久々の野山歩き
宇治川の紅葉の名所をめぐり秋を堪能しました


 
最高のもみじ狩りでした


2018.12.01(土) 曇りのち晴れ 16度  Ikomochi

コース:
・宇治京阪駅→ しゅばく昼食→ 11:50宇治上神社→ 仏徳山(大吉山)→ 朝日山→ 志津川分岐→ 古道を志津川へ→ 天ヶ瀬ダム→ もみじ谷→ 白川→ 太陽が丘バス停16:00→ JR宇治駅16:10




 やーっと仕事や体の不調から解放されて、久々にリュックを背負っててくてく歩きに出かけた。天気も上々、まずは宇治京阪の蕎麦屋しゅばくで、恒例の新そばを戴くことに。これも恒例の食前酒を一口、めふん(鮭の血腸の塩辛)をあてに、毎年のひそかな楽しみなんですよ。

めふんで一献 お楽しみ新そば

 おいしいお蕎麦も頂いて頬を朱に染め、宇治上神社へ行くと折しも結婚式の新郎新婦に、七五三の子供たち、おまけに宇治市のご当地キャラクター チャチャ王国のおうじちゃままで居て大賑わい。もみじも真っ赤に色づいて秋色一色です。

 大吉山の歩道に入ると人はまばらになり、のんびり辺りの紅葉を愛でながら山頂へ向かう。20分ほど見晴台に出て、ここで野鳥の餌付けをしている叔父さんに今年も出会った。ひまわりの種を分けてもらい私も手のひらを差し出すと、人懐っこいヤマガラたちが1羽また1羽と代わる代わる手に止まって餌を持っていく。

宇治上神社 人慣れたヤマガラ

 居合わせたおばさんは「わあ こんなことしたの初めて!うれしい!」と餌を差し出している。野鳥愛好家だった父のヤマガラを私も世話していたので、とても懐かしい。縁日では芸達者なヤマガラのおみくじ引きが普通にあったけど、今はもう見ない。

 仏徳山山頂131.5mを踏んで、次の朝日山へ向かう。このあたりも21号台風の倒木被害がひどかったようで、大きな木が伐採されて積んである。

平等院を望む 山頂131.5m

 朝日山観音堂には先客がいて、日当たりのよいベンチに腰掛けて「今日は暖くて青空で最高のもみじ狩りですよね」とその方としばしおしゃべりする。若いときから山歩きされていた男性で、今日はのんびり宇治に来たとのこと。北山の藪漕ぎがお好きだったらしいが、すっかりなくなってしまった藪を悲しんでおられた。枚方伐藪会に参加されているとのことで、ほんまの藪好きなのだろう。のんびりと山の話をあれこれして、楽しい時間だった。

紅葉堪能 朝日山観音

 朝日山から志津川方面に向かう。おじさん3人組がやってきてこの方たちも楽しそうにわいわい。途中で志津川旧道へ入る。入り口には「通れません」の札。あれ?ここからでも行けるの?、 いえいえ 通れますけど荒れているので来ないほうが良いですよ とおじさんたちと別れ、よく掘り込まれた道を下る。

この一帯も倒木被害が大きい 志津川への古道は閉鎖されている

 10年くらい前までは京阪宇治駅への近道で日常生活に溶け込んでいただろうこの道も、今ではイノシシなどの被害から村を守るために柵で囲われてしまっている。数年前歩いた時は出口が閉鎖されていて変な斜面を下ったが、今回は獣除けフェンスの隙間(水路の上に人が一人通れるように柵が抜いてあった)から這い出して、旧道を探し志津川の里に着地した。

志津川の村 満開の皇帝ダリア

 志津川の村はずれでバザーをやっていたので覗いてみた。陶器がたくさん出ていて、来年の干支のイノシシの置物を購入。ついでにコーヒーもご馳走になり色づいた山を眺めながら一服。

 清流志津川沿いの車道をてくてく天ヶ瀬ダムに向かう。去年大工事をやっていた橋が完成して、古い橋は撤去されていた。橋の手前に水辺に下る道があるので行ってみると、古い祠があって「瀬織津比賣」とありこの辺りの早瀬を守る神様なのだろうか。そばには韓国の国民的詩人尹東柱の記念碑もできていた。

まだ工事中の天ヶ瀬ダム 韓国の詩人尹東柱記念碑

 映画「東柱(Dongjy)」は同志社大学に留学した東柱が、日本の特高によって治安維持法で収監され獄死した生涯を描いたものだったが、声高に民族独立を叫ぶでもなく日本を非難するでもない淡々とした名画で、かえって胸に突き刺さるものがあった。しばし刻まれた詩「小川を渡って森へ 峠を越えて村へ」で始まる「新しい道」を読んだ。

 ここで時刻は3時だったが、足の調子もよく歩き足りないのでもみじ谷に向かってみる。朝日山で出会った方から、もみじ谷は通行禁止になっていると情報だったので、様子も見がてらダムの下流にあるつり橋を対岸に渡り、宇治川左岸沿いを下る。たっぷりした水が時には渦を巻きながら時には悠々と山の間を流れるここの景色はいつ見ても飽きが来ない。古来より名勝の地として和歌に詠まれた宇治川は、現代でも人の心を打つものがある。

宇治川紅葉 もみじ谷へ向かう

 もみじ谷に入ると直ぐに倒木のため通行止めのお知らせがあるものの、奥に伸びる道はきれいに整備されていて荒れている様子がない。そのまま白川沿いの谷道を先へ進む。もみじ谷というだけあってたくさんのもみじの木が生えていて、紅葉も盛り。3時で夕闇に差し掛かっているので、昼間の日が射していればもっと色鮮やかだったろうにと悔やまれた。

通行止めになっているけど 美しい谷が続く
倒木とはこのことか 白川の里に出て

 沢沿いの道は確かに倒木もあったけれどほぼ整備されていて危ないところはなく、どんどん進んでいって結局白川村に到着。村の三差路でバス停に行く道を尋ねた方たちとしばし立ち話。80歳のおばさんの苦労の一代記もお聞きしたが、白川は足の便が悪く不便だけれど良い村でよそに移る気にならないとのことだった。確かにお茶の里白川は、空気が澄んで静かな暮らしやすい場所に見える。不便といってもここから府道に坂を上がると、20分ほどで太陽が丘のバス停だ。運よく4時過ぎのバスが来たので、飛び乗った。

茶どころ白川 もみじ谷案内図
太陽が丘バス停

 4月に大文字山をウロウロしてから長―いお休みだった。膝の具合が良くなくて、膝が痛けりゃ腰も痛い、腰が痛けりゃ肩も凝る・・と負の連鎖反応でしっかり睡眠がとれなくなって疲れているところにもってきてこの酷暑、すっかり身体も精神状態もへばっていた。右膝は真っすぐに伸ばせなくてくの字に曲がった。

 7月には膝に水が溜まって腫れ、とうとう大嫌いな整形外科の門を叩いた。なぜ整形外科が嫌いかというと、okaokaクラブの懇親会でも盛り上がったが、膝が痛くて整形に行くと「山なんかに行ってたらそのうち歩けなくなりますよ」とか「山は登るものじゃなく眺めるものでしょ」とかひどい言われようで、治療と言ったら湿布に電気で温めるだけ。

 わたしなんか名医と言われる大先生に診てもらったら次の診察日には提携しているメーカーに有無を言わさず足底板を作らされただけ….すでに馴染みの靴屋でインソールを作ってもらってんのにと、がっかりすることが殆どで、良かった整形は1軒のみ他は行ってはいけない医者だ。

 そんな鬼門でも今回は背に腹は代えられぬ、日頃良いと噂に聞いていたスポーツ整形外科にままよと飛び込んだ。膝は水を抜くほどひどくもなく骨も異常なく少し潤滑が悪くなっているとのことで、ヒアルロン酸注射を膝に打たれた。効かないという人もいたが、私は帰りは楽に歩けるようになり、もっと気に入ったのは、そこの先生は「山に行ったら歩けなくなりますよ」なんて一言も言わず、山登りを続けたいという私の気持ちを尊重してくれたことだ。結局ワンクール5回を毎週通い痛みが軽くなった。

 そこで気になっていたリハビリをやってみたいと頼むとあっさり「いいですよ」。8月末から毎週リハビリというものに通うことに。くの字の膝は膝裏の靭帯が固くなっているとのことでほぐしてくれた。少し塊が取れたところで膝伸ばし、力入れ、2キロの重しをつけて足の上げ下げなどなど、20分ほどの治療に毎週通うと、これもまた効果あって9月末にはあんなに痛かった膝も楽になりスクワットで曲げられるようになり。さすが理学療法士ってプロだなあと感激。午前中は手術後や後遺症で故障中の中高年たち、夜はスポーツ部の学生たちがそれぞれのリハビリに励む姿はわたしも頑張りをもらう。

 10月にはもう治療はいいのでは?と言われたけれど、右膝の内側に力こぶができないのでまだまだ踏ん張る力が足りない、山の下りに自信が持てないからもう少しリハビリを受けさせてと頼み込んで、いまだに毎週通っている。曲げ伸ばしの際の膝がしらの位置など注意してもらうと、あーら不思議痛みがでない。

 きっと膝の故障は今に始まったことじゃなかったのだとつくづく思う。というわけで、スポーツ復帰を目指しての治療をモットーにする杉の下整形外科お奨めです。(もっとこんな医者が増えるといいのにと話したら、療法士によるリハビリは人手はかかって単価は安く儲からないから、湿布や電気治療のほうが効率がいいんだそうな。)というわけで、これからぼちぼち山の難度をあげていって、気になっているコースや雪山にまた挑戦したいと考えています。

                             【 記:ikomochi 】