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■「暗黙の信号」としてのクオリア

 昨年来、永井均氏の『西田幾多郎──〈絶対無〉とは何か』を『花鳥の使──歌の道の詩学T』(尼ヶ崎彬著)と同時並行的に繰り返し読んでいて、これらの書物のあいだに、いくつか興味深い符合点が潜んでいるのではないかと思うようになりました。
 ジャンルの異なる二冊の書物──西田哲学(無の場所の哲学)の核心の上に、これとは「区別することはできない」永井哲学(独在性の〈私〉の形而上学、もしくはその論理−言語哲学版たる開闢の哲学)の核心を重ね描いた西田=永井哲学の「解説書」と、「日本美学の最良の遺産である歌論」のうちに、具体的には、紀貫之、藤原俊成、定家、心敬、本居宣長、富士谷御杖の歌論の読み解きを通じて、歌の心の所在とその表現(叙景、叙心)の様式をめぐる「和歌の思想」ともいうべき一つの思考のかたちの変遷を炙り出した美学研究書──の叙述が相即しているのではないか。さも、「われ発見せり」といわんばかりの口振りですが、でも、それは私の関心がそう思わせただけのことにすぎないのかもしれません。
 では、その関心とはいったい何かというと、一つには、坂部恵氏が「日本哲学の可能性」(『モデルニテ・バロック──現代精神史序説』、『坂部恵集2 思想史の余白に』)で、日欧の精神史的転換期の並行関係を念頭におきながら、「この時期[14−15世紀:引用者註]の歌論、連歌論、その他多くの芸道論の類には、日本におけるひろい意味での哲学的制作に今後活用されるはずの多くの精神史的リソースが眠っているだろう」と書いていたこと、いま一つは、養老孟司氏の「仏教における身体思想」(『日本人の身体観』)に、「西欧におけるキリスト教[抽象思考]の教義が、それに対する「解毒剤として」、結局は自然科学思考を産み出したように、仏教[日本における抽象思考]もまた、わが国固有の「実証思考」を産み出しても不思議はない」と綴られていたことに触発されたもので、要は、中世の仏教思想(あるいは、後に「からごころ」のうちに一括される中国の抽象思考)との確執を通じて産み出され、その後の変容を経て受け継がれていったわが国固有の「実証思考」たる歌論、そしてこれを起点とする連歌論や俳論、能楽論その他多くの芸道論の類のうちに、それとして自覚されない哲学的思考(たとえば、本来言葉にできない感覚質や情感や身体知のようなものの発生・伝達・消費・生産をめぐる、言葉による思考)の種のようなものが着床していて、それはある不可思議な深く冥い導管を通って、仏教思想や自然科学へ、そして西欧形而上学へ、とりわけ中世スコラ哲学におけるたとえば志向性やペルソナをめぐる議論、等々へと接続されていくのではないかというものです。
 なにやら荒唐無稽の大風呂敷(「東洋哲学全体に通底する共時的構造の把握」(井筒俊彦著『東洋哲学覚書 意識の形而上学──『大乗起信論』の哲学』)の向こうを張った、日欧精神文化史を横超する共時的構造の捏造)を拡げて、ひとり悦に入っているようですが、私自身はこのことを(「クオリアとペルソナ」の総題のもとで)気儘かつ大真面目に検索・探求していきたいと目論んでいます。そして、その手始めというか序奏、もしくは助走として、『西田幾多郎』と『花鳥の使』のあいだに潜んでいるらしい、いくつかの符合点を取り上げてみたいと思っているのです。

 もう少し、本題に入る前の口上を続けます。とはいっても、そもそもの発端となった歌論書のただ一つですらまともに原文で読みこなせていない有様ですし、仏教思想や自然科学の語彙語法はもとより、中世ラテン語にいたっては、はるかかなた視線すら届かぬ幽冥界に棲息しているも同然のことですから、以下の前口上は、未完どころか未着手の論考群にあらかじめ付された序文、初学者がいまだ自在に使いこなせない概念を喃語もしくは譫言で語る、といった意味での「仮名序」でしかありません。  堀田善衞が『定家明月記私抄 続編』の「拾遺愚草完成」の項に、「この歌論なるものについては、私は多くを言わないことにしたい」と書いています。

《これらの歌論を現代の日本語に直したのでは、論理の如きものは通せるにしても、そこに含まれている含意の如きものは、殆ど洩れてしまうにきまっているからである。(略)有心様だの長高様だとか幽玄様だとか言っても、それはもうどう説明をするにしても、現代日本語にはなじまないものである。それぞれの時代の文化は、それぞれの言葉に託された暗黙の信号を含むが故に文化なのである。》(ちくま学芸文庫,71-72頁)

 ここまで書かれてしまうと、始める前からいきなり気持ちが挫けてしまうというものですが、けれども、堀田氏自身がいま引用した文章のなかで「歌論なるもの」に言及している、ちょうどそれと同じやり方で現代日本語を使って歌論を云々することはできるわけだし、クオリアであれペルソナであれ、そもそも言葉では語りきることのできない「暗黙の信号」、つまり暗号をいかに詞でもって表現し、言葉(ロゴス)のうちに捕捉するかということが、歌論や神学の根っこのところに孕まれた困難な課題でもあったわけなのだから、ここはもう少し頑張ってみる価値はあるというものです。

■「詠みつつある心」と「詠まれた心」

 クオリアという暗号のうちに含意されたものを、いかに詞でもって表現するか。実に粗っぽい言い方ですが、つい先走って書いたこの論点こそ、歌論のうちに眠る「精神史的リソース」の一つとして、私が取り出してみたいと思っている事柄にほかなりません。
 言葉を補っておきます。物と心と詞の関係を考えると、まず、物と心の接触を通じて質感としてのクオリアが立ち上がり、そのような質感やこれに付着する感情を宿した心と詞のかかわり(心を詞で表現する、そして、詞のうちに表現された心が人に伝わる、もしくは新しい心を産み出す、さらに、詞による表現が伝統となり、「時代の文化」となる、等々)を通じて、美的体験としてのクオリアや、その担い手(後にいわれる「物のあはれを知る心」を備えた美的主体)が立ち上がる。そうした言葉以前の質感、あるいは言葉を超えた美的体験、いずれにせよ言葉では語りきることのできない暗号としてのクオリアと、詞による表現(歌の姿)との関係、そして社会における表現の伝統(歌の道)やこれを担う共同体のあり方を、歌を詠み出す現場に即して、それ以上に歌の良し悪しの評定評釈の現場に密着しながら、実証的に考え抜いた思考の累々たる成果。それが、私が理解するところの歌論にほかなりません。  たとえば、「事実上日本最初の歌論」にして「最初の文芸論であり、芸術論でもある」と尼ヶ崎氏がいう古今和歌集仮名序の冒頭に、「やまとうたは、人のこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心におもふことを見るものきくものにつけていひだせるなり」(講談社学術文庫『古今和歌集(一)』)とありますが、このよく知られた一文のなかで、紀貫之がいう「人のこころ」と「見るものきくもの」との界面に質感としてのクオリアが立ち上がり、「心におもふこと」がこのクオリアとこれに付着する感情を宿した心のことだと考えることができます。
 初学者が己の無知を省みず、くだくだと思いつきめいたことを書きつらねていくのは心細いかぎりですが、このあとに続く「花になくうぐひす水にすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける」を見ると、「人のこころ」といわれるときの心は、およそ「いきとしいけるもののうちに宿る心」の一種なのであって、「世の中にある人が心におもふこと」というときの心とは、その素性が異なるもののようです。
 というのも、「花になくうぐひす」や「水にすむかはづ」がよむうたはあくまで「こゑ」であり、「ことのは」によって造形されたものではないからです。つまり、そこでは物と心の区別といったことがそもそも成り立たず、したがって、うぐひすやかはづのよむうたは、見るものきくものに「つけて」(託されて)いいだされるものではない。それが、自覚され意志的になされるものであるかどうかは別として、なんらかの対象に向けた志向性を伴う意識現象として、いいだされる筋合いのものではないと思われるからです。
 そうだとすると、うぐひすやかはづの心は、やがて「ことのは」へと成長しうる「たね」としての人の心とも、そもそも違う種類のものであるというべきでしょう。(もっとも、うぐひすやかはづにとってうぐひすやかはづであるとはどのような体験であるかを、人であるこの私が、たとえば変身体験の報告のようなものとしてではなく、自らの言葉でもって直接的に書き表すことなど、本来できないはずですが。)
 こうして、広い意味での歌の心が分岐していきます。およそいきとしいけるもののうちに宿るいわば普遍的な心と、そのような普遍的な心に根ざししつつも、いずれことのはへと生長していくたねを宿した特異な生命種としての人の心、そして、人の世に日々「ことわざしげく」生きる人、たとえば実生活における歌人の思いを宿した心。また、「そもそもうたのさまむつ[六]なり」以下で叙述される歌の様式論(歌体論)の展開を通じて、歌に「詠まれた心」というものが自覚的に取り上げられることとなり、さらに、尼ヶ崎前掲書に収められた藤原定家の歌論をめぐる論考には、この詠まれた心を産出する能産的運動としての虚構の「作者の心」、もしくは「詠みつつある心」というものが登場します。

《「有心体」にいう「心」の所有者は、現実に生活を送っている(生活世界の)歌人その人ではなく、ただ詠作時に、いわば虚像として生ずる「作者」(詩的主観)にすぎない。そして「作者の心」とは、和歌の産出過程においてのみ生じている、虚構の、しかし動的な生命をもって「深くなや」むことのできる「心」である。我々はこのような「心」をとりあえず〈詠みつつある心〉と呼び、「詞」の意味として表現された「歌の心」を〈詠まれた心〉と呼んで区別することにしよう。即ち、「有心体」とは、能動的運動としての〈詠みつつある心〉をもって、所産的内容としての〈詠まれた心〉を産出するような和歌の様式である。》(153頁)
■心から言葉へ、言葉から他の心へ、という「伝導」現象

 この「虚構の、しかし動的な生命」をもった「詠みつつある心」は、どこかしら、デカルトの『省察』のなかで、「できるかぎり私を欺くがよい。しかし、私が何ものかであると考えている間は、かれ〔最高に有能で狡猾な欺き手〕は、私を何ものでもないようにすることは、けっしてできないだろう」(山田弘明訳)と語る「私」を思わせるところがあります。しかし、このことは、また別の問題(私が理解するかぎりでのペルソナ問題)にもかかわることですから、これ以上は立ち入らず、ここでは少し寄り道をして、堀田前掲書の「定家、後鳥羽院の勅勘を蒙る」の項から、関連すると思われる箇所を抜き書きしておきます。
 後鳥羽院御口伝に、「景気もことはりもなけれども、いひながしたることばつづきのいみじきにてこそあれ」とある。これは定家批判の言葉である。後鳥羽院は、和歌の本性は和すること、とりわけ君臣の間での、また宮廷文化におけるコミュニケーションの手段たることにあると考えていたからである。

《それが、他が和するため、あるいは和して行くための「景気もことはりも」ない、優雅な社交性を喪失した、従って頽廃と衰弱の感を、濃厚なデカダンスを伴ったものとなって行けば、「いひながしたることばつづきのみいみじきにてこそあれ」だけになってしまい、つまりは定家自身のみの、孤独な、定家個人の歌になり、そこにとどまる。君臣の間どころか、宮廷文化としての共同性をも喪失して、そこから抜け出し、定家の歌は孤立してしまう。(略)個人個人が、宮廷文化の規範、イデオロギーを離脱して、自由にその心境を歌うということになれば、それはもはや和歌ではない。ということは、和歌はすぐにもパロディ化することを意味する。一層の遊戯芸能化であり、パロディ化はすでに連歌として開始されてしまっているのである。しまいには、連歌と盗人は夜がよい、などとまで言われるようになるであろう。》(132-133頁)
 歌と連歌の乖離については、後に心敬が、連ねる歌はやまと歌の道とおなじ道にあるものなのに、「近來ひとへに歌の心をうかゞひ知らぬ人の、二つの道に思ひ分けたるより、連歌の眼は失せて、ただふつゝかに並べおきたる物に成り行き侍り」(『さゝめごと』上巻)と、和歌連歌同一の説を説くことになるのですが、そのことについてはここでは触れません。というより、いまだ古今集仮名序あたりをうろうろしている段階では、これ以上書くことができないというのが実情。
 また、堀田善衞の文章に出てくる定家の歌の「孤独」「孤立」を、宮廷詩人貫之の自撰本家集における「孤心」(大岡信『うたげと孤心』)につながるものとみてよいものなのかどうか、はたまた、「神なしの自律という、近代個人主義の根拠ともなった」(八木雄二『「ただ一人」生きる思想──ヨーロッパ思想の源流から』)とされるドゥンス・スコトゥスのペルソナ論と比較してみることに、なにがしかの意味がありうるのかどうかも、この前口上で、通りすがりに取り上げるにはやや荷が重い事柄です。
 それらのことは今後の宿題としておいて、ここでは、歌の心といわれるものが、森羅万象のうちに宿る心から個人のうちに宿る心、はては虚構の主体の心まで、実に様々に分岐していくこと(いわずもがなの蛇足を加えると、詠まれた歌はこれを耳にし、目にする者の心を、それがどのような仕組みによるものであるかはよく判らないものの、なぜかしら深く動かし、そこに「読者の心」という、もう一つの動的な虚構の生命を立ち上げていく)、そして、それら幾重にも分岐したそれぞれの心にそれぞれのクオリアが、時にありありと、鮮やかに、また生き生きと、明晰判明に、あるいは生々しく、切実に、時にアウラやヌーメンやテオスの如く神々しく、密接不離の不可思議の関係(心が先かクオリアが先か、等々)をもってかかわってくることを強調しておくにとどめます。
 そうした様々な様相を帯びたクオリアが、言葉ないしは詞(クオリア憑きの言葉とでも定義しておきましょうか)のうちに表現されていく。いや、むしろ、心という「たね」の生長とともに言葉や詞へと結実していく。しかも、言葉や詞のうちに表現されたクオリアが他の心に伝わっていく。そうした、心から言葉へ、言葉から他の心へという「伝導」の現象を抜きにしては、そもそもクオリアをクオリアとして、論じることはもとより感じることさえ実はできないのではないかとも思われる(クオリアが先か言葉ないしは詞が先か、等々)。
 私が、クオリアという概念を、よくいえば豊穣な、悪くいえば多義的で曖昧なかたちで使って、しかも、歌の詠み出しやその評定評釈に即した(自然科学とは別の、もう一つの)実証思考に注目しながら、考えてみたいと思っているのは、そのような問題についてなのです。

■「主体」の成立という事象

 ペルソナもまた、豊穣かつ多義的な概念です。これは、クオリアの場合とは違って、私の理解や概念規定が曖昧だからそうなるのではなくて、ペルソナという概念の出自と帰趨自体からくるものです。
 ラテン語のペルソナは、三位一体の神の三つの「位格」(父・子・聖霊)を示す語として採用されるはるか以前から、劇場での仮面や劇中の人物、文法上の人称などの意味をもつ語として使用され、キケロ以降、法的人格や社会的役割、人柄、さらに抽象的な「人間」(英語の person につながる)など、その意味を広げ今日に至っている。これは、坂口ふみ著『〈個〉の誕生──キリスト教教理をつくった人びと』からの受け売りです。
 ところで、この書物には、東方ギリシア語圏のキリスト教神学では、神の三つの位格を示す語として「ペルソナ」ではなく「ヒュポスタシス」が使われていたことが記されています。この、プロティノスが好んで使った語は、「下に立つ」という意味の動詞から生じた名詞(ラテン語 substantia の語源)で、その古い意味に「液体の中の沈澱物、固体と液体の中間のようなどろどろしたもの」があります。このことを踏まえて、坂口氏は、「ヒュポスタシスは比較的新しいヘレニズム・ギリシア語で、存在のアクチュアリティー、実存、といったニュアンスをもち、動的はたらき、流動のうちのいっときの留まり、という性格をもつ」と書いています。
 では、これらまったく出自を異にするする二つの語が、西方キリスト教神学においてなぜ等置されることになったのか。『〈個〉の誕生』は、古代ギリシャから中世キリスト教世界へと響き渡る微細な「歴史の倍音」の聴き取りを通じて、ギリシャ語のヒュポスタシス(沈澱・基礎)とラテン語のペルソナ(仮面)の等置という「概念のポリフォニー」が生じるに至った経緯を、余すところなく描ききっています。その詳細に立ち入ることはできないので、ここでは、ヒュポスタシス=ペルソナという多義的な概念が孕むことになった、豊饒かつ多様なその後の思想的展開に説き及んだ一節を、長くなるけれども加工や省略の手を入れずにまるごと抜き書きしておきます。

《なぜ沈澱イコール仮面なのか? それはさきに述べたように、「沈澱」は流動する存在の流れのうちのいっときの留まりであり、仮面は舞台と劇のうちの一役割であり、共に交流の一結節として存在をもつものであり、しかも共に、この時代には「個存在」の意味をもつ語であったからだということは、すでに述べたとおりである。これは静と動を併せ、個存在と交流を併せる、矛盾と多様をうちに含む概念であった。さらにその「動」「静」「交流」「個」はヒュポスタシスでは存在的・宇宙的なもの、ペルソナでは社会的・人間的なものであった。このようにして、この概念ほど包括的なものはまたとないような概念が生じてきた。
 広義な概念はいくらでもある。しかし、うちに矛盾を含むことをその中核とする概念というのはめずらしい。ヒュポスタシス=ペルソナという概念はまさにそういう概念である。しかしこれは、その由来、つまりキリストという複雑で逆説的な存在を言いあらわすために生じてきたということを考えれば、当然なことである。そしてこの、矛盾を本質とする、しかも、人間的・宗教的要請の筋金で一本太く貫かれている概念が、キリスト教を母体とするヨーロッパの思想の営みに(意識的・無意識的に)与えてきた影響は絶大なものがあると思われる。ヨーロッパ思想の胚種、原動力、ストアなら種子的理性〔ラチオ・セミナーリス〕とでも言うだろうものが、この名で呼ばれているのである。
 この概念はまったくの空虚とも解されうるし、また逆に存在と生の充実そのものとも解されうる。「本質」や「構造」を人間の内実と見る立場からは、どうしてもそれに解消されきれない残渣、どうしても本質からは説明できない存在性という、理論にとっての必要悪、じゃまなものであり、学問の枠からはみ出る傍若無人な、計算できない厄介者である。
 他方逆の立場からは、それは世界の存在の根源であり、人間の人格性や自由の源であり、理性的・情意的なあらゆる活動の源でもある。アウグスチヌスによって、内省のうちにあらわれる「わたくし」ととらえなおされたこのものは、デカルトのコギトを通して、カントの空虚な先験的主観の統一のはたらきにもなっていった。これはヒュポスタシス=ペルソナの一つのすぐれた解釈と言えよう。フッサールの「超越論的主観性」もこれを受けつぐものであることは言うまでもない。
 人間の芯であり、全存在の芯でもあるこのものは、ポジティヴに見ればあらゆる限定を超え、あらゆる限定を統合・包括するもの、「存在の充溢」でもあり、ネガティヴに言えばまったくとらええぬもの、「無」「空虚」「残渣」でもある。
 「わたくし」の主観の集約をもたらしたこのものは、また、「非−わたくし」的な、私の意識を完全に超える、意識的、または無意識の、宇宙的な生と存在の流動とも解されうる。したがってこれは個別者とも考えられるし、全体とも考えられる。ネオプラトニズムのヒュポスタシスはまさしくそのようなものであり、キリスト教のヒュポスタシスもその色を濃く保っている。とくに東方ではこの傾向が強かったことも、何回か述べてきた。
 さらにこの生と存在の流動も、一方では欲望や欲求やリビドーの流れとも解されうるし、他方ではエラン・ヴィタールのようにも解されうる。人間を動かし、支え、生むものとして、ヒューマニズムの根にもなりうるし、理性的で意識的であるはずの人間の本質とは異なる、形なき流動として、反ヒューマニズムの根を形づくることもできる。
 同様に、自でもあり他でもあるこのものは、レヴィナスのような「絶対的他者への開け」の考えを支えることもできるし、逆にすべてを呑みこむ同一的なエネルギーの思想を生むこともできる。「わたくし」として一回きりの顔をそなえたものでもあり、また顔なきエネルギーとも解されうる。理性を生み、まず理性と結びつくものとも考えられる──理性の普遍性・交流性をペルソナのそれの中心をなすものとしたトマスのように。しかしまた、多くの近代の生や物質や欲望の哲学のように、理性に反するもの、理性をあやつる力とも考えうる。
 それぞれ細かく差異化され、時には正面から対立するようにみえるこれらの諸思潮に、しかしきわめて大まかに見れば共通の構図が一つないだろうか? そのときどきの限定と制約と固定化への異議申したてという「ビザンツ的インパクト」がそこに働いていないだろうか? そのインパクトはしかし、「本性」や「構造」や機構を否定的に超えると共に、それらを自ら創り出すものでもある。それはすでにネオプラトニズムの体系がそうだった。キリスト教の神も、もとよりイデア世界・物質世界の創造者であり、キリスト教はこのとらえがたい個の概念を基本にして、あれほどのスコラの体系と、強大な教会の制度・組織を造ったのだった。》(280-282頁)

 これほどまでの壮大さと射程の奥深さをもった文章を目にしたら、あとはもう、ただひたすら反芻・玩味・検証し、沈黙のうちに撤退するしかなすべきことはないのかもしれませんが、あえて言葉を紡ぎ出すとすれば、ここには、クオリアをめぐる問題と同型のものが、とりあえずは「主体」の成立と呼んでおいてさしつかえのない事象をめぐって、生じているのではないか。すなわち、「キリストという複雑で逆説的な存在」あるいは「とらえがたい個の概念」(ヒュポスタシス=ペルソナの概念)という、言葉を超えた暗号をいかにして言葉(ロゴス)のうちに捕捉するか、という困難な課題が潜んでいるのではないかと思うのです。

 話が脇へそれるようですが、私は、独在性の〈私〉をめぐる永井氏の論考に接するたびに、神秘感の伴わない神秘体験と形容するしかない、ある独特の抽象的な感覚(語義矛盾をきたしていますが)におそわれたものでした。私自身は、そのような感覚もしくは感触を「哲覚」と名づけて、大切に培養していきたいと思ってきたのですが、この哲覚もまた一つの心(思い、感じ)であり、そこには名状しがたいクオリア類似の暗号体験(クオリアを伴わないクオリア体験とでもいっておきましょうか)が孕まれているはずです。
 神学(テオロギア)とは弁明(アポロギア)であり、弁明されるべきは神の存在であり、神にして人であることの背理であり、一にして三のペルソナをもつことの背理である。そうだとすると、そして、独在性の〈私〉を仮に〈ペルソナ〉になぞらえるとすれば、永井氏のいう「開闢の哲学」(独在性の〈私〉の語りをめぐる一種の言語哲学)は、空虚にして充溢、個別者にして全体、自にして他、等々の巨大な矛盾を内包した語りえぬ〈ペルソナ〉をいかに語るか、あるいはそれがいかにして語られてしまうのか、また、語られることによってどのような構造や機構(人称世界)が造られていくのか、といった問題をめぐる「永井神学」の別称なのではないか。私は、おぼろげながらそう考えています。

■歌論、能楽論の類に接続するための伏線として

 さて、永井均の名前が出たところで、この長すぎる「仮名序」をそろそろ切り上げて、冒頭に予告しておいた話題(西田=永井哲学と歌論の相即関係)へ移るべきなのですが、その前にいま少し、引用癖に促されるまま、ペルソナをめぐる問題を歌論、能楽論の類に接続していくための(さしあたっては使い道のない)伏線を二つ張っておきたいと思います。そうしておくことで、いずれは、私が本当に考えてみたいと思っていること(考えているのはそもそも誰なのか、思い、感じているのはいった誰なのか、それが私であるとして、それはいったいどの私なのか、等々)への接続をもはたすことができるのではないかと思うからです。出典は、川田順造著『聲』の第17章「声とペルソナ」です。

《声とのかかわりで、ペルソナの単子性、重層性について考えてみよう。それは、本書のはじめから断続的にとりあげてきた語りの人称の問題、声を発しているのは誰なのか、声がさしむけられ、またその声で存在を与えられ、あるいは強められているのは誰なのかという問いに戻ることでもある。語源からして、ペルソナ(仮面)は、「音(声)によって」(per son)声を発している主体を認知させることにかかわっている。
 声を発している“私”は、あくまでも醒めている。そして声のさしむけられる相手と対話し、第三者を指示する──それが「近代的」理性に最も適合する、声とペルソナのあり方であろう。だが、これまでも見てきたように、もっと不定形[アモルフ]なコミュニケーションの場や、非単一指向性の発話、あるいは真の宛て先[アドレシー]にはさしむけられていない発話、他の人称のとりこまれた言述などのいりまじる中にあって、一、二、三人称のペルソナを単子として想定したコミュニケーションを、「純粋」ないし「標準的」とみること自体が、「近代的」偏向の所産とみなすべきかもしれない。
 単子化されえないのは、発話者の人称だけではない。声をさしむけられることによって、それを受ける者の人称もまた変質する。》(ちくま学芸文庫,241-242頁)

《超常界のものが発話者の口をかりる一人称の語りが、能、とくに夢幻能の後ジテの語りにいかに緊迫感を与えているかは、つとに横道萬里雄、表章が指摘しているが、ペルソナと語りの人称の融通無碍な性格が、能ほどあからさまな領域もないだろう。地が感情移入してシテの人称でうたったり、掛ケ合でワキとシテが融合するなど、人称の離合が自在であるだけでなく、死者や霊界、植物、動物、果ては雪や山の精と人間との主体の変換も、ごく自然に行なわれる。(略)
 このような能の表現に接していると、まず単子としてのペルソナがあって、その交錯や変換が起っていると考えるより、自然界に包みこまれた未分化の人称的世界に、登場人物や、元来の意味でのペルソナである面によって、かりそめの切れ目が入れられて物語が進行しているとみる方が、妥当ではないかと思えてくる。》(245-246頁)

(02号に続く)
★プロフィール★
中原紀生(なかはら・のりお)1950年代生まれ。神戸在住。三ヶ月以上、一つのことに関心が続かない。それができたらきっと凄いことになる(たぶん)。
ブログ「不連続な読書日記」HP「オリオン」

Web評論誌「コーラ」01号(2007.04.15)
<哥とクオリア>第1章:「クオリアとペルソナ」仮名序(中原紀生)
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