佐々里峠から北の尾根道
(小てつ No.132)


 
かみなり杉は健在


令和元年10月22日(祝)  くもり(ガス)    嫁、小てつ

コース:
佐々里峠 峠の広場にデポ~P840~P832~かみなり杉~バイケイソウの鞍部~P911まで  ピストン





 令和天皇即位の礼ということで祝日となり、その日には夫婦でどこかにと言っていたのだが、あいにく週間天気予報はかんばしくなかったものの、前日夜には雨は夜半までということで、ドライブだけではなく山歩きもしようとなった。

 紅葉にはまだ早いことは日曜日の駒ヶ岳でわかっていたが、佐々里峠からの尾根歩きなら、久しぶりに山を歩く嫁もしんどくないだろうと行き先を決める。早く出ても雨が残っているかもと、少しゆっくりして7時半に自宅を出発。

 行き先が佐々里峠なら、おかみさんにおみやげと、いつもの「とようけ茶屋やまもと」によってソフト豆腐とおあげさんを仕入れて、周山回りで広河原に向う。

 9時過ぎに広河原に到着し、おかみさんの家の方に車を停めると、音でわかったのかおかみさんが出てこられ、「あらぁ~久しぶり」となる。今日は開けてますということなので、帰りによりますと峠にあがる。広場に駐車して準備をし、9時半前に出発となる。

 さてここで・・、先生やオヤジ殿にたいそうに書かれているが、小てつが患った病はそんなに大げさなものではなく、オヤジ殿のバイク事故に比べたら痒い程度のもの。ただ、出血がひどくて医者に「体の血が半分しかない」と笑われるほどだったので、回復するのに時間がかかってしまった。

 ルパン三世は、たらふく食べて寝たら、翌日にはお城で大暴れできたのに、小てつは造血剤をひと月飲んでやっと成人男子の最低限レベルに回復できた。それまでは、立ちくらみとひどい息切れで、とても山など行けたもんじゃなかったという次第。ただおもしろい発見もあって、「血が少ないと蚊に刺されない」ことがわかった。腕に蚊がとまっても刺そうとしない、まるで枯れ木にでもとまっているかのようだ。この発見を山ビルでも試したかったのだが、あいにく貧血で歩けないものだから実験できなかった・・。残念  山紀行に戻ろう。

 佐々里峠から石造りのお堂のある方の崖を登っていく。この最初の取り付きに置いてあるアルミ製のハシゴ、これは「よもやま話」で小父さんと書いている北山では有名なOさんと一緒に設置したもの。(よもやま話No28)当時、ここにハイキングに来た小学生が、ここの崖を転げ落ちたというので、仕事で使わなくなった足場用のハシゴを運んできて取り付けた。もうあれから10年が経ち、相当くたびれてきている。小てつと嫁は、これに頼らず取り付いていく。(取り付けた本人が頼りにしていないので、皆さんはそのへんをよく考えて自己責任で・・)外せよ~!ってか。

峠広場にデポ 佐々里峠から取り付く
小父さんと設置したハシゴ クリタケ

 登りはじめるといきなりブナの巨木が現れ、ここが深い山の中であることをわからせてくれる。それに今日は雨上がりで、キノコの山になっている。

 またまた話がそれますが・・、オヤジ殿が武奈ヶ岳御殿山コースで見つけたと書いていた「ナメコ」。あれはナメコではありません!いったい何回持って行ったら見分けつくねん。やっぱり一度猟に連れていかんとアカンのかなぁ。

ホコリタケ マスタケ

 峠から南側の尾根道と違い、ここの踏み跡ははっきりしている。以前は見落としやすいと言われていた、小野村割岳への尾根道と灰野に降りる道との分岐にもライオンズクラブの杭表示が立ち、わかりやすくなっていた。

トチノキの鞍部にも今年の倒木 先日の台風による倒木

 P840までが頑張りどころで峠から30分ほど、ここからが稜線歩きとなる。今日は北風で、芦生の方からガスが流れてくるのが見える。雨粒は向こうの山で落ち切って、こちらにはガスだけくるのでありがたい。ガスの切れ目に陽の光が差し込み、そこだけ少し進んだ紅葉の色が出て美しい。写真には撮れない、行ったものだけが味わえる景色。

 尾根の広くなったところ、狭いところ、あまりしんどくない程度のアップダウンを楽しみながら進んでいく。ここは城丹国境尾根よりも倒木がマシだと嫁が言う。たしかに倒木はあるものの、行く手をさえぎるような倒木帯はない。「かみなり杉」も「エイリアンの木」も無事だった。

エイリアンも健在 サンコタケ(初めて見た)

 昔「バイケイソウの鞍部」と呼んでいた「南尾根分岐」の地点は、もはや「シダの鞍部」か「クサギの鞍部」呼び変えた方がよさそうなくらい。夏場に小野村割岳の方から来たら、間違いやすいやろうな~。

 ここからP911までも頑張りどころ。ここの登りで、それまで調子良くついてきていた嫁が遅れ出す。片方の足も引きずっているように見える。時計を見ればもう昼前。別段小野村割岳のピークを目的にもしていないものだから、(火事跡の痕跡を見るのもつらい)P911を今日のピークとして、ここでお昼にして帰ろうとなる。

 P911の大杉を背中に風避けとして、バーナーを出して湯を沸かし、豚汁とおにぎり、おさかなソーセージでお昼にする。デザートに、日曜日に持って行くのを忘れた「栗ようかん」を食べる。30分ほどゆっくりしてたつ。降りだからか、お昼を食べたからか、嫁の調子も戻り、普通についてくる。(ただのシャリバテだったか???)朝よりもガスがひどくなり、風も強くなってくる。

 行きしなに、こんなに寒くなってきたのに、こんな尾根の木にしがみついているアズマヒキガエルを見つけたのだが、ずいぶん時間も経っているのに5cmほどしか動いていないと嫁が大ウケしている。むこうからしたら、こんな天気によく山歩いているわ、物好きなと思っているだろう。

尾根にヒキガエル 悪名高きツキヨタケ

 この尾根道を幾度かガイドしてた時に紹介していた「大地の母なる木」。倒木が腐朽して、土に戻り、また生えてくる次世代の養分になるという意味で命名したのだが、あまり腐朽は進行していないようだ。それから考えると、三国ヶ岳なんかでよく見かける、Ωの木なんて、いったい何年かかって出来あがっているのか想像できない。

大蛇ブナ 大地の母なる木

 2時半過ぎに峠に帰ってくる。広場には「美山自然文化村」と書かれたバスが停まっていて、中で運転手が一人待機していた。ガイドツアーでもやっているんだろう。

 帰り支度をやっている最中、一台のバイクが広河原方向から佐々里方向に降っていったなと思ったら、嫁がワアワア騒ぎ出す。見るとそぐそこの車道を、7、80cmくらいの黒いかたまりが横切って行くのが見えた。尻尾もなかったからおそらくクマに間違いないだろう。嫁は子熊で、近くに親熊がいると言うが、ここらの熊はエサが少ないから、あれで大人だと思う。最後に事件。

 峠を降りておかみさんの店による。駐車場に車を入れると、母屋の方から「今行きま~す」と声がかかり、お店の方に来てくださる。弓なりにそったテーブルとテーブルの隙間にひとつ置かれた丸太椅子、ここがOさんの定位置だった。今日はそこに座らせてもらってコーヒーをいただく。おかみさんとお互いの病気の話などして盛り上がるが、嫌やねぇ歳を感じますこと・・・。ひとしきりお話して帰るとするが、奇しくも今日は鞍馬の火祭だったそうで、はじめから周山街道で帰るつもりだったから良かった。

 帰り道の瓦葺きの元藁葺き屋根を見て、おかみさんのところの母屋の屋根の鋼板張りが立派だと、しきりに感心する嫁。今日は途中舟こぎもせず、晩ご飯の仕入れもして帰りました。


 *よもやま話の主人公でもありました、京都北山では有名な佐々里峠のOさんが、このお盆前に逝かれました。こちらにもたくさんお友達のいらした方ですが、先に逝かれた御悪友もたくさんいらっしゃるので、さみしい思いはしておられないと思います。ご冥福をお祈りいたします。


                           【 記: 小てつ 】