余野坂(高野道)

尾根に残る立派な古道


平成28年3月22日(火) 快晴                 長岡山人


コース:
周山道の駅−祇園谷入口−谷のツメ部分探索−カモチ谷分岐鞍部(引き返す)−尾根道・谷道分岐−尾根道−高野集落(取付部探索)−周山道の駅





 余野坂のうち、余野谷上部からカモチ谷に降りる道は既に報告しているので(2016.3.16)、今回は高野集落に降りる道を紹介したい。

 前回書いたカモチ谷分岐から、西に伸びる尾根道を進む。 すぐに、北側のユリ道と尾根への道に分かれるが、先で合流する。ユリ道が楽である。 その先は尾根の南側に道は付いており、概して歩き易い。崩壊しているところもあるが注意して進めば問題はない。

西に進む尾根沿いの道 歩きやすい尾根道

 502mピークは南側を、支尾根を越えて進んでいく。崩壊箇所があるので要注意。 ピークを西側に巻き終わったところで、北側に二つの下り道が分かれている。 なお、地理院地図では、尾根に沿って西進し、次の鞍部で北方向に谷を下る破線がついているが、これは間違いである。 逆方向から登ってくる時にも要注意であるが、道を追って進めば、まず間違いなく登れるだろう。

巻き道が終わったところ 逆方向から見た巻き道の進入路

1 祇園谷道

 先ほど書いた分岐の左側が谷に降りていく道である。 踏まれていないが古道とわかる。30mほど降りたら右上方から降りてくる道と合わさり、ここからは踏まれた古道になる。谷沿いに、少しだけジグザグも描きながら降りていく。倒木くぐりもある。

古道を下っていく 林道終点からの取付き部分

 間もなく、造成された林道の終点に降り立つ。 以後は、林道を下っていく。ほとんどは地道である。 この谷は祇園谷であるが地図に名前の表示はない。

 40分ほどで高野集落の南はずれの舗装道にたどり着き、以後は大堰川の左岸を周山まで進む。 早く、楽に降りたい時にはこの谷道が適当である。 カモチ谷分岐から周山道の駅までの所要時間は、1時間30分少々である。

林道終点に降り立つ 祇園谷への入口

2 尾根道

 先ほど書いた分岐の右の道は、P502の北西斜面を横切って緩やかに下っていき、向こうの尾根にたどり着く。 そして尾根をわずかに下ると左側に小屋がある。 その小屋の手前に、わかりにくいが、左下に切返すような形で下る道がある。これは1の最初に書いた「右上方から降りてくる道」なのである。1で書いた尾根直登の古道が急であるため、わざわざこのような道が造られたと思われる。 下から登ってきた場合、この歩きやすい道に誘導されるため、小屋のある尾根まで登ってきた時、現在位置の判断に悩むかもしれない。

北西山腹をトラバースする道 小屋が見えたら左下からの道が合流

 さて、小屋があったところから直進していく。 尾根に沿って道は伸び、地図どおりアップダウンの少ない歩きやすい道である。 時に倒木や生え込みもあるが、ここまでよくぞ残っていてくれたと言いたいような良い道である。 小ピークで方向の選択を迷う所もあるが、掘れた道跡があるのでわかるであろう。 P417の手前からが最後のツメになる。 道はピークの南側を、高度を維持して進んでいく。 南斜面には崩壊箇所があるので、迂回しながら注意して進む。

尾根筋に残る古道 古道は概して歩きやすい

 山腹のトラバースをして東南尾根を越えたら、高野集落へのジグザグの下りとなる。 急斜面であり、道が崩れているところもあるが、古道の痕跡ははっきりと残っている。 高度にして70mくらい下ると、森が切れ、墓地が見えてくる。

ジグザグの急坂を下る 墓地が見えてくる

 墓地の左側を下り、墓地の入り口まで行くと、家が見え、その間を通って進む。 そこは近畿自然歩道に指定されている細い道がクロスする。 そのまま下れば、太い舗装道に出る。 高野集落から尾根への道に上ろうとすると、墓地からの進入路が最もわかりやすい。 カモチ谷分岐から周山道の駅までの所要時間は、2時間30分程度である。

墓地から集落に出る道 舗装道から墓地に入る入口

 墓地の見えるところまで降りた時、墓地に向かわず、左下の植林地下に進む踏み跡もある。かすかではあるが、古道の形も残り、倒れている石仏群がある。 その存在からみて、この場所が本来の登り口ではなかったかと推察される。 この道も、家の間を通って、近畿自然歩道に出る。 近畿自然歩道は、地道のごく細い道で、高野集落の東の山側を通る。 石仏のところから、さらに南に、植林地内の平坦なところを進むと、林道に出合い、すぐ近畿自然歩道に出る。 この進み方が最も自然な道の形だが、道跡は見あたらない。

倒れている石仏 近畿自然歩道から石仏に入る入口

 金久氏は著書で、カモチ谷分岐鞍部からの左の道は「そのまま尾根に沿って西行し、最後にはジグザグを切って高野に降りる」「大部分はよく踏まれており、この道も恐らく直接周山に行く道としての役割を兼ねていた」と推測しておられる。 ただ、著書の地図には尾根道は記されておらず、祇園谷道のみ記されている。 逆に、祇園谷道に関する言及はない。

 昭文社の古い『北山1』の地図には破線で尾根道が書かれているが、現在は消えている。 高野集落で出会った古老は、「昔は使ったことがある」と証言された。 このような尾根道が作られた理由であるが、谷沿いの道は川の浸食で造成やメンテが難しいため、尾根通しの道がまず開かれたのではなかろうか。 金久氏が、桟敷ヶ岳の尾根通しの道が最初の連絡道だと書かれているのと同じ理由である。

地図・P502周辺の古道の位置


地図・P417から高野集落への古道の位置


                         【長岡山人 記】