志賀越

首のない峠の地蔵


平成28年3月2日(水) 晴                長岡山人


コース:
山中バス停12:20−山中町出口13:15−灯籠分岐13:30−峠地蔵13:50−崇福寺跡入口14:20−志賀大仏14:25−JR唐崎15:00





 志賀越は、荒神口から北白川、山中町を経て、比叡山ドライブウェイの下をくぐり、大津市志賀里に行く古道である。 近世まで京都と大津を結ぶ輸送路としての役割を果たした。 しかし、車道の山中越ができると使われなくなり、地図からも消えてしまった。

 歩いてみると、手入れもされており、史跡も多く残り、古道の風格は十分であった。 再評価され、手近なハイキング道として使われて良い道である。

 案内は山中のバス停から始める。 バス停の北側には石仏、南側には鳩居堂七代目が父の供養として建てたといわれる大きな宝篋印塔があり、出迎えてくれる。

山中のバス停 大きな宝篋印塔

 山中のバス停から10mほど戻り、ガードレールの切れ目に降りる階段がある。そこが旧道である。 山城の国と近江の国の国境の石柱がある。分水嶺ではなく西側のここに国境があるのは、不思議であるが、ここまで比叡山の管理下にあったためか。 その石柱の反対側に重ね石がある。水平に割れ目の入った岩に4体の石仏が彫り込まれている。

国境石柱 石仏が彫られた重ね石

 バス停に戻り、旧道を進むと、因超寺、極楽寺があり、その先の三叉路に地蔵堂と山中越の解説柱がある。その先に西教寺があり、その前に立派な阿弥陀如来の石仏がある。そのすぐ先の民家の庭先にトタンで覆った井戸がある。紀貫之が詠んだ「山の井」の跡と伝えられる。(「むすぶ手のしづくににごる山の井の飽かでも君に別れぬるかな」古今和歌集)

西教寺前の石仏 山の井の跡か?

 町並みのはずれにさしかかると、少し右上に登ったところに小学校分校の跡があり、残された壁画に託された未来像と現実との対比がうら悲しい。 ここから比叡平までは、okaokaご夫妻が歩かれた記録がある。(2014.3.1) もとの道を進み、人家がなくなったあと、右に流れる川底に甌穴が発見された。何カ所かあるが、こんなところに珍しい。

壁画が残る分校の跡 山中川の甌穴

 道はその先で県道に合流するが、その向かいに志賀越の古道は続いている。太い道である。すぐ先に、堰堤が作られ、その右を登って越える。 越えたらすぐ、左手の川底に降りていく道があり、これが古道である。降りずに進んでも先で合流するが、古道をたどる。

県道と交差する表示板 堰堤を越えたら左に降りる

 曲がって進んでいくと、対になった立派な灯籠と石碑がある。 石碑には、「左 不動明王・辨財天女 是ヨリ三十六丁」と彫られ、比叡山無動寺への参詣道であったようだ。 志賀越はここを右に進む。 まもなく鉄柱でできたダムがある。ダムの間が通れるのでそこを進む。 二カ所、谷の分岐があるが、案内表示があるので、それに従って進む。夏は草が繁茂し、邪魔になるかもしれない。 峠までは地理院地図にも破線が入っている。

無動寺分岐の常夜灯 このダムの間を進む

 ようやく深山幽谷を思わせる谷間に入っていく。所々で道が崩れているが、危険なほどではない。 右手(東側)上方に、大津市が運営する「ふれあいの森」があるようで、案内板がある。 車の音が聞こえてくると、比叡山ドライブウェイに出会う。 擁壁に沿ってゴツゴツした道を登ると、トンネルがあり、そこが峠である。

山道らしくなってくる トンネルが峠

 トンネルを出た右手をわずかに上ると、峠の地蔵がある。石の覆屋に納められているが首がない。琵琶湖がわずかに見える。 ここから道は立派になるが、逆に地図から消えてしまう。なぜだろう。 ドライブウェイの下を、北に向かって下っていく。 支尾根を一つ越えて、400m地点まで下ると谷に突き当たる。 そこからは急な谷の下りとなる。「七曲り」と呼ばれていたようだ。

山道は広くなる 七曲りの急な下り道

 330m地点まで降りると、道は広く立派なものになる。馬頭観音への分岐、三尊仏の石像、水飲み場を右横に見ながら進んでいく。 崇福寺跡への案内板があるので、桜や紅葉のきれいな時なら上がってみるのも良い。 さらに降りていくと、東海自然歩道との分岐がある。この登りもokaokaご夫妻の記録がある。(2012.7.21)

崇福寺跡への案内板 下から眺めた東海自然歩道との分岐

 すぐ下に、巨岩に彫られた阿弥陀如来像(志賀石仏)がある。参詣用の堂屋とトイレもあり、志賀越の入口として、交流と信仰の歴史を示している。 まもなく、左の山手に百穴古墳群がある。 その先で道は分かれるが、左手を進むと、志賀八幡社の大きな社があり、そのすぐ下に京阪電車の滋賀里駅がある。 北に20分歩けば、JRの唐崎駅である。

志賀石仏 百穴古墳群

(注1) 荒神口から北白川までは(京大構内を除いて)、今でも道が残っており、道標や石仏に往時がしのばれる。 通して歩くのも良いが、北白川から山中までの車道は歩道がなくて危険なため、バスに乗り換えて山中まで行き、下車するのがよいだろう。

(注2) 本コースだけでは1日の行程として物足りなければ、文中にokaokaご夫妻の行程として紹介した、比叡アルプスから山中へのコース、又は大文字(山科)から比叡平を越えて山中へのコースと組み合わせると良い。

地図・志賀越前半部分


地図・志賀越後半部分


                         【長岡山人 記】