ソウル市を取り巻く北漢山の岩山群を歩いてきました
(その3) 最高峰白雲台から縦走路をひたすら南下

大南門到着


2015.5.18(月) 晴れ 23℃ Ikomochi ガイド田さん

コース:
公園ゲート10:00出発〜白雲台山頂12:25〜衛門13:00〜縦走路〜昼食13:40=14:20〜龍岩門14:40〜大東門15:20〜大南門16:30〜文殊峰(ムンスボン)へ








 白雲台直下の衛門を乗越して西へくぐると、すぐに切れ込んだ谷間が足元に広がっている。ここにも長―い階段が設置してあり、登ってくる人下る人と賑わっている。岩場の間をどんどん下っていく。振り返ると、さきほどの白雲台山頂の三角錐にとがった山頂があった。てっぺんの岩が絶妙なバランスで乗っかっている。風化し亀裂の入った岩壁がそのうちに崩れて落ちてきそうだけど、今どうこう心配はいらないのでしょう。なにしろ1億年前からの話ですもんね。

衛門から谷間へ下る 人が多いです

 階段は途中で分岐していて、さらに谷間へ下る道と萬景台(マンギョンデ)の中腹を巻く道に分かれた。これまではたくさんの人が行き来していたのが、ほとんどは谷へ下っていく。谷間から響いていた話し声は次第に遠くなり静かな巻道。道は平たんになり、新緑のトンネルの遊歩道。さきほどの緊張感あふれた岩場とはえらい違いでるんるんで歩く。

分岐で混雑 山頂を振り返る

 おっつ またさっきのシロヤシオ!ぴんくバージョンやん!葉っぱは五葉。まさしく仲間だ。アケボノやろうか?(帰宅して調べたら、アカヤシオらしい)あまーい香りに心地よく歩く。きょろきょろと眺めまわす私に、「ここの山の木は幹が細いでしょう」と田さん。確かに大木巨木はないなあ。「朝鮮戦争でこの山は焼けたり、燃料に伐採して木がなくなったので、戦後植林したのです」そっか、どうりで全体が若く明るい。それからまた階段を下る下ると、なにやら岩登りのコース図が描いてある岩山の麓に出た。まさか登るんじゃないでしょうね?

五葉つつじだ あまい香りが広がる
どちらを見ても岩岩 この先巻道になる
がまずみ ノジョクボン岩コース

 岩山露積峰(ノジョクボン)直下に小さな広場があり、そこで昼食となった。13:40やけど、今まで緊張していて空腹も感じなかったわ。ま、朝集合した時にパンをほうばったし、自宅を出るときにトースターで焼いてホイルに包み荷物に入れてきた切り餅を道中食べながら歩いたし。田さん支給のお弁当は、コロッケと焼肉とキムチの韓国風。しっかり量があって全部は食べきれなかったので、晩御飯に持って帰った。田さんに、捨てましょうよと言われたけど。バス停のお店で貰ったチョコパイもおいしかった。

山弁当 さあ行きますよ

 田さんは道中水もたいして補給しないし、なにかを口に入れるわけでもない。歩いている時はそんなに食べないそうだ。「空腹が極限になるくらいまで我慢すると、自分の身体の養分を吸収するので、お腹や腕の肉が減りますよ」って言われて、「へえ そうなんだ。でもへとへとにならない?」って話したけど、よくよく考えたら私にアドバイスしていたんだね。写真をみると (みなくてもわかってるけど) お肉がはみ出ているもの。そういやあ、道中会ったおばちゃんたちはみんなお腹周りがスリムやったなあ。テヘッ。

 ゆっくり休憩して、ストレッチして、14:20出発。時間が押しているけど、私はピークハンターじゃないし様子見て途中下山もありと伝えてあるので、田さん考えてくれるでしょう。

確かに大木がない 龍岩門

 広場から今度は谷間へと下り道。岩道を下って下ってどこ行くの?で、また登って、先ほどの衛門に似た城門に出た。龍岩門。大きな石を組み合わせた頑丈な門に、門扉を取り付ける穴が掘りこんである。急峻な岩山が続く北漢山は天然の要塞で、谷間には高麗時代から山城があり、朝鮮王朝時代には立派な北漢山城 (王様の避難所) があったが今は壊れてないそうだ。

門扉の跡 城壁が続く

 1711年粛宗(スクチョン・「トンイ」の王様)が尾根を取り巻く城郭を改築し、延べ8キロにも及ぶ城壁は、長年ソウル防御の役割を担っていた。しかし、日韓併合時代その後に続く朝鮮戦争ですっかり破壊されてしまい、近年城壁や門の復元工事が進められているそうだ。この龍岩門も古い石材に新しい石を補強して復元されている。

 龍岩門から復元された城郭に沿って歩く。2m幅くらいの遊歩道がまっすぐに延び、トレッキング姿の人と行きかう。しばらく遊歩道を歩いていたが、脇にそれて山道に下っていく。田さんに、藪の道の方が好きと話していたので、「それなら巻道があるのでそちらにしましょう」と山道を選んでくれているみたいだ。

城壁沿いに平坦な道が続く キスミレ

 木陰に黄色い花の群れ、よく見ると黄色いスミレだ。初めて見る黄スミレ。以後あちこちで群落を見かけることになる。(調べたらオオバキスミレのようだ。「日本のスミレ」によると、日本では希少種のキスミレが大陸沿海州では雑草のように生えているとあり、納得)。ソウルの緯度は37度で新潟と同じ。関西で見る野草とは少し様子が違う。

私たちは山道を歩く

 巻道はアップダウンを繰り返しながら続く。西側は木が生い茂る谷間。大きな岩も点在する。ごつごつした岩が顔を出し坂になっている。ゆっくり足場を探して下る。あれ足が浮いているなと感じた瞬間、つま先が石のでっぱりにひっかかりぽてっとこけた。そのままでは1m位下まで前面から転がり落ちてしまう。踏ん張って膝と手をつき、したたかに足を打った。

 「あれ」とわたしの叫び声に先を歩いていた田さんが慌てて駆け寄った。打身の痛さだけで、折れたりぐねったりはしていなさそう。その場に座り込んで両膝をみると、少し擦り傷と打ったあとがあるくらい。足が攣ったときの救急用に持っていた「熱さまシート」を膝や脛にぺたぺた貼った。田さん さっさと手当をするわたしに驚いていたが、「冷やすのが一番なんです」に納得したようす。

 5分くらいで痛みも引き、腫れ感のある脛にもシートを貼って、歩き始めた。熱さまシート余計目に持ってきといてよかった。こけたときはしまった!と思ったが、ひどくなくてよかったと安堵。田さんも同じ気持ちだっただろう。やはり同じように転んだ人がいて、頭を打ち顔に切り傷で、すぐに病院に行ったこともあるとか。わたしは軽傷でよかった。

チゴユリ 木イチゴ?

 しかし、慣れぬ岩山で足も疲れているんやろうな。気を付けてあるこ。それからは慎重にゆっくり歩き、でも道端のチゴユリを見つけ、ぶらぶらと田さんの後ろを追いかける。巻道に入ってからは、田さんは先にどんどん進みわたしは一人楽しみながら歩いていた。一人で山を歩くのが好きなんですと自己紹介したから、危なくない場所はつかずはなれずほっておいてくれるみたい。

 広い広場に出て、トイレ休憩。そういえば、今日のコースには何か所もトイレがあり、掃除も行き届いているのが嬉しい。女性3人グループも休憩していた。

 縦走路で出会った4組目かな。ほぼ単独と夫婦連れ。木陰にはキスミレやチゴユリの群生があった。珍しかったキスミレがただの野草に見えてくるからおかしい。

大東門 公園の運動器具

 しばらくすると、上部に楼門のある大きな門に出た。大東門。門の周りはまだ復元工事中なのか石が山に積んである。城壁沿いの道を女性が足早に歩いてきた。城壁沿いに歩いている人たちはポールを両手に速足で脇目もふらず歩いている。身体を鍛えるのが登山の目的かな。街中の公園にも立派な器具が普通に設置してあり、おじさんたちがトレーニングしていたから、健康志向の国民なのかも。

北漢山城案内図

 城郭の道から巻道に入る。輔国門を通り山道を下っていく。小鳥のさえずりなど聞こえる。しばらく行くと谷あいにお寺のような屋根が見え、岩がごろごろした斜面を登ると、古く大きな楼門をのせた大門に出た。大南門。門を潜りぬけ扁額が掛かる正面に出た。すぐに階段があり、いろとりどりの提灯がぶら下がっている。この下にお寺があるようだ。文殊峰(ムンスボン)の下の文殊寺。

エゴノキ チンダルレの花

 時間は4:30。まだ明るいが日没は近い。田さんが怪我を心配して、「まだ歩けるか?このまま行くか、下るか」と尋ねる。わたしはこの先の様子が分からないのでなんとも言えないのだが、「山頂には登ったしここで下ってもよし、でも今日はかなりゆっくり歩いているみたいだし、まだ歩けますよ。」と返事する。しばらく思案していた田さん、「じゃあ行けるところまで行きましょうか」「それじゃあ行きましょう」ってことで、縦走路をさらにたどることになる。大南門の脇には、濃い赤紫色のつつじが1株満開だった。名残のチンダルレ(カラムラサキツツジ)。レンギョウとともに韓国の春を告げる花だ。

現在地はここ(赤字マーク)
復元修復した城壁(強度テスト中) 彩色の楼門

 大南門の楼閣に登る。この楼閣は古く韓国式の華やかな彩色が施されていた。重要な門のひとつなのだろう。足元に広がるソウル市内や山地の景色を眺める。今日歩いてきた北漢山は険しい天然の要塞だったが、この山地を越えて1961年北朝鮮の特殊工作部隊が時の朴大統領を暗殺すべく侵入したそうだ。夜間行動し、昼間は身を潜め、そしてさらに山続きの南漢山に入り、あわや大統領府青瓦台に侵入寸前で発見され、山中での銃撃戦の末、殺されたり捕えられたりした。(1人だけ生き残った兵士は牧師になっているそう)。山地や青瓦台の精巧な模型でシュミレーションを重ねての周到な計画だったらしい。一般市民も巻き添えで死んだ。

 その報復として1971年に金日成主席暗殺計画のために工作部隊が編成され、その部隊の顛末を描いたのが2005年の映画「シルミド」。南北雪解け作戦で暗殺計画は中止になり特殊部隊は解散、不満をもった隊員たちが反乱を起こし鎮圧された事件を世に知らしめたそうだ。(「シルミド」またビデオで見てみよう)。有名な光州事件でも、無関係な国民が軍隊の無差別発砲で殺されたんですよ・・・と、この国のおかれてきた複雑な事情をきく。

城壁案内図

 保護活動中のツキノワグマのほかに、トラも1900年代初めころまで生息したそうで、加藤清正虎退治は本当だったんですね。大ぼらこいて と思ってました。日韓併合時代に最後のトラが皇族の誰かに献上されたんだとか。今トラがいたら、イノシシ問題もないのだけれど・・と、韓国でもイノシシ被害が深刻そうだ。しかし、トラがいたら、それこそ熊どころの騒ぎじゃないですよね。

 今日は韓国の話をいろいろ教えてもらったが、いつも出てくるのが戦争による破壊だった。日本は周りを海が囲んでいて、外からの侵略は太平洋戦争くらいだが(京都では、戦争といえば応仁の乱に蛤御門や鳥羽伏見の合戦ですもんね)、大陸の端に位置する韓国は、大昔から地続きの中国やロシアとのまた日本との戦いや侵略にさらされてきた国なのだと、改めて実感した。日本では戦争特需に湧いた朝鮮戦争だが、その傷跡はこんなのどかな山地にもいまだ大きく残っていた。

楼閣からソウル市を望む

 楼閣から眺める縦走路の先には、またまた尖った頂の峰が連なる。まさかあそこには登らないだろうが、はてさてどんなとこに連れていってもらうのだろうか。

遥か白雲台や城壁の尾根を望む
大南門からソウル市内を望む


                             【 記: Ikomochi 】