奈良奥駆け 大天井ヶ岳


どうにも喉の奥に小骨が引っ掛かっているような
風呂に入って髪の毛洗うのを忘れたような(なんやねん)

初心者オヤジ前回の吉野から山上ヶ岳への歩きで
大天井ヶ岳への古道をスルーしたのが悔しくて
(はは~ん老いぼれの意地ゆう奴やな)
親父の山歩き報告(NO.194)


 
相撲でもとるの?
大天井ヶ岳 山頂


2018年10月9日(火)    洛西オヤジ

アクセス:
・京奈和ー奈良市内ー橿原ー天川ー洞川温泉ー毛又大橋ー林道高原泥川線ー五番関トンネル大天井岳登山口ー帰路は川上村に出てR169で大淀、大和高田、京奈和で帰宅。


コース:
五番関トンネル登山口ー五番関(女人結界)-大天井ヶ岳ー百丁茶屋跡(二蔵宿小屋)完全往復




 こんにちは洛西オヤジです、前回(前々回やろ)吉野から山上ヶ岳への奥駆け歩きで古道で大天井ヶ岳に行かなかったことが、どうにも夢見が悪く(大層なやっちゃなあ~)。とゆうのも奥駆け歩きの初日のハイライト部でそこをスルーしたら画龍点睛を欠くとゆうか(えらいまたむつかしいことゆうな~皆さん気にしたーらへんで)まあ自己満足するために大天井ヶ岳を目標に出かけることにしました。

 朝早くに出るつもりが又寝坊してしまい「え~もう5時回ってるで~」「アカンがな、アカン奈良市内混むがな」。一人でオロオロ、バタバタ、支度をして6時を回って出発~(相変わらずやなあ~車やゆうので油断してるのちゃう)。思ったより奈良市内が混まずに何とか9時ころに目的の五番関トンネルに着きました。

県道21の毛又橋分岐
右清浄大橋方面、左に入ります
五番関トンネル抜けていくと川上村R169です
公園の向こうが登山口です 登山口

 ここは洞川から川上村へつながる林道(?)で今年の台風後も通行できるみたいです。到着してモタモタ準備、着替えは何分急いできたので今日は途中で着替えているタイミングがありませんでした。ふと目の前のガードレールのところに自転車が、フ~ン~こんなとこまで自転車で登山者かなあ~。何とか着替えも済ませいざ出撃~、もう9時を回ってしまいました。

上の稜線に直登です 親切な案内です
15~20分ぐらいで五番関の稜線に取りつきました

 さてここからですが右が先日オヤジが歩いた横駆け新道、左が大天井ヶ岳への古道です。目的は百丁茶屋の分岐にフイードバックすることですが、横駆け新道を戻るのはイマイチ面白くないので少々キツイかもしれませんが古道の大天井越えを往復することにしました(えらい頑張るやんけ)。

 従いましてここから古道大天井ヶ岳越えの報告はカットしてこの後は改めて百丁茶屋跡からの報告とさせていただきます(ややこしい、どうでもええやんか)。いえいえそおゆうわけにはいきません。フイードバックをしに来たんですから(はーそうかそうか好きにしてんか、皆さんにバカにされるわ)。





 は~いそんなわけでここから改めて古道大天井ヶ岳越を報告させていただきます。(はーなんや知らんけどしんどかったか、バテバテで越えてきたんやろ)。いえいえアラよ!ヨイトコサ!あらもう着いたです、お茶の子再々炭屋の丁稚ですよ。(よーわからん、なんのこっちゃ)とにかく降りてきたところを再び登っていきます。20018年9月27日14時30分にフイードバック映画バック・トウ・ザフューチャみたいなもんやな。(おまえ悪乗りしすぎや)。

百丁茶屋から再び ありがたいことです
これだけ綺麗に管理されている
宿坊ははじめてです
改めてエッチラヨタヨタまいりましょう
とりあえず上部の稜線尾根に 奈良の南部だと思うのですが
これが何かわかりません
山小屋の荷揚げ用レールにしては
小屋がありません
見晴らしの良いところに出ました
時刻はちょうど正午、ここでお昼ご飯で~す

 家から持ってきた炊きこみごはんおにぎり、いただきま~す。昼食を食べたこの広場から大天井岳までが急登になります。1時間ほど前に降りてきたので覚悟はできていますが、は~しんどい~、ヨレヨレヘロヘロで大天井ヶ岳山頂に再び着きました。前回の時コノコースにきていればもっとバテていたでしょう。

きついなあ~ レールは続くどこまでも
(ホンマなんやねん)
山頂への分岐 山頂です

 又五閑関に下ります。こちら側のほうが少しは下りやすいかな~、距離も少しだけ短いかなあ~。途中の大岩のところを回り込んだところで単独の男性登山者にバッタリと出会います、お互い寸前まで姿が見えなかったので「わ~びっくりした!」。男性も同じくびっくりしたようでまあ人間同士でよかったです。

山上ヶ岳が見えてきました 早よどこかに潜り込まんと寒くなるよ
この大岩を回り込んだところで
バタ!と単独の男性と遭遇
「あ!あ!びっくりした~」
五閑関に戻ってきました

 五閑関に戻るとまた別の単独の男性が休んでおられました。今度は遠くから姿を確認していたので(ふん怖がり!)挨拶をかわします。男性は昨日天川の川合から(例の役場駐車場でしょう)明星、八経、弥山、を超え行者還りの小屋で一泊朝6時前に出発して大普賢、山上を通りここまで来られたそうです。

 時刻は13時前、すごいですね~行者帰りの小屋から山上ヶ岳超えて五閑関まで7時間まさに行者歩きです。オヤジが先に登山口に向かって下りだしましたが直ぐに追いついてこられてアッとゆう間に離されました。なるほど、さもあらん、オヤジとは次元が違います。

なかなか強烈なくだりを登山口に戻ります 歩きにくい涸れ沢の登山道です

 しかしどうして川合まで戻るのかなあ~、まさか洞川まで林道を歩くのはきついです。その場合なら山上ヶ岳から清浄大橋に表参道を降りるのがふつうです。登山道入口に降りると朝はなかったなにわナンバーの車が一台停まっています。おそらく大岩のところで出合い頭にあった男性のものでしょう。先ほどの男性は~あ!そうか、自転車かあ~なるほど。朝、気になる自転車のことを書きましたがこの男性のものでした。

 やはり昨日の朝にここまで自転車をデポりにきて、それから川合の役場前駐車場に戻られたそうです。いや~脱帽です。それこそ拍手~です。ひょっとしてオヤジが川上村あきらめて川合まで送らないといけないかな~と思っていたのですが(なんで川上村に行きたいねん)それは後でわかります。

 やれやれこれで心置きなく川上村に向かえます。時刻は13時半ごろ今日は5時間ほどの歩きでした。自転車の男性は颯爽と洞川に向かわれました、川合までほとんど下りでしょう。そのあたりも計算されての事だと思います。

 オヤジはトンネルを抜けて川上村に向かいます、しばらく下ると大天井滝とゆう標識があります、車を道端に停めて見物に向かいます。鉄の小さな橋を渡るとすぐに目の前に大きな滝が現れました。う~んなかなかの名瀑です、周りの紅葉がもうちょっと進んでいるともっと良いのですが。

戻ってきました
朝の自転車は男性のものでした
なかなかの名瀑です
大天井滝

 車に戻り又15~20分ほど下ると大きな重機で工事中、あれ~通れるのかな 一瞬いやな予感、若い男性が近寄ってこられて「すみません少し待ってください今鉄板引きますから」とのことです。え~車が通るたびに鉄板引くのかな~。重機で鉄板2枚を手際よく引いてもらい通過です。やれやれ、何とか目的のR169思惑どうり杉の湯ホテルの信号に出合いました。

おいおい今更通行止めはいややで
何とか通過
ぴったり予想どうりのところに出ました

 そうなんです久しぶりに杉の湯ホテルの温泉につかります。いつも時間の関係で前を通過するばかりでしたが何年ぶりでしょうか立ち寄るのは。ここの露天はなかなかのものですし泉質も入乃波温泉に似たオヤジ好みなんです。ただ一般の立ち寄りは17時いや18時?(どっちやねん)で終わるのでなかなか立ち寄れないのです。

 今日はゆっくり入って隣の道の駅でお蕎麦食べて、ソフトクリーム食べて(おまえダイエットどうすんねん)明日からダイエットします。カーチャンに柿のお土産買って(柿の葉寿司ちやうのかい)いえただの柿、カーチャン柿の葉寿司あかんね。(へー珍しいな、俺は別にかまへんで)まあ今度お金があるときあんたにも買ってあげます。(おおきに、待ってるで~)はいはい。

 今回は山歩きとゆうほどの事はなかったですが、何とか温泉にも入って気分よく帰ってきました。ここしばらくのなんかもの忘れしたような、モヤモヤした落ち着かない気分も晴れました。 感謝。感謝です。

いつも前を通過することが多い
杉の湯ホテル
綺麗な夕焼けです
さー次はどこに行こうかなあ~

 ■追伸。

 ここしばらく奥駆け道ばかり歩いているオヤジですがちょっとだけ講釈をたれさせていただきオヤジのつつ”り方教室の代わりとさせていただきます。(そんなんやめとき、みなさんしったはるで、恥かくだけやし見てくりゃはらへん)。

 世界遺産 奥駆け道とオヤジなども書きますが正確には熊野古道大峯奥駆道で、世界遺産登録された熊野古道のいくつかのルートのうちのひとつです。他のルートに比べてゆうまでもなくその厳しさ長さは群を抜いています。吉野から熊野本宮までの80K以上にも及ぶ道程は修験の聖地として千年以上の歴史を有しています。75の行場(霊場)があり、行場の事を靡(なびき)と呼びます(昔はもっとあったみたいです)。

 面白いのは本宮のほうが番号(とゆうのかどうか)が小さく吉野に近くなるにつれて上がります。第一番は本宮大社で第73が吉野山、最後75が柳の宿となります。本宮から吉野へ向かうのを順峯(じゅんぷう)吉野から本宮に向かうのを逆峯(ぎゃくふ)と呼びます。

 四国八十八か所の遍路周りの呼び方に似ています。昔は天台系の修験の方は順峯で歩き(京都聖護院派)、真言系の(醍醐三宝院派)修験者は逆峯で歩いたといわれていますが、その後宗派を超えて吉野からが一般的になったそうです。又修験以外の人たち(女性はだめですが)の大峯山寺(山上ヶ岳)への参詣で洞川温泉が人気になり修験者も多く行き来するようになりました。

 吉野からの歩きが多くなるにつれて前鬼への分岐、太古の辻から南の行程(南奥駆け)はだんだん歩かれなくなり荒廃していましたが、近年新宮の山彦グループさんやそのほかの大峯講のかた達の努力で南奥駆けも整備され歩かれるようになってきました。皆さんも千年の歴史を歩きに奥駆け道ほんの一部でも訪ねてみてください。

     洛西オヤジ歴史と宗教のお時間お付き合いありがとうございました。(シラ~)。

                             【 記:洛西オヤジ 】