廃村八丁
2018.04.08 (小てつ No.122)


 
八丁無人


平成30年4月8日(日) 晴れ時々雪    小てつ単独



コース:
・佐々里峠稲妻号デポ~ダンノ峠分岐~四郎五郎峠分岐(炭買い道分岐)~品谷山~品谷峠~トラゴシ峠~八丁~刑部滝~ダンノ峠~ダンノ峠分岐~佐々里峠



 洛西オヤジ殿がokaokaさんの後追いをしているから、小てつはオヤジ殿の後追いをしてやれという訳では無く、近場でミツバツツジが咲く頃には、山ではイワウチワが咲き出しているんじゃないかと思い、小てつが知っているイワウチワの名所と言えば、八丁あたりになるので、久々に訪れてみました。

 朝はやや早く6時40分くらいに自宅を出る。久しぶりに庄兵衛のおかみさんにと、「とうよけ茶屋山本屋」の豆腐とおあげさんを仕入れていく。千本今出川の交差点の桜は昨日の強風でみな散ってしまったが、西賀茂車庫以北の桜はまだ残っている。鞍馬から花背峠と進むにつれ、桜はまだツボミとなるが、小野谷口から大布施のあたりでは、また咲き出しているという状況。で、また広河原ではまだツボミとなる。

 8時におかみさんのお宅に到着し、「あら久しぶり、元気だったの?」と言われてしまう(恐ろしい~、思えば去年は1度もお会いしてない・・)、お土産を渡して「帰りによります」ということで佐々里峠に登る。ここの名物八重桜もまだツボミ。ただ山中の山桜やタムシバは丁度満開。峠のデポ地に8時10分到着、準備をして南側の無線中継基地に登って行く。

花背峠1℃ 佐々里峠にデポ

 地面には昨夜降った雪が残っている。そういえば今朝は愛宕山の頭も白かった。夏日が続いていたのにこの寒さはこたえる。冬装束に逆戻りだ。

 コブを2つほど越したところにある芦生杉のウロに鎮座している「東向き地蔵さん」に挨拶をしていく。いつの間にか下にもう一体増えている。知らんでバチあたっても・・。

東向き地蔵を拝んで 何か増えとるし・・

 峠から40分ほど歩いたダンノ峠分岐ピークの登りがはじめのイワウチワ群生地だが、せっかく咲いているのに雪の中、みな下を向いてしまっている。しかしタムシバはいっせいに咲いていてきれいだ。きっと陸地谷のも見事に咲きそろっていることだろう。ピークに登りつめ南に進路をとり品谷山へ向かう。ここのピークにあるマメ桜は、昨夜の風で花が半分飛ばされていた。

イワウチワは雪の中、下を向く ダンノ峠分岐ピークのマメ桜

 P866の風化木、オヤジ殿のレポにもあったように、去年の大風にも耐えて健在だった。ここから四郎五郎峠まで尾根を降れてokaokaさん命名「炭買い道」。ただ、今は倒木とひこばえで歩きにくくなっているだろう。品谷山方向に向かう。

 佐々里峠から1時間少しで品谷山ピーク、倒木はあったもののすんなり歩いてこれた。ここから西向きの尾根はとても快適に佐々里まで降りれるのだが、降りたら帰ってくるのがまた大変。佐々里側の釜ケ原くらいにデポ地を考えて周回したらおもしろいコース取りができるかなぁ。でも植林ばっかりやしなぁ。品谷峠へ降りていく。

炭買い道分岐ピークの風化木は健在 品谷山ピーク

 そうそう、以前にも書いたが、ここらあたりには山の名前に谷のつく山が多いが、読み方は「タニ」ではなく、「タン」と呼ばれるそうな。沖縄の「読谷村」が「ヨミタンソン」と読むのと同じだそうだ。だから「シナタンヤマ」になるんだそうな。(Oさんのお話ゆえ、真贋はわからない)。

 品谷山からすぐに、ゆるやかな尾根が南に伸びているが、これが通称「イワタ尾根」、八丁まで快速で降りられる。小てつは陰気なスモモ谷よりも、尾根の方が好きなので、急ぎで降りる時にはここから降りていた。(なんや急ぎて??)。

 しばらく進むと「ここかぁ~」というオヤジ殿のレポにあった倒木の密集地となる。植林の杉が10本ほど根こそぎ重なって倒れている。細尾根なので、またいでいかなくてはならず難儀する。しかしそのすぐ先の鞍部にある大ブナはちゃんとしているので、杉のところにだけ風が通り抜けたのか??。

品谷峠手前の倒木 ピンクの濃いのもある

 品谷峠に到着し、そのまま対面の斜面を登って行く。ここにもイワウチワが群生していたのだが、めっきり減ってしまった。稜線まで登ると北側の視界が開け、芦生から北方の山々もよく見える。その中でも八ヶ峰はきれいな三角の形と鉄塔ですぐに判別できる。P827の手前のピークで進路を南にとりトラゴシ峠へ向かう。

 トラゴシ峠に11時に到着したのだが、雪が降ってきた。数年前の文化の日にokaokaさんと来た時に、佐々里峠で20cmの積雪を経験しているので、4月の雪なんて驚きもしないが、どうりで寒かったわけだ。トラゴシ峠からトチヤナギ谷側に降りて「額縁の木」でも見物してこよかなんて思っていたが、今日は早々に周回した方が良さそうだ。八丁に降りていく。

 <佐々里峠、文化の日の雪の景色は、okaoka clubのトップページから「みんなのマップ」、「よもやま話」「小てつのよもやま話71話'雪の日はあついあつい'」でごらんになれます>。

早くもオオカメノキが(トラゴシ峠付近) 植林地の中ではやや上向き

 この道こそ昔、上弓削から八丁まで「先生」が通った道と言われている。(先生だけ違うけど・・)今の「カモノセキャビン」のところから鴨瀬谷~八丁大道~トチヤナギ谷~トラゴシ峠と、これでも最短ルートだったんだろう。たった5軒の家の数人の生徒のために、村に分校を建て先生を配置するなんて、合併々の現代とえらい違いだ。まぁこんなところに住もうというのもすごい話だが、昔は何しろここに住んだ者勝ち、「木」が宝だったんだ。

 トラバース道から尾根道に転進するところのオオカメノキが、早くも咲き出していた。植林地の中は、雪にあたらなかった株のイワウチワがやや上向いてくれている。ここらにたくさんあったと思っていたミヤマカタバミは花を閉ざしていて、目立たなかった。八丁川まで降りてきて、川を渡り炭小屋跡に到着する。

ミヤマカタバミも半開き 八丁着地

 お昼前だが、先の四角錐の避難小屋の所(土蔵跡)まで行くと、またぞろややこしいのがいても嫌なので、ここでラーメンタイムとする。今日は久々の八丁ということで、久々に「チキンラーメン」。降り続く雪を眺めながら食す。

 しかし今見ると、ここに結構大きな小屋が建っていて、大量の炭が袋詰めにされていたことなんて、想像できないだろう。どこかの大学生のグループが、その炭をアテにして、ここでキャンプしていたこともあった。しかしその大量の炭も、ここ数年で全~部使い切ってしまったお方がいらっしゃる。一旦炭の火を絶やすと、濡れ炭だから再着火に骨が折れると考えたのか、ずっと焚きっぱなしにしていたようだ。大量の炭もすぐに費える訳だ。

 これは推測であるが、土地の所有者に出て行ってくれと言われて、四角錐の方に引越ししたんだろう。その後炭小屋は所有者によって解体された。京大高分子小屋も同時期に解体されたから、あのへんまでは同じ所有者なんだろう。最近全国テレビに電話出演していたが、テレビ局の人もちゃんと調べて出したんやろか???まぁこの話題はここらへんにして、深く追求しない。

 ラーメンタイムを終え、炭小屋跡をたつ。お宮さんの具合を見に行こう。2009年に倒木の直撃を受け、お神輿が倒れてしまったのを、Oさんと二人で起こして屋根に炭小屋にはってあったポリカを、何枚か剥がしてはっておいた(そのポリカを炭小屋にはったのもKGCのメンバー)。そう長くは持つまいと思っていたが、この冬も越してくれて持ちこたえていてくれた。修繕している時に、スパッツを釘に引っ掛けてカギ裂きにしてしまい、台無しにしてしまった。普請しているのにバチあてるとは何たる神さんやと、恨んだことを思い出す。

お宮さんの入口は見る影もない お神輿は健在
お神輿が倒れていた時(2009.12.06)

 お宮さんの尾根をそのまま降っていく。ここにシャクナゲの木があるが、ここのは花芽をまったくつけていない。他の場所が不調な時にでも咲いているのに、今年は他の場所のが好調そうなのに、気まぐれな木だ。

 川に降り立つところの地蔵さんの正面に、イワウチワが群落をつくっていて、お飾りに丁度良い、イワナシともコラボしていて色鮮やかだ、四角錐の方をうかがうが、どうやら無人のよう。登山者もいない。小てつが八丁貸切りか??。

花芽ほとんど無し お宮さんのところのお地蔵さん

 さてと帰りはどうするべ?実は八丁もシャクナゲの多いところ。(もっとに見事なのは鴨瀬芦谷山(シライシ)から百間滝のあたり)刑部滝のシャクナゲの花芽の様子を見に行こうと、間違わずに刑部滝の方に向かう。(いったいどうなったら川の分岐を間違う??)。

 分岐のところでバイカオウレンの群落を見つける。木村先生にバイカオウレンはそこはかとなく咲いているのがいいと言っておきながら、群落を見つけるとうれしくなってるのは何故??。

八丁川の倒木 大きなマメ桜の木を見る

 八丁川沿いのルートに新たな倒木があり難儀する。以前の倒木は例の会長さんが、片付けてくれ、片付けた跡にマルサでマーキングして「我ノ仕事ナリ」とアピールしてくださっていたが、今回はまだ手がまわらないようだ。

キチガイと極悪人のクラブ エンレイソウ

 刑部滝ルートで、今までにないほどのイワウチワの満開の群落を見て感嘆の声をあげる。(ただし全部下を向いているのが残念)オヤジ殿、八丁来るのが早すぎたんや!!。

 刑部滝に着く。ここでネパールから大豆の研究で京大に来られていたゴーさん達に、野点したこともあったなぁ。さて、この刑部滝も、「ケイブ」でも「ギョウブ」でも無く、「カモン」と呼ぶそうな。だから「カモンの滝」。(Oさんのお話ゆえ真贋はわからない)。

 刑部の滝横の危ないハシゴ、クリの木で作ってある。クリの木は腐りにくいのだそうでKGCの特製である。腐りにくいといっても30年以上前の代物なので、くれぐれも足かがりに信用しないでいただきたい。小てつは訳知りなので、絶対に踏まない。

刑部滝下段 刑部滝上段

 滝の尾根におびただしくテープがつけられていて、そのまま登って行くルートが、けしからんあったが、今はテープも無くなって踏み跡も無くなっている。これで正常。本当のルートは川沿いを遡上し、消防団の張り紙があるところから稜線につめる。ここのシャクナゲは花芽があった。

 稜線を外れ、斜面をトラバース気味に降りていく。ここのイワウチワにはいくらかツボミも残っていて、来週くらいまでは楽しめそうだ、しかし、数年前まではイワウチワの旬といえば、4月25日くらいだったんだけど・・・。まだ芽吹き前の枯れ林に、ところどころ鮮烈なピンクが映えるマメ桜を楽しみながらダンノ峠に向かう。

イワウチワ一面満開 刑部滝近くのはいくらか花芽がある

 ダンノ峠から北向きの尾根に取り付き、佐々里峠に戻るのだが、ここの踏み跡はまったく不明瞭になっている。訪れる人がめっきり減っているんだろう。今日はここまで誰とも遭遇無し。ネットに突き当たり左に折れる。

 全く誰にも会わなかったと思っていたら、前方から熊鈴の音がして、単独女性に会う(北川景子似では無い・・)。こんなところで出会うと、女性でなくても心配になって声をかける。「どちらまで?」、「菅原に車を置いているので、そこに帰ります」(それなら道は間違ってはいないな・・)。話せばわざわざ石川県から遠征されてきたそうで、京都北山が登山のきっかけをつくってくれたんだそうで、そうなると京都の学校に来られていたんだと思った。あれこれ長話になってしまったが、「ここからなら私が車を置いている佐々里峠の方が近いですよ、下の喫茶店だけ付き合ってもらえれば、菅原まで送りますが・・」とお誘いしたんだけれど、歩いたことが無いのでダンノ峠から帰りますと言うことで、okaoka clubのホームページの紹介だけして別れる。

 峠のデポ池に3時に到着、後片付けして峠を降る。庄兵衛さんによれば、先客が5人もいて驚き・・。2人は一般の御夫婦、あとの3人は登山客。小てつがおかみさんと近況についてあれこれお話していると、登山客の三人連れがお帰りになる。うち女性が「山の格好をされていますが、どこかに登られてきたんですか?」と聞いてこられたので、「ええ、廃村八丁に・・」(山登り違って、山降り気味やけど・・)、足元を見ればスカルパのトリオレっぽいのだったので、(まともな山ノボリストや~)と思って、しばしお相手する。

 庄兵衛さんの店先の野草の名前を解説すると、「お詳しいんですね~」(誰かにお詳しくなるまで、仕込まれたんや~!)、「今日はどのルートを歩かれたんですか?」と聞くと、「早稲谷から小野村割岳に登って、佐々里峠まで尾根歩きを楽しんで、車道を降りきました」とおっしゃる、「佐々里峠まで行かないと降りてこられませんものねェ」とおっしゃるので、「いえいえ、いっぱいルートあります。なんならそこのバス停の裏に降りてくるルートもあります」と、言っていいのか悪いのかわからない話をする(毎週々、数年通ったら詳しくもなるわな)。ここでも okaoka club の宣伝をしてお別れする。

ダンノ峠

 お客さんも少なくなったので、おかみさんにいよいよ本題の「何故洛西オヤジ殿が記憶に残っていたのか」の話をする。そうすると、オヤジ殿がまだ、ベンツの軽バンに乗っておられた頃、庄兵衛さんに立ち寄り、丁度居合わせたケガ人か病人を乗せてあげられたそうな・・、そのことでオヤジ殿を覚えておられたそうな。(オヤジ殿があまりに男前で覚えていたのでは無かった、残念!)オヤジ殿、あちこちで普請されているようだ。きっと成仏できるであろう・・。

 長居をしてしまったが、4時に喫茶店をあとにする。菅原の道端には駐車車両も無く、石川の女性は、もうたたれたんだろう。

 能見口の手前で、ストックを両手に、明らか登山者の男性が歩いている。2時台のバスには遅すぎて、5時台のバスまでは相当に早く中途半端。いったん通り過ぎたが、停車して助手席に乗せるべく片付けをしながら追いついてくるのを待つ。先ほどのオヤジ殿の普請の話も無ければ、こんなサービス精神はなかったかも知れないのだが・・。男性を鞍馬までお乗せする。

 久しぶりの八丁は静かな静かな山でした。やはり4時のバスが無くなると、とりつきにくい所になってしまって、人気ないのかな?。


 帰ってから okaoka club のホームページを見れば、オヤジ殿の愛宕レポが出ていた。う~む、大杉谷道降りてしまっても愛宕スカイライン使って水尾別れに行けばすむのに・・。okaokaさんも先日はそのコースやったはず・・。刑部谷と言い、大杉谷道と言い、ついにオヤジ殿はじまったか???。


                           【 記: 小てつ 】