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■「暗に独我論的」な世界 『西田幾多郎』(永井均著)を熟読玩味しながら、私が、同時並行的に読み進めていた『花鳥の使』(尼ヶ崎彬著)からの反響をひしひしと感じるようになったきっかけの一つは、たとえば、永井本の冒頭に引用されている川端康成のよく知られた文章が、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」を上句、これに続く「夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」を下句とする一首の和歌になっているのではないか、少なくとも、永井氏が「私の心に触れる数首」として紹介している西田幾多郎の歌よりも、たとえば「赤きもの赤しと云はであげつらひ五十路あまりの年をへにけり」よりは、よっぽど優れた歌になりえているのではないか、などと思ったことにあります。 永井氏は、この「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」について、それは、前期の西田幾多郎が『善の研究』で論じた主客分離以前の「純粋経験」そのものの描写なのであって、世界の中の個物としての「私」(たとえば『雪国』の主人公である「島村」)の経験を述べている文ではない、そこには経験から独立した主体は存在せず、もし強いて主語をたてるなら、国境の長いトンネルを抜けると雪国であったという、そのこと自体が「私」なのだと書いていました。そして、このように「西田哲学的に解釈された日本語」の非人称的表現と、主語を明示する英語的表現との差異をめぐって、次のように述べています。
いくらなんでもそこまでいくと極論ですが、少なくとも、『花鳥の使』に描かれた貫之や俊成や定家の歌論を参照軸に据えることで、『西田幾多郎』のうちに叙述された西田=永井哲学の独特の感触の一端は解明されるのではないかとは思うのです。そして、それこそがこのささやかな論考の中心主題でもあるというしだいなのですが、でも、実質の伴わない予告はこのあたりで早々に切り上げて、まずは、永井本の論述の骨組みのようなものを、大まかに粗描することから作業を始めることにします。 ■「相互包摂」の関係をめぐって その前に、余談を一つ挿みます。 シネマトグラフの特権は集団に一緒に同じ夢をみさせられること、幻想を厳密なリアリズムで描けることにある、つまり映画は「詩を運ぶ車」なのだ云々と語った『オルフェの遺言』でのコクトーからの連想でいえば、そして『雪国』の書き出しの文章がいかにも「映画的」であると思われたことをこれにからませていくならば、中世和歌の世界は現代の「映画体験」に通じているといえるのではないか。 さらに、「純粋小説はこの四人称を設定して、新しく人物を動かし進める可能の世界を実現していくことだ」(「純粋小説論」)という横光利一の言葉や、鈴木一誌の「透過体──ジャン=リュック・ゴダール『映画史』」(『画面の誕生』)に出てくる、「生者と死者の区別がつかない点で、映画は夢と通底する」や「映画は死者を死なしめない」等々の発言へと接続をはかっていくことで、中世の歌論、少なくとも定家の歌論は、(現在と過去、生と死、現実と夢、物語の内部と外部の入れ子構造を特質とする)世阿弥の複式夢幻能ともども、一種の「映画論」として読み解いていくことができるのではないか。 いまだ議論の入り口にすら達していないうちから、いきなり戦線を拡大するのもどうかと思いますが、ことのついでにもう少し極論を重ねておくと、『西田幾多郎』を繰り返し読んでいるうち、私は、この書物、というより西田=永井哲学の世界は、実は複式夢幻能の形式で組み立てられているのではないかと感じるようになりました。 具体的な例を挙げておきます。たとえば三章構成の本書の第一章で引用された『善の研究』の一文、「もし個人的意識において、昨日の意識と今日の意識が独立の意識でありながら、その同一系統に属するの故を以て一つの意識と考えることができるならば、自他の意識の間にも同一の関係を見出すことができるであろう」に示された西田幾多郎の見解が、第三章で取り上げられた「私と汝」という論文では端的に否定され、「私は他人が何を考え、何を思うかを知ることはできない。他人と私とは言語とか文字とかいう如きいわゆる表現を通じて相理解するのである」、「今日の私は昨日の私を汝と見ることによって、昨日の私は今日の私を汝と見ることによって、私の個人的自己の自覚というものが成立するのである。非連続の連続としての我々の個人的自覚というものが成立するのである」と、私と他者の関係を現在と過去の関係とのアナロジーで理解することから、現在と過去の関係を私と他者の関係とのアナロジーで理解する方向へと逆転しているあたりに、夢と現実、等々が入れ子式に反転する能の世界に通じるものを感じ取ったわけです。 余談を重ねます。私は、この「入れ子」という語彙が『西田幾多郎』を解読するためのキーワードになりうるのではないかと考えています。 仮に、言葉以前のもの(たとえば主客分離以前の「純粋経験」)をQ、言語成立以後のものをP(たとえば主客分離以後の「主体」)と表記するとして、PのうちにQが包摂されることと、QのうちにPが包摂されることがもはや区別できなくなって、そこに「相互包摂」の関係が成り立つとき、西田哲学(場所の哲学)に特有の、あるいは西田哲学の解釈を通じてこれとは独立に遂行される永井哲学(開闢の哲学)に固有の入れ子構造が生まれます。 (ここで、「PのうちにQが包摂される」とは、QはPである、つまり主語Qが述語Pによって包摂される「判断」や、集合Pの要素としてQがあるといったこととは違って、Pの内部にQがある、もしくはPという場所においてQがあるといった事態を言い表そうとしているものです。だから、「PがQを包摂する」は、たとえば「言葉を駆使して、本来言葉では表現できない歌の心(クオリア)を表現する」、「QがPを包摂する」は、たとえば「純粋経験それ自体が言語を可能ならしめる内部構造を内に宿していた」などと、PからQへの、もしくはQからPへの一種の「推論」のかたちに言い換えることもできるでしょう。 ちなみに、この「相互包摂」の関係は、坂部恵氏が『和辻哲郎──異文化共生の形』で、和辻の思考と一筋の糸でつながる「室町時代の構想力」に関連付けて述べた言葉、「ひとともの(たとえば人形)、ものとこころ、見えるものと見えないもの、現実と現実よりも強い存在をもったもの」、あるいは「過去と現在、回想[アナムネシス]と現実」が取り結ぶ「相互浸透と交叉反転[キアスム]の関係」という言葉と響きあっています。) 『西田幾多郎』のうちに設えられた入れ子構造を拾い上げてみると、先に取り上げた「今日―昨日」関係と「自―他」関係の反転という本書全体の骨格をかたちづくる大仕掛けを始めとして、第一章では、デカルトの『省察』において、「私はある、私は存在する」と言表する「私」のその「思い」(疑い)が、悪霊の欺きの内部にあるのか外部にあるのかという問い、すなわち、悪霊の欺きが私(疑う主体)の内部での想定にすぎないのか、それとも逆に、その想定の内部からその想定それ自体を包み込む逆転が生じて、悪霊の欺きは私の疑いの外部にあって私の疑いそれ自体を作り出しているのかという問いをめぐって、「その想定の内部からその想定それ自体を包み込む逆転が生じうる、と解釈すべきだと私は思う。悪霊の欺きにもかかわらず、疑っている私が存在することが確実なのは、私の疑いによって悪霊の欺きが存在させられていることと、悪霊の欺きによって私の疑いが存在させられていることが、もはや区別できなくなって、相互包摂の関係が成立し、それでもなお、疑っている私の存在(疑っているように思うその疑いの存在)が確保されるからであろう」といったかたちで触れられています。 また、第二章では、「英国に居て完全なる英国の地図」を描くことがもたらす無限進行(完全なる英国の地図の中にはその地図自身が描かれていないといけない、そしてその地図の中にも…)の話題に始まり、「私を超越し、私を包むもの(=場所)がまた私自身であるという構造」が可能にする「場所」の自己運動=自己限定の働きとしての「自覚」(ベルクソンの『物質と記憶』に出てくる「収縮」との関係が気になる)をめぐる議論を経て、純粋経験(=場所)と言語(=言語化された新しい種類の場所)が「地続き」になるプロセスが論述されます。そして第三章では、文字通り、私(無の場所)と汝(もう一つの無の場所)の相互包摂関係そのものが取り上げられ、これが主体や言語の成立と関連づけられているのです。 (付言すると、いま「純粋経験と言語が地続きになる」と書いたところは、「この議論の肝は、色なら色の、実存と本質が、つまり生の質(クオリア)とそれをつかむ概念が、地続きである点にある」云々という永井氏の言い方を踏まえたもので、この「地続き」は入れ子や相互包摂の言い換えになっていると私はにらんでいます。先の表記法でいえば、Q(実存、クオリア)とP(本質、概念)という異なる世界のものが、相互包摂的関係を通じて地続きになる、というわけです。 ここでふと想起したのが、『日本人は思想したか』の中で中沢新一氏が、枕詞は異なる共同体の異なる地名を重ねたものなのではないかという吉本隆明の説と梅原猛の歌論を踏まえて語った次の言葉です。いわく、哲学とは異質な領域の異質な力を調停することだというドゥルーズの定義でいくと、枕詞は日本語がなし得た最初の調停であり、魂鎮めとして発生した和歌もまた一つの調停の哲学の表現なのではないか、すなわち「歌論や和歌そのものは、日本人の哲学の最初の形態と見なしてもいいんじゃないか」(新潮文庫、81頁)。) こうした実質的な面だけでなく、『西田幾多郎』の形式面、その叙述のかたちにおいても、類似の構造(図と地の反転、オブジェクト・レベルとメタ・レベルの混交、等々)を指摘することができます。それは、本文の随所に(いまためしに数えてみると、全部で24回出てくる)アスタリスク記号付きで挿入された註の使用法、というか位置づけに関するものです。具体的には、本文での議論と註の中での議論がいきなり「地続き」になっている箇所が散見されることで、そこでは、あたかも「地が感情移入してシテの人称でうたったり、掛ケ合でワキとシテが融合する」(川田順造)がごとき関係が、本文と註の間に成り立っていました。 たとえば、第一章、デカルトの「われ思う、ゆえに、われあり」が孕んでいる二つの両義性を論じた節の本文で、「先ほど指摘した」云々という言葉遣いが二度出てくるのですが、そこで言及されているのが、実は本文ではなく註の中で展開された議論(先に引用した、悪霊の欺きと私の疑いの関係をめぐる議論)なのです。また、第三章、西田幾多郎の「私と汝」という論文を取り上げた節の本文で、「絶対無」(場所としての〈私〉)と「相対無」(個人(自我)としての「私」)の一挙同時把握という「奇跡的な事態」を論じた箇所に出てくる、「第一章で指摘した」云々が指し示しているのも、これまた第一章の註の中での議論(後ほど引用する、「意識と自己意識の重なり」をめぐる議論)なのです。いま一つ例を挙げておきます。同じく第三章の本文で、永井氏命名によるところの「西田現象学」と「西田論理学」の関係が論じられているのですが、それぞれの語彙の初出もしくは定義は、いずれも本文に先立つ註の中でのことです。 これらのことは、何もことさら取り立てていうほどのことではないのかもしれませんが、ただ、そのいずれも本書の肝といえる議論、もしくは概念にかかわる箇所で見られるものであるだけに、とても気になるところです。少なくとも私は、何度読んでも、これらの箇所にさしかかるたびにある奇妙な感覚を覚えました。永井氏は「場所それ自体が語った言葉が西田哲学なのだ」と書いていますが、これに匹敵することが、もし永井哲学にもありうるとすれば、やはり叙述のかたちそのものに対しても細心の注意を払うべきだろうと思うのです。 余談が長くなりすぎました。それに、中途半端に内容に踏み込んでしまいました。『西田幾多郎』の骨格の粗描へと進みます。 ■「かなり複雑な事情」の解明 言葉と独立にそれだけで意味を持ちうる生の事実(体験)と、そうした生の事実とは独立にそれだけで意味を持ちうる言葉(概念)という、二つのものがある。 ほんとうは、「二つのものがある」などと言葉で表現するとおかしなことになる。言葉から独立した生の事実を「言葉と独立にそれだけで意味を持ちうる生の事実」と言葉で表現することは、そもそも意味をなさないし、一方で、生の事実から独立した言葉の意味としての「生の事実」は、結局のところ言葉(概念)なのだから、そこに「二つのものがある」わけではない。 (また、この二つのもののうち、生の事実の方が「〜がある」こと、つまり現実存在=実存にかかわり、言葉の方が「〜である」こと、つまり本質存在にかかわってくる。そして、存在をめぐるこの分岐が古典ギリシャに端を発する西洋形而上学の諸思考を産み出し、その極点において、それぞれが「永劫回帰」と「力への意志」に行き着く。というのが、木田元氏経由で私が理解しているハイデガーの考えなのだが、この話題はこれ以上展開するあてがないので、ここまでにしておく。) 話をもとにもどして、その二つのもののうち、前者の「生の事実」は、じかに体験され、意識される生々しい感じ、すなわちクオリアを伴う直接経験のことで、後者の「言葉」は、「われ思う」や「われあり」という表現のなかで語られる自己意識が、自己言及という形式的性質にすぎないものであるように、クオリアをつかむ概念とその論理的な連関(推論)のことである、と定義することができる。 でも、私たちの日常の経験に即して考えてみればすぐに判るように、実のところ、その二つのものは、そんなふうに綺麗に分けられるものではない。つまり、生の事実と言葉、意識(クオリアを伴った直接的意識)と自己意識(志向性を持った概念的規定)は、私たちの日常の経験のなかでは重なっている。
一方に、言葉なんて人工的仮定にすぎず、存在するのは主客分離以前の純粋経験だけだ(「雪舟が自然を描いたものでもよし、自然が雪舟を通して自己を描いたものでもよい。元来、物と我と区別のあるのではない」)、つまり「体験が言葉と独立にそれだけで意味を持ちうると信じている」確信犯の西田幾多郎がいて、他方に、「驚くべきことに、言葉が体験と独立にそれだけで意味を持ちうると信じている」もう一人の確信犯、ウィトゲンシュタインがいて、「そうとは知らずに、その[西田幾多郎とウィトゲンシュタインの]信仰が可能な道を切り開いた」過失犯、つまり「体験と言葉がなんの問題もなく相即することを疑おうともしなかった」デカルトがいる。 デカルトの「われ思う、ゆえに、われあり」に出てくる「思い」の二重性(直接経験の事実としての思いと、言語的な思いの二重性)から、「思う、ゆえに、思いあり」(永井氏の創作)の西田的な響きと、「「われ思う」と語る、ゆえに、「われあり」と語るわれあり」(私=中原の創作)のウィトゲンシュタイン的な響きが分岐し、それらは「彼思う、ゆえに、彼あり」(永井氏の創作)という人称的世界のうちにあって、それを食い破るものとして語られる(第一章)。 (西田幾多郎とウィトゲンシュタインのほかに、永井氏がその「解説書」を書いたもう一人の哲学者に関する私=中原の創作を加えると、そのような体験と言葉、実存と本質、あるいは、これらとはニュアンスが異なる、思いと実在、私と汝、独在性の〈私〉と単独性の《私》、等々の「相互包摂」的な関係の外部に突き進んでいったニーチェの場合であれば、「われ思う、ゆえに、われあり」は「思いと思いと……(以下、「思い」が無限に続く)……と、われとわれと……(以下、「われ」が無限に続く)……」となる。) こうした構図の上に、二つの問題が浮かび上がってくる。 第一の問題。西田のように「直接経験の事実は、ただ、言語に云い現わすことのできない赤の経験のみである」と語る哲学者が、それではどうして自分の哲学を言葉で語れるのか。この問い対する永井氏の回答は、「純粋経験それ自体が言語を可能ならしめる内部構造を内に宿していた」からというもので、その(クオリアと概念が地続きとなる)内部構造は、『動くものから見るものへ』に収められた「場所」という論文の解釈を通じて示される(第二章)。 第二の問題。西田は、「私と汝」(『無の自覚的限定』)という論文のなかで、他人と私が言語や文字による表現を通じて、あるいは音や形といった物的現象を手段として「相理解する」と書いているが、そもそも直接に結合していない私と他人がなぜ「相理解」できるのか。(これは西田とウィトゲンシュタインに共通する問題で、デカルトとニーチェの場合は、そんなことは端から問題にならない。いや、もちろん問題にはなるのだが、デカルトとニーチェではまったく異なった意味合いで、問題としては実感されなかった。ただし、この丸括弧内の書き込みは、私=中原の議論であって、永井氏の議論ではない。) これに対する永井氏の回答は、「西田がこの問いに答えることに成功したとは思わない(成功した人は今のところ誰もいないが)」、しかし、少なくとも、「個人(あるいは「人物」とか「人格」とか訳される英語でいう person)の成立」に関する問いに答えることで、「問いの意味を深めること」、すなわち「それがなぜ哲学的な問いであるのか、そのことの意味を──ひょっとすると誰よりも──深めることに成功していると思う」というもの。このことは、「私と汝」の解釈を通じて示される(第三章)。 以上が、『西田幾多郎』のおおまかな骨組みです。(小骨と、少なからぬ贅肉が付着していますが。)もちろん、こんなものを示したところで、概要説明にもなっていません。それに、肝心の第二章、第三章の議論が骨抜きになっている。しかし、そもそも哲学書を、それも永井均が書いた本を要約することなどできない(意味がない)のだし、第二章、第三章の議論は、いずれ私自身が西田=永井哲学から離れて、貫之や俊成や定家の歌論を肴にして「独立に」哲学をするときのためにとっておくつもりなのだから、いまのところはこれでよしとしておきましょう。 ■「開闢の奇跡」と「高度に抽象的な超越概念」 ところで、これまでのところで二回、いずれも『西田幾多郎』第一章の註の中の文章を抜き書きのかたちで引用しておきました。先に抜き書きしたのが「暗に独我論的」云々の文章、後で抜き書きしたのが「かなり複雑な事情」云々の文章。いずれも、『西田幾多郎』の中心主題や同書が解明をめざした事柄について言及したもので、「暗に独我論的」云々の文章では、「かなり複雑な事情」云々の文章でいわれているのと実質的には同じことが、非人称的な日本語的表現(自己意識なき意識)と人称的な英語的表現(意識なき自己意識)という、言語表現の違いの観点から述べられていました。 いや、「実質的には同じ」などと括ってしまったのでは、およそ哲学本を読むことの意義がほとんど台無しにされてしまう。実質的には同じように読めてしまう叙述のうちに重ね描かれた微妙な違い、いわば本質面での同一性と実存面での差異性を、微細に腑分けし、区別していかなければいけない。歌の評定評釈において、歌と歌の間の幽かな響きの違いを、細心の注意をはらって聴き分けていかなければならないように。 先の引用文(「暗に独我論的」云々の文章)にある「世界の内部に存在する個人」または「世界の中の個物」と対になるのは、永井語では「開闢の奇蹟」のうちに存在する「ある名づけえぬもの」で、このことについて、『私・今・そして神──開闢の哲学』では、永井均の「気分」や「感じ」の問題として、次のように述べられていました。
■貫之現象学と定家論理学 永井氏は、西田哲学における現象学と論理学を区別していました。 純粋経験から言語成立以前の無の場所へ、そして、言語の成立と「同時にしか指定できない」他者の成立、つまり私と(もう一つの私である)他者とが相並び立つ抽象的な客観世界の成立に関する議論へと向かう「西田現象学」。 そうして成立した言語的客観性の上に立って、「いかなる一般概念による規定をも超えた、真の個物」である「超越的主語面」と、無限の一般概念をもってしても規定できないもう一つの「存在者であるかぎりの存在者」、究極の「述語となって主語とはなりえない」具体的一般者である「超越的述語面」の一致へと、つまり言語的客観性そのもののあり方にかかわる議論(「概念によって汲み尽くされない「現実」の本性に関する議論」)へと向かう「西田論理学」。 永井氏はさらに、西田現象学と西田論理学は、相即的であり、リアルな接続性があるように見えるが、実はそうではなくて、論理学に対する現象学の優位性こそが西田的確信犯の特質であると書いています。 私の理解が間違っていないとすれば、永井氏が、直接に結合していない私と他人がなぜ「相理解」できるのかという問いに西田幾多郎が答えられなかったのは、そこに、「言語は、(客観的)世界そのものがそこから始まる基盤であるから、[他者の成立よりも]はるかに根源的である」という事情が介在しているからだと書いている、そうした意味での言語の成立をめぐる哲学的な問いをはさんで、現象学が優位に立つ西田的確信犯と、論理学が優位に立つウィトゲンシュタイン的確信犯が相対峙している、ということになるのではないか。 このあたりのことは、いわば「意識なき自己意識」に頼って書いているので、いったい何を考えているのか、それとも何も考えていないのか、われながら判然としません。判然としないながらも、以上の素材を使って、これから先、私が(取り立てて)考えてみたいと思っている事柄、というより現時点での仮説を大まかに示しておくとすれば、それは次のようになります。 非人称的な表現世界(暗に独我論的な世界)が、物(クオリア)と心(感じ、思い)の関係をめぐる紀貫之の歌論(〈私〉にかかわる「現象学的歌論」とでも、仮に名付けておこう)の世界に通じていて、そこから、人称構造を持った表現世界(かなり複雑な事情が介在する表現世界)が成立していく。それは、一方で、「経験の主体は常に世界の内部に存在する個人であるという事実を、言語表現の基礎にあらかじめ織り込んでいる」英語的表現の世界に通じていて、他方で、心と詞の関係、「自己意識なき意識」(物狂い=生きている実証思考)と「意識なき自己意識」(心なき身=生きている抽象思考)の関係をめぐる定家の歌論(同様に、《私》にかかわる「論理学的歌論」とでも名付けておこう。ただし、ここでいう「論理学」は「西田論理学」ではなくて「ウィトゲンシュタイン論理学」でなければならない)が告げ知らせる、もう一つ別の表現世界(虚構の、しかし動的な生命をもった主体=「詠みつつある心」による表現世界)に通じている。 以下、詳細に立ち入ります。 (03号に続く) ★プロフィール★ 中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。神戸在住。三ヶ月以上、一つのことに関心が続かない。それができたらきっと凄いことになる(たぶん)。 ブログ「不連続な読書日記」・HP「オリオン」 Web評論誌「コーラ」02号(2007.08.15) <哥とクオリア>第2章:貫之現象学と定家論理学(中原紀生) Copyright(c) SOUGETUSYOBOU 2007 All Rights Reserved. |
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