ナッチョ(天ヶ森)
2018.05.04 (小てつ No.124)


 
ナッチョピーク


平成30年5月4日(祝) 晴れのち雷雨    嫁、小てつ

コース:
・ヒノコ稲妻号デポ~百井村落~前ヶ畑峠~林道~台車の分岐~ナッチョピーク~北稜線~ミタニ峠~ヒノコ





 恒例の5月連休中の夫婦登山。今年はどこへ?と考えていたのだが、前日3日に嫁の実家に日帰りで帰る計画があり、遠くの山やハードな山は無理だなぁと考えていた。とにかく起きた時間で考えることにした。

 結局前日は自宅に夜9時過ぎに帰って来れて、普通通りの時間に寝られたのだが、いかんせん往復600kmの高速道路の運転にはいささか疲れたのか、朝はいつもの時間よりも1時間寝坊してしまった。それでも嫁は山に行くと言うので、そうなると近場だなぁ。以前は、愛宕-桟敷-ナッチョのローテーションで山行していた時期があり、そうや最近ナッチョループしてへんなぁということで、行き先をナッチョにする。

 ということで、朝はいつもよりも1時間遅く8時に自宅を出発。途中のコンビニで食料を仕入れて大原に向かうのだが、今日は稲妻号ということで、柊野から市原を抜け、江文峠を越えていく。

 途中越えの国道367号線はやや車も多いが、小出石で酷道477号線に入るとすれ違う車も無い。シャクナゲ尾根の取り付きに小型バスが停まり、これから団体さんでシャクナゲ鑑賞なのだろう。我々はナッチョの小出石登山口、北滝橋のトンボユリ尾根コース登山口を過ぎて、百井の村落へと登って行く。

ヒノコにデポ アケビ

 百井村落に残っている「大原小学校百井分校」、廃校となっているが、今も京都市の小学生すもう合宿などで使われているそうだ。なのに、調理室のドアの鍵が壊れていたのをいいことに、登山者が堂々と休憩のために'勝手に入って使っていた'そうな。それもちゃんとした名もある登山団体なのに、当たり前のようにしていたらしい。今は鍵も直されたから簡単には入れないようになったそうだが、登山の名のもとに、なんでも許されると思ったら大間違いだ。

 百井の村落を抜けてしばらく進むと、修道院と大見の村落の別れとなる。今日は右側の修道院の方に進んで行く。左手にあるのは養鶏場なのだが、今はニワトリのなく声もしない。ただ、以前は犬が放し飼いになっていて、やたらと吠えるので怖かった記憶がある。今日はいないようだ。

 ヒノコの橋のたもとに2台の乗用車が停まっている。釣りか登山か?我々は少し手前でUターンして、路肩に駐車して準備をする。すると1台の乗用車が動き出し、近寄ってきて、窓を開けて話かけて来た。

 札幌ナンバーに驚いたが、実は大阪から来られたそうで、皆子山に登りに来たが、登山口がわからなかったと言われる。見ればガイドブックの簡単な地図をコピーしてきただけのようで、今の荒れた寺谷側の登山道では、この方無理だろうと、北山の全体地図を見せて、平からの東尾根の取り付きと、邪魔にならない、今はバリケードされたところの足尾谷橋手前の駐車場所を教える。(今の時間からでも、東尾根なら何とかなるだろう)。

 9時20分にヒノコを出発する。車であがってきたアスファルト道を逆戻りすることになるので、陸地谷あたりにデポしておけば、行きと帰りで半分々のアスファルト歩きで済むのだが、帰りに暑くなったらと朝のうちに全部歩いておくことにしたんだが、今朝は涼しいを通り越して寒いくらい。嫁は冬用の手袋をしている。

 分校跡まで戻ってくる。以前はここから田んぼのあぜ道を、桜の木を目指して、簑谷につめるのが登山道だった。今はフェンスで囲われているのと、あぜ道が農道に変わっていて、簑谷からはフェンスを出られない。前ヶ畑峠までまわりこんで行く。ヒノコから1時間弱で到着。

きた道を逆戻りする 前ヶ畑峠までもどってくる

 林道入口に山の家の標識があり、今はここが登山口となっている。林道に進んで行く。しばらく進むと閉じられたゲートが正面に見えて、行き止まりのように思うが、林道はゲート手前を右手に曲がっていく。正面の家は廃屋のようになってしまったようだ。

 ここの林道は生きていて、よく使われているようだ。お金にならない今の林業のなかで、特にお金がかかるのが林道整備なので、ここはよく整備されている方だ。でも林道の分岐も多く、初めて訪れる人は迷うかも知れない。ただ、ここの林道は間違ってもすぐに突き当たるので、桟敷裏や愛宕裏みたいに、とんでもないところまで連れて行かれることはない。

簑谷には出入り口が無い 林道は生きている

 正しいナッチョの登山道である林道は、勾配をつけはじめていく。グニャグニャと2、3度ヘアピンを切ると崖崩れの跡があり、その先に何故か台車が捨てられている場所が登山道分岐。少し山道に分け入り尾根道にのる。

 林道を下に見て低木の細い山道を登っていくと、道は尾根を外れてトラバース道になる。ここらあたりから雑木の中に、鮮やかにヤマツツジが見頃となっている。ただし目立った花はヤマツツジだけとなり、タムシバはもう結実している。

台車の分岐まで林道歩き 今日の主役

 雑木の中を気持ちよく進み、小出石からの登山道と出会う。とまた植林となり、もはや用をなしていないネットが現れる。以前はこのネットの開け閉めをしていたものだが・・。そのあたりの植林がまだ低かった頃に撮られた写真が、ヤマケイ関西から出ていたガイドブックに載っていて(今は廃盤)、解説文の担当者が「梶山正」氏であったから、おそらく写真のモデルはべニシアさんと息子さんだったんだと思う(*著作権の関係で写真は掲載できません。図書館等で調べてください)。べニシア信者の嫁にそのことを言って写真も撮るが、あまり感慨はないようだった。それより最近、体調の良くないべニシアさんの具合を心配しているようだった。

 ナッチョピークに11時過ぎに到着。冬なら展望もあるピークだけど、葉っぱが茂ると樹間から琵琶湖大橋を何とかのぞける程度・・。もう少し進めば展望の良いポイントもあるかもと、まだお昼には早いので先に進むことにする。

 男性2人連れの登山者とすれ違う。彼らは花折峠からの縦走だそうだ。山中で出会ったのは彼らだけ。

昔べニシアさんが佇んでいた場所 うっすらと琵琶湖大橋、近江富士

 小てつのイメージでは、もっと明るい稜線だったんだけど、滋賀県側の植林が伸びたせいだろうか?やや陰気な道になってしまったようだ。それに大見尾根でも感じたんだけど、下草のたぐいが全く無いのだ。ひこばえしているのもアセビくらいで、枯れ枝、枯葉だけが落ちている真っ茶色の地面だ。おそらく鹿のせいだろう、食い尽くされている。でも登山道脇にまだ咲き残っているシャクナゲの木を見つけ、喜ぶ。

 ここにしようか?まだ先に進もうと、もうミタニ峠の近くまで来て、いくらか明るい稜線上の小広い場所を見つけたので、ラーメンタイムとする。とは言っても、小てつは最近定番の天ぷらそばで、嫁は豚汁。おにぎりといただく。食後はこの季節ならではのタムシバ茶でくつろぐ。

こちらにもシャクナゲがあった まだミツバツツジも

 30分ほどゆっくりしてたつ。それでも12時40分にミタニ峠に到着。ヒノコ側に降りていく。掘れた道となり、落ち葉枯れ枝が溜まって歩きにくい。もうひと月もすれば山ビルで歩けたもんじゃなくなるだろうなと思いながら、降っていく。

 細い沢を渡ると、道はザレた斜面に心細くなるのは以前のまま。そこでエイレイソウを見つけて、嫁に教えるが、ほとんど興味をしめさなかった。(そやろなぁ)。

ミタニ峠 掘れた峠道

 13時丁度に、ヒノコ橋の対岸に何故か残るアスファルト道に着地。(これも頓挫したゴミ処分地計画の残骸か?)。

 ヒノコ橋を渡ると、朝の車はなくなっていて、新客が1台。これは釣り人だったが、我が稲妻号を見て、「ここで軽トラは、きこりか鉄砲撃ちかと思った。」と言う。失礼な!北山じゃ稲妻号、有名なんやぞ~!。

ヒノコに着地

 後片付けをしてヒノコを後にする。百井を抜け、朝と同じく江文峠を越えて市原を抜けていくんだが、何やら雲行きが怪しくなってきた。市原野小学校あたりまでやってくると雷雨となる。早く降りてこられる山にしておいて大正解。天気予報、こんなん言ってたか~???。

 自宅付近まで帰ってくると、風が強いだけでした。今日はほんの4時間ほどの歩きでしたが、久しぶりに懐かしいナッチョ北稜線を歩けました。


 「今回は さむてさぶくて 俳句無し」          嫁談。


                           【 記: 小てつ 】


 おいおい、洛西オヤジ殿、ついに高島トレイル進出か~!それもさすが侘びさびの境地に至っているオヤジ殿らしく、三重ヶ嶽からスタートとは・・・。(けっして赤坂山~寒風とかメジャーな所からはじめるキャラやないわなぁ・・)。

 *オヤジ殿が使われる「トレール」という表記、TRAILをトレイルと読めないんじゃなくて、昔の人はトレールと言ったりするのです。オフロードバイクのことをトレールバイクなんて言ったりしてたんです。

 ほんまカッコ良かったなぁ、ホンダのエルシノアのCM出てた時のスティーブ マックイーン!。

                         (小てつ読み方教室)。