳥の使』で、「やまとうたは、人の心をたねとして」云々が、貫之歌論における和歌の本質規定であり、「世の中にある人」云々の、とりわけ「見るものきくものにつけて」の部分が、貫之歌論における和歌の形式規定、すなわち「付託」という、和歌を和歌たらしめる修辞の条件を規定するものであると分析しています。それが「見るものきくもの」に付託して言い出されたものであるかぎり、たとえ世の中(開闢によって開かれた世界)の個物としての固有名をもった人物が詠んだものであっても、その歌には、開闢とともにあった〈哥〉の残響が重ね描かれていく。そのとき、「貫之が自然を詠んだものでもよし、自然が貫之を通して自己を詠んだものでもよい」といえる事態(これを、尼ヶ崎氏の言葉を借りて「世の中にある人」にあてはめるならば、「思いが我々を捉えているのであって、我々が思いを捉えているわけではない」という事態)が成り立ち、そして、千百に及ぶ和歌を編集することが、千百に及ぶ「心」をひとつの〈哥〉のうちに編むことに通じている。尼ヶ崎氏の議論を、私はそのように解釈してみたいと考えています。
(小松英雄氏は、『みそひと文字の抒情詩──古今和歌集の和歌表現を解きほぐす』で、仮名序冒頭の一文は対句表現と解すべきであると書いています。文中の「ひとの」は「人の」を意味するけれども、その後の「よろづ」から「ひとつ」が喚起され、仮名連鎖「ひと」にヒトツのヒトが合流して対句を構成する、ということです。「ひとのこころ」は「人のひとつ心」、すなわち「すべての人間が共通にそなえている心性」を意味し、したがって、土左日記に「唐土とこの国とは、言異なるものなれど、月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことにやあらむ」とあるように、「やまとうた」の心はヤマトの人間だけではなく中国人にも理解される。
 私は、この小松氏の議論をさらに進めて、「花になくうぐひす水にすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける」の「いきとしいけるもの」(歌を詠まないではいられないもの)に、「すべての人間」だけではなく「うぐひす」や「かはづ」まで含めるべきではないか(このことは、第一章でもふれました)、さらにさらに進めて、花や水、こゑや風の音、等々にいたる、およそ世に立ち現われるすべての事象を含めて理解するべきではないか、したがって、「ひとのこころ」とは森羅万象の「ひとつのこころ」と読むべきなのではないかと考えています。もちろん、そのような「こころ」は、永井氏がいう「世界を開く「開闢の奇跡」を世界の内部に複数個並存させるためにつくられた高度に抽象的な超越概念」としての《心》ではなくて、独存性の〈私〉と相並ぶ(精確には、同じものの別の名である)〈心〉のことでなければなりません。)
 それにしても、そのような開闢そのものである〈哥〉を詠むことが、それも開闢によって開かれた世界の中において詠むことが、いかにして可能だというのか。(そのような〈心〉を、客観的世界における物に付託して「いひいだす」こと。それを、私は「強い私的言語」という言葉で言い表わすことができないかと考えているのですが、それにしても、そのような詩的言語ならぬ私的言語が、いったいいかなる理路によって可能になるというのか。)この、西田哲学の構図の上に浮上する第一の問題(語りえぬものから言語へ)とは逆向きの問い(言語から語りえぬものへ)が、ウィトゲンシュタイン哲学の構図の上に、したがって定家の歌論のうちに浮上してきます。
 同様に、第二の問いが、たとえば、公共言語を使いながら(言語ゲームのうちに内属しながら、その同じ言語ゲームに内属する)他者の理解を拒絶することがはたしてできるのか、あるいは、言語の外において歌を詠むことがいかにして可能なのか、といったかたちで浮上してくることになるでしょう。
(私は、西田哲学の構図の上に浮上する第二の問題は、永井氏が、『私・今・そして神』の「哲学はまだ始まっていない」の節で、その問題に「多少とも肉薄できた哲学者は、史上ひとりもいない」というコメント付きで提示した、「私と同じように心をもち、ただ個性が違うだけの人間に、私でないという根本的な違いが生じているのはなぜなのか」という問いに通じているのではないかと思っています。だとすると、これと対をなす、ウィトゲンシュタイン哲学の構図の上に浮上する第二の問題とは、そしてまた、これに立脚した定家論理学における第二の問題とは、いったいどのようなものになりうるのでしょうか。そもそも、そのような問いを想定することはナンセンス、もしくは理性の彼方(狂気)に属することなのではないでしょうか。)
 このあたりに来ると、私の思考は混沌としてきますし、これらの問いに対する出来合いの回答を(それにもまして、より精確な問題の設定を)みつけることができません。それは私が知らないだけで、すでに誰かによって語られている(考えられている)ことなのかもしれませんが、このことについては、今後、貫之現象学の深みに分け入り、そこから自力で抜け出した後で、あらためて考え直すことにして、ここでは、定家の歌論がそこから出発することになる場所をしつらえた俊成の『古来風体抄』に、「かの古今集の序にいへるがごとく、人のこころを種として、よろづの言の葉となりにければ、春の花をたづね、秋の紅葉を見ても、歌といふものなからましかば、色をも香をも知る人もなく、何をかはもとの心ともすべき」とあること、そして、かの定家に「あめつちもあはれ知るとはいにしへの誰がいつはりぞ敷島の道」の歌があることだけを記しておきます。
(いまひとつ、後の考察のための伏線もしくは個人的な備忘録として付言しておきます。かの俊成の文章をめぐって、尼ヶ崎氏が、「俊成に言わせれば、詩人が花の歌を詠んではじめて、その色香は人々の前に立ち現れるのである。つまり、色香とは、詩人の心を種として生じた言の葉に輝き匂うものであって、自然の花紅葉にあるものではない」と書いていて、ここに出てくる「立ち現れ」という語彙は、大森荘蔵の「立ち現われ一元論」の世界に通じている。
 あとひとつ、これは後の考察へとつながらないかもしれないけれども、同じく尼ヶ崎氏が、俊成の言葉をパラフレーズして、「詩人の〈心〉は、〈言葉〉によって、ある美的現象と心の構えとを結合させ、一つの〈価値体験の型〉をつくる。人はこの〈型〉を学ぶことによって、その価値体験を反復しうる」、そして「詩人の〈心〉が、言葉によって新たな〈価値体験の型〉を創るとは、言換えれば、世界に新たな意味を与えてゆくことなのである」と書き、ここでいう「詩人の〈心〉」を、歌の表現内容を意味する伝統的歌論用語の「心」と区別して〈詩的主観〉と名づけ、『古来風体抄』のすべての努力は、この詩的主観をいかにして伝承させるかの一点にかかっていた、と書いている。
 ここに出てくる「詩的主観」は、たとえばウィトゲンシュタインの「形而上学的主体」や「哲学的自我」という語彙に通じ、また、永井氏が『私・今・そして神』の序文に、哲学は「なにか特別の種類の天才の、凡人に真似のできない傑出した技芸の伝承によってしか、その真価を伝えることができないようにできている」と書いていたことにも通じているし、また、西田現象学とウィトゲンシュタイン論理学が、そして貫之現象学と定家論理学が「相理解」する契機、あるいは、二つの哲学もしくは歌論が相互包摂の関係を取り結ぶ契機にも通じていると思うのですが、これもまた先走りの議論でした。)

■西田現象学とウィトゲンシュタイン論理学の相互包摂関係

 以下に書くことは、私=中原の議論であって、永井氏の議論ではありません。(もっとも、これまでに書いたことだって、そのほとんどは、永井氏の議論を勝手に使った私=中原の議論でしかないものではあったのですが、それにもまして、この節にこれから書くことは、今後の作業を通じた精錬もしくは「抹殺」に対して開かれています。)

◎言語をめぐる哲学的な問いをはさんで、「言葉は体験と独立にそれだけで意味を持ちうる。「体験」もまたそういう言葉にすぎないのだ」とするウィトゲンシュタイン的確信犯が、現象学に対する論理学の優位性という特質をもって、西田的確信犯と相対峙しているのではないかということ。

 西田現象学の世界をQ(言語以前、もしくは言語の外)、西田論理学の世界をp(言語成立以後、もしくは言語の内)と表記するならば、これら二つの世界の関係は、「Q⇒p」(Qがpを包摂する、もしくはQという場所においてpが成り立つ)と定式化できる。ここで、「p⇒Q」(pがQを包摂する、もしくはpという場所においてQが成り立つ)が否定されることが、西田的確信犯の特質にほかならない。
 これに対して、ウィトゲンシュタイン的確信犯にあっては、「P⇒q」は成り立つが、「q⇒P」は成り立たない。ただし、ウィトゲンシュタイン現象学の世界(小文字のq)とウィトゲンシュタイン論理学の世界(大文字のP)の実質、というかその感触は、西田哲学におけるそれとはかなり異なる(大文字と小文字の書き分け程度では、その強度や濃度や内部構造の有無などの差異を表現できない)。そこで、以上の定式に、永井氏オリジナルの符号(見え消しの否定を意味する〈 〉、二重否定としての《 》)を導入する。あわせて、思考のための補助線として、言語を表わすLという記号を導入してみる。
 そうすると、西田哲学の構図「Q⇒p」は、「〈Q〉⇒L、かつ、L=p(L⇒《Q》)」と展開できる。ここで「〈Q〉⇒L」は、純粋経験それ自体が言語を可能ならしめる内部構造を内に宿していること、もしくは体験が言葉と独立にそれだけで意味を持ちうることを含意し、「L=p」は、言語の成立と汝(彼)の成立とがパラレルであること(ただし、前者がより根源的な出来事であること)を示す。また、「p(L⇒《Q》)」は、言語を基盤として始まる客観的世界pにおいて、言語を駆使して西田論理学が遂行されるが、そこで見出される《Q》(唯一の真の個物)はそもそもの出発点であった〈Q〉(開闢の奇跡)には達しえない、ということを表現している。
 同様に、ウィトゲンシュタイン哲学の構図「P⇒q」は、「〈P〉⇒L、かつ、L=q(L⇒《P》)」と展開できる。ここで「〈P〉⇒L」は、世界の形式という「語りえぬもの」(論理形式であれ、文法形式であれ、生活形式であれ)が言語に先立っていることを含意し、「L=q」は、言葉が体験と独立にそれだけで意味を持ちうること、もしくは私が理解する唯一の言語(他人が理解するかどうかは別として)の限界が私の世界の限界を意味することを示す。また、「q(L⇒《P》)」は、そのような私の世界の限界を超えるもの、つまり世界の外にある(本当は、「ある」とか「ない」とかいえない)もう一つの「語りえぬもの」であるqにおいて、言語を駆使してウィトゲンシュタイン現象学(たとえば、独我論の語り)が遂行されるが、それは客観的世界における一般的言明のうちに解消されるほかはない、ということを表現している。(あるいは、『ウィトゲンシュタイン入門』の序章で、永井氏が、ウィトゲンシュタインの「形而上学的主体」もしくは「哲学的自我」をめぐって、カントの「超越論的主観」が素材としての世界を意味的に構成する主観であったことと対比させて使った表現を借用するならば、「すでに「机」「地球」「恋愛」「日本」「永井均」といった意味に満ちた世界に対して、一挙に実質(それが実現するための素材)を賦与することによって、形式としての世界を現実のこの世界(=私の世界)として存在させる主体」のはたらきを表現している。)
 続いて、以上の二つの構図の関係を考えてみる。(本当は、Lについても〈L〉と《L》の書き分けをしないと、西田哲学の構図とウィトゲンシュタイン哲学の構図がはらんでいる感触の違いを表現することはできないと思う。たとえば、〈L〉は私的言語で、《L》は諸言語ゲームを意味するといったかたちで。が、それをやるといたずらに図式が複雑になるので、断念する。あわせて、わずらわしくなったので、以下、大文字と小文字の書き分けをやめ、永井氏オリジナルの符号もはずす。)
 まず、西田哲学の構図・展開版に「L=P」を適宜代入し、Lを消去すると、「Q⇒P(P⇒Q)」(Qという場所においてPが成り立ち、そのPにおいてウィトゲンシュタイン論理学が遂行される)のかたちに変形できる。同様に、ウィトゲンシュタイン哲学の構図・展開版に「L=Q」を代入し、Lを消去すると、「P⇒Q(Q⇒P)」(Pという場所においてQが成り立ち、そのQにおいて西田現象学が遂行される)のかたちに変形できる。つまり、西田現象学とウィトゲンシュタイン論理学は、相互包摂(入れ子)の関係を取り結ぶ。
 次に、西田哲学の構図・展開変型判「Q⇒P(P⇒Q)」で、丸括弧内に組み入れられたウィトゲンシュタイン哲学の構図「P⇒Q」を、その展開変型判「P⇒Q(Q⇒P)」に置き換えると、「Q⇒P(P⇒Q(Q⇒P))」となる。ここで、二重の丸括弧に挟まれた部分を削除しうるものと考えるならば、つまり、永井氏が『私・今・そして神』で使った言い回しを借用して、通り越して短絡させてもかまわないものと考えると、最終的に「Q⇒P(Q⇒P)」を得る。これが、ウィトゲンシュタイン哲学を呑み込んだ(ただし、消化したわけではない)西田哲学の最終の構図である。その意味するところは、Qという無の場所においてPが成り立ち、そのPにおいて「Qという無の場所においてPが成り立つ」こと自体が(あるいは、西田哲学そのものが)遂行される、といったことである。「場所それ自体が語った言葉が西田哲学なのだ」というわけである。
(この西田哲学の最終構図「Q⇒P(Q⇒P)」は、斎藤慶典氏が『心という場所』で提示した「基づけ関係」の説と同じ形式のものではないかと思う。Q=脳、P=心と置き換えると、「Q⇒P」は、脳から心が出てくること、つまり、まず脳があって、その脳が心を基づけるものであることを表現している。しかし、そのような考え自体が、実は脳によって基づけられた心が、その自らを基づけるものの方へさかのぼって描きだしたものである。そもそも、基づける項と基づけられる項は異なる秩序原理で成り立っている。下位の秩序なしに上位の秩序を説明することはできない。にもかかわらず、上位の秩序なしで下位の秩序を説明することもできない。つまり、上位の秩序が下位の秩序を包摂している。
 それはまた、永井氏が『ウィトゲンシュタイン入門』で、「それ自身以外の何ものによっても支えられていない」言語ゲームが、とは言っても、ゲームである以上、それを成り立たせている規則(ルール)によっては支えられているだろうと思われるかもしれないが、しかし、そうではない、として次のように書いていることに呼応していると思う。「逆に、ともかくも言語ゲームが成り立っているという事実が、規則の規則としての存立を後からかろうじて可能にしているのである。ルールとプレイのこの逆転こそが、後期ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」概念の最大のポイントである。」)
 また、西田哲学の最終構図「Q⇒P(Q⇒P)」に再度「L=P」を代入し、Pを消去すると、「Q⇒L(Q⇒L)」となる。これは、自己意識(論理的推論=本質)なき意識(生の事実=実存)による表現世界の様相を示している。たとえば、心に思うこと、感じることが、そのまま現実の世界において実現しているような、あるいは、その二つのことがもはや区別できないような表現世界(貫之現象学の世界)。
 さらに、同様の操作をほどこして、西田哲学を呑み込んだ(ただし、消化したわけではない)ウィトゲンシュタイン哲学の最終構図「P⇒Q(P⇒Q)」を得る。その意味するところは、本質(概念・意味)という「神の知性」に属する事柄が、実存(現実存在)という「神の意志」に属する事柄に先立ち、その実存において「本質が実存に先立つ」こと自体が(あるいは、ウィトゲンシュタイン哲学そのものが)遂行される、といったことである。
 また、このウィトゲンシュタイン哲学の最終構図「P⇒Q(P⇒Q)」に再度「L=Q」を代入し、Qを消去すると、「P⇒L(P⇒L)」を得る。これは、意識なき自己意識(クオリアなき志向性)による表現世界の様相を示している。たとえば、ウィトゲンシュタインの『哲学探求』358節に出てくる「言語が見る夢」としての表現世界(定家論理学の世界)。──「しかし、文に意味を与えるのはわれわれの思念ではないのか。(中略)そして、思念は心の領域に属する何かである。だがまた、何か私的なものでもある! それは捉えがたい何かであり、意識それ自体とだけ同格でありうる。/どうしてこの考えをあざ笑うことができようか! それはいわば、われわれの言語が見る夢なのである。」(永井均訳)

■貫之現象学・俊成系譜学・定家論理学

 さて、ようやく、前章の末尾に記した貫之現象学と定家論理学をめぐる当座の作業仮説について、あらためて取りあげ吟味する準備ができました。でも、ここまでたどりつくだけですっかり体力を使い果たし、もはや余力も紙数も尽きました。いや、紙数に制約があるわけではなくて、これから先いくらでも存分に議論を展開していってかまわないのですが、ここにきて、その気力が失せてしまいました。それに、これまで書いたことのうちに、およそ現時点で補足すべきことはすべて盛りこめたのではないかとも思うので、以下、これからの作業の手順、というか当座の見取り図のようなものを、『花鳥の使』からの任意の抜き書きをまじえながら、備忘録がわりに作成しておきます。

1.物と心の関係をめぐる貫之の現象学的歌論。
 「ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ」云々で語られる和歌の力、つまり「言霊」の力について、冨士谷御杖の歌論や大森荘蔵の「立ち現われ一元論」などを参照しながら、和歌の本然の姿、つまり音声として朗詠される場に即して考察する。ついで、「そもそもうたのさまむつ[六]なり」以下の歌の様式論(歌体論)を「付託」の観点から再整理した尼ヶ崎氏の議論に準拠しながら、梅原猛著『美と宗教の発見』に収められた論考「壬生忠岑「和歌体十種」について」などを参考に、かつ俊成の風体論や定家十体にも目配りしつつ、一種の共感覚論(クオリアの共鳴・唱和)として、さらに、共感情や共想起や共思考といった、さまざまな「思い」が身体や時間を貫通していく伝導現象の論(伝導体論)として読んでみる。そして、それらの予備的考察を踏まえて、(強い)私的言語としての〈哥〉の可能性に思いをはせてみよう。

2.詞と心が表裏一体となった「モノ」としての歌の姿をめぐる俊成の系譜学的歌論。
 やまとうたに宿った「心」が死者の霊魂を感動させる力をもつとすれば、俊成の「歌の道の深き心」(かの〈哥〉と相並ぶ〈ペルソナ〉とでも表記すべき詩的主観)は、詩的共同体における死者との対話(言語ゲーム)を可能にする。「この共同体は時代を超えて開かれており、…参加すると同時に、彼は、時を距てる古人たちと手を携えて歩むことができる。彼はこの時、現在・過去・未来といった歴史的時間とは別の時間を、古人と共に生きるのである。」この、言葉では説明できない詩的主観とその共同性の所在をいかに伝えるか。俊成は、かの『摩訶止観』が釈迦にはじまる師資相伝の系譜をもって「仏の道」の伝承を明かしたひそみにならい、「いにしへよりこのかたのうたのすがた」の系譜を、つまり「詩的共同主観性が、幾百年の歳月を費やして、詩的言語によって築き上げてきた、もう一つの世界の全体像」を目のあたりに見せることでこの課題を果たそうとした。
 日常言語における音声や言い回しが抵抗感のない透明な媒体(意味の乗り物)であるのに対して、和歌の詞は、不透明な質料感をもつ音声的実体として、「言葉の型」として、すなわち一種の物質として立ち現われ、それを耳にするだけで、「艶」や「あはれ」などの「価値体験の型」が感じられる。「この、一枚の紙の裏表のような二つの〈型〉を、一つのモノとして透かして見る時、俊成はこれを「風体」といい「姿」と呼んだ。」(ここでいわれる「姿」は、「まず形より入れ」というときの「形」、あるいは西洋修辞学でいう‘figura’の訳語「詞姿」に通じている。)このような俊成の歌論を、(ニーチェ的な響きをきかせて)「系譜学的歌論」と名付け、(もし、そうすることに何がしかの意味があるのならば)本居宣長の歌論を参照しながら、考察していくことにしよう。

3.父・俊成が開いた「もう一つの世界」(詩的言語の世界)の上に築かれた、古き詞と新しき心の関係をめぐる定家の論理学的歌論。
 「言葉は自明なものとしてあるのではない。それは既に仮構であり、それ故に、さらなる仮構を許すものである。そして、綿密に組上げられた〈古き詞〉の約束事と類型とは、詠歌を拘束するものというよりはむしろ、その現実離れした仮構性を手段として、思うがままに〈新しい意味〉を創造する道を開くものではないか。」こうして「二重仮構の詞」による歌が詠まれ、その詠作時においてのみ生じる虚構の、しかし動的な生命をもった「詠みつつある心」が生み出されることになる。
 俊成の詩的言語は「未だ言語が触れていなかった実在にぶつかり、これに意味を与えようとするもの」だが、定家の詩的言語は決して実在にはぶつからない。「それは夢のように、現実と関わることのできぬ原理に従って意味を構成する。そこで再編されるのは、現実ではなく、言語、つまり人間の抱きうる諸観念である。」法界(=実在の世界)へと向かう俊成の詩的世界。物狂いの世界へと向かう定家の詩的世界。しかし、物狂いの世界の言葉に確かな意味をもたせるためには、それらの言葉を支える確かな心がなければならない。たとえそれが狂人の心であったとしても。「こうして、定家の歌は、「心」も「詞」も現実との関わりを失って、虚空に漂う。」そのような定家の歌の世界を、心敬や世阿弥などにも関連づけながら、言語の外に漂いでる(強い)言語ゲームとして考察してみよう。

(04号に続く)
★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。神戸在住。三ヶ月以上、一つのことに関心が続かない。それができたらきっと凄いことになる(たぶん)。
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Web評論誌「コーラ」03号(2007.12.15)
<哥とクオリア>第3章:貫之現象学と定家論理学、再び(中原紀生)
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