奥駆け道 釈迦ヶ岳から行仙岳往復(2)

2020年5月6~8日(洛西オヤジ No.255)

行仙岳山頂。念願の奥駆け全踏破です~


2020年5月6日~8日   洛西オヤジ

アクセス:
・京奈和自動車道―奈良市内―京奈和自動車道五条インターR168(十津川街道)-田長瀬トンネル南出口交差点(釈迦岳登山口案内あり)― 関電奥吉野発電所―太尾登山口(峠口登山口)

コース:
・前日5日登山口車中泊
・5月6日(午前中薄曇り午後曇り夜間雨)
太尾登山口―千丈平―釈迦岳―深仙小屋―大日岳(行者鎖にどうしても挑戦したかった)―太古の辻―南奥駆け(山やポイント多く割愛)-持経ノ宿(心ならずも宿泊)


・7日(一日中快晴)
持経ノ宿―南奥駆け(同じく割愛)―行仙岳―折り返し戻りますー持経ノ宿―般若岳と地蔵岳の間でビバーク

・8日(早朝だけ晴れ間ありその後曇り
ビバーク地―南奥駆け太古の辻を経てー再度釈迦岳山頂経由―千丈平―古田の森―太尾登山口






・初心者オヤジ時節柄不謹慎極まりないとは承知乍ら積年の思い断ち切りがたく、奥駆け道 釈迦ヶ岳から行仙岳往復、老骨に鞭打って行ってまいりました。もちろん自宅からNONGETOFF登山口まで。





 ■7日

 おはようございます。5時に起床夜半雨の音にウトウトとしながら気が付きました。でも予定どうりビバークしていたら辛い事になっていたと思います。高級ホテル並みのありがたさです。今日はここに(持経の宿)リュックをデポり、サブリュックで行仙岳まで往復の予定です。

 所で朝一からセコイ話ですが、小屋の使用料協力金は2千円以上でお願いしますとなっています。オヤジ万札は20~30枚あるのですが(なにイチビッテ書いてんねん)千円札一枚500円硬貨100円硬貨かき集めて箱に入れました(万札入れたらええやんか、それぐらいの値打ちあったやろ)そうなんですが家には年金暮らしで老いたる両親や乳飲み子が待っているので(アホカ、朝からしょうもない)硬貨入れたとたんに箱がピーピー警告音、慌てました。

 どないしょうこのまま鳴りっぱなしやったら、オロオロ、硬貨ではアカンとゆう事なんかなあ~(そうや、けち臭いことすんな!とゆうことや)しばらくすると鳴りやみ、ヤレヤレ、朝一から度肝抜かれました、熊に遭遇するよりビビリました。

 さて行仙まで往復は水一応2Lラーメンは炊かず行動食で、貴重品etcなど5Kほどのサブリュックでスタートです。昨日とは偉い違い(飛ぶようにあるけたやろ!)理屈ではそうなんでしょうが中々現実は相変わらずヨタヨタと6時過ぎにスタート、老いぼれ歩きは変わらずです。

 ピークは一応転法倫と倶利迦羅で行仙になりますが、もちろん昨日と同じくアップダウンは緩やかながらいくつもあります。ただ今日は天気が朝一からズーとピーカン気分は上々ルンルンで進みます。段々奥駆け道も標高が下がり木々の植生も変わり雰囲気が又変わってきます。

朝日を浴びる持経宿 先ずは林道をすすんでいきます
林道分岐です 分岐から10mで奥駆け道取りつき
台高山脈の南の方 お~こんな案内も世界遺産の影響?

 先ずは小1時間ほどで平治の宿にトウチャコ~、ここも新宮山彦さんの管理下にある小屋です。平治の宿は(面白い事に靡きでは平地宿21番)となっています。この宿はは宿跡から山彦グループさんが復活させて現役になりました。ここに今西錦司先生の記念植樹を見ます、しかし今西錦司先生とゆうのは本当に沢山の山に足跡を残されています

案内の表示も変わってきました 平治の宿にトウチャコ~
今西錦司先生の記念植樹 平治宿から転法輪岳へ向かいます

 リュック軽く何とかコースタイム通りで進めています。ところで平治宿から行仙岳のあいだ転法輪岳とか倶利迦羅岳とか由緒あるネーミングの山がありますがなぜか靡きではありません。唯一役の行者が如法経を埋めたとされる怒田宿跡が靡き20番で平治宿からここまでありません。そして行仙が19番です。

植生がだいぶん変わってきました 転法輪岳
もう鎖は堪能しましたので無いほうに 倶利迦羅岳

 チンタラヨタヨタ、ようやく行仙が目の前に現れ怒田宿跡を過ぎると行仙への登りが始まります。以前白谷から行仙にとりついた時には、もっと厳しい登りを上がってくるのかな思っていましたが階段状の道が整備されて(古いですが)案外楽に着きました。9時半ですので何とか通常通りの歩きが出来ています。

まだピンクのヤシロ? 正面に行仙岳が見えます
この鮮やかさは心惹かれます 怒田宿跡は靡き20番
行仙への登りです お~電波施設の頭が見えました~

 やっと念願の吉野~本宮つながりましたあ~(何年かかってんねん)すみません、まあこれで冥途への土産が出来ました。(修験の人は毎年行ったはるねん、大層にゆうたらアカン)。とにかくカーチャンにライン動画連絡、「なんやどないしたん、どこ?たいしたことないな~」、まあ達成感はどんな場合でも本人しかわかりません。

 写真だけ撮ってそそくさと戻ります。そうそうここまで書くのを忘れていましたが昨日から、釈迦岳山頂で3~4人の登山者、以後今まで誰にも出会いませ、ん静かな静かな南奥駆けです。(よかったなあー小屋にも泊まれたし、同宿者いたらこの時期お互い気を遣うもんなあ~)。

 本当に、ありがたい事に天気は最高、気持ちにも余裕ができたのでしょうか、昨日は見えなかった遠くの峰々を見ながら又花の写真なども撮りながら戻ります。実は午後からはえらい事になるのですが今は達成できた安ど感からチンタラ、チンタラ、ご機嫌で戻ります。

 完全往復ですのでダブル写真、コメントあろうかと思いますが(辛気臭い!さっさと進め!)といわれれますので一気に持経宿まで写真だけで進めさせていただきます。(そうそう、写真もいらんで~)。

 やっと林道に戻ってきました。林道に降ります。正面10mほどで林道合流ですがなぜか何も考えずに左に100mほど進んで慌てて戻ります。(いよいよ来たか痴呆が)。持経宿に戻ってきました。13時半予定では14時ぐらいになるかなあ~と思っていました。右が水場への林道水場から先は行き止まりだそうです。

ちょっと余裕出来て花などを ありがとう。何とか
作業の人は何處? 平治の宿に戻ってきました
中尾根分岐 山彦グループさん認定
林道に戻ってきましたあ~ 持経宿に戻ってきまし

 さて持経の宿に戻って再度リュックを作り直します、さ~又水です、途中ビバークは決定していますのでギリギリ3L、明日の深仙の宿の香精水もあの出方ではあてになりませんし、千丈のかくし水も同じくです。どちらかで補給できないと辛い事になります。14時ころに宿を出発リュックは結局5Kから20K以上です。いきなりクサリがある阿須可利岳への急登です。昨日ヘロヘロで降りてきたクサリ場今日はヨレヨレで登ります。

さ~戻りまっせ~ 今日はヨレヨレで登ります

 アカン、シンドイ、死ぬ~(ゆうとれゆうとれ、午前中楽しすぎてるんや!)何とか阿須可利をやっつけましたが(何戦ってんねん)証誠無漏でバタ~ンアカン、ダウン(ご苦労さん、そのままお陀仏になっとき周りには仏さんも仙人もたくさんいやはるで)一本立てるとゆう次元ではなくヘタレこんで10分以上遠くに続く峰々に己の人生を思い浮かべて(何をしょうもないことごちゃごちゃ御託ならべてんねん、くたばるんかい先にすすむんかい)戻らなしょうがない。

天気だけは元気に晴れて 証誠無漏岳に戻りました
昨日は全く見えなかった峰々(東南方面) ここでやめるかとも思いましたが(涅槃岳)
正面笠捨山みたいです
傾いた日にピンクが鮮やかです

 まあ何とかリュックの重さにも慣れて又ヨタヨタと進みます。さて忘れるところでした(忘れ時宿題やろ)靡きの順番は順峰で1番から(本宮証誠殿)順番に75番吉野柳の宿になりますが、昨日の写真に見られる通り22番持経宿の次に24番涅槃岳そして23番乾光門と順番が違っています(えらい事にこだわるねんなあ~)なんでやろなあ~寝られへんなあ~(寝んといたら~)。

 そうなんです~ぼちぼちビバーク地を決めないと、出来たら見晴らしよく(初心者やのうー風吹いたら知らんでー)携帯つながるところ、ここにしょうかなあ~。もうちょっとええとこあるかなあ~(辛気臭いさっさと決めんかい!)結局般若岳と地蔵岳の間の平坦な草地でツエルトビバークとします。

時刻はもう18時前、今日はここでービバーク!

 昨日のタイサン木?かな、珍しい木のある地点です。携帯かろうじてつながります。時刻は18時前リュックの中身をほり出して残りの食料確認、バランス悪いですね~調理するには(調理とは言わんのや)すべて水がいります。ラーメン炊いている時に夕日が高野山?護摩壇山?の山脈に沈みました。

 お腹が減っていたのでラーメン、とコースープにお餅入れて(水使い過ぎやー)夢中で食べていましたがふと後ろ(東の方)を見るとなんと、なんと、満月が、残念月の出は気が付きませんでした。だいぶん稜線から上に登っています。奥駆けや月は東に日は西に(菜の花や~やろが!)。

おなじみツエルト泊です 残りの食料ラインナップ
夕日が沈みます。18時48分 反対東にお~満月~

 食後ツエルトに潜り込んで(着込むだけ着込んで)カーチャンに連絡結局今日も12時間ほどヨタヨタ歩きました。明日は又水が心配ですが(バテテ結構飲んだ~)明日は明日の風が吹く~おやすみなさいー。



【 記:洛西オヤジ 】