都議選に思う (2017年7月3日)

 2017年7月2日、注目の都議選が行なわれた。小池知事派が79議席を占め(定数127議席)、一方の自民党は改選前の57議席から23議席へと大きく議席を減らし、歴史的大敗を喫した。この選挙結果をどのように受け止めたらいいのだろうか。まとめてみた。


1.自民党の敗因

 おごれるものも久しからず。今回の選挙結果を見て真っ先にそう思った。安倍内閣は国政選挙では「経済最優先」の政策を掲げ国民の支持を得る一方、選挙が終わると、特定秘密保護法、安全保障関連法、共謀罪、など戦前への回帰ともみられる法律を次々に成立させてきた。しかもその手法たるや、主権者である国民の声を無視し、数の力で強行突破するというかなり無茶なものであった。

 そこへきて、森友学園問題加計学園問題稲田防衛大臣の発言下村博文元文科省大臣の政治献金問題豊田真由子議員の暴言などが出てきたものだからたまらない。森友学園問題は、安倍首相の理想が教育勅語への回帰であることを明らかにし、加計学園問題は安倍首相の不誠実さを印象付けた。また、稲田大臣の発言は自衛隊を政治利用するものであり、下村氏の政治献金問題も「あー、やっぱり」という印象を国民に耐えた。

中でも極めつけは、豊田真由子議員の「この、ハゲーー」発言であろう。これが繰り返し繰り返しマスコミに報道されたから、自民党の印象はずいぶん悪化した。かつてヒトラーは「国民は記憶力は小さいが、忘却力は大きい」と述べ、国民に覚えさせるには短いフレーズを繰り返し叩き込むことだと述べたが、豊田議員の「この、ハゲーー」はまさしくこれを地で行くものであった。

 結局、自民党の敗因を一言で言うならば、「おごりによる自滅」であり、「アベノ ミス」である。決して小池新党が勝ったわけではない。敵失により棚からボタ餅が転がり込んできただけである。これはかつて、2009年に民主党が衆議院総選挙で勝利を収めたときと同じである。ないがしろにされた国民が自民党に「お灸」をすえたのが今回の都議選であったとみてよい。



2.今回の選挙でわかったこと

 今回の選挙で感じたことが3つある。

 第一に、日本の民主主義もまだまだ捨てたものではない、ということである。今まで、国民に「経済政策」という飴玉を与えておけば、あとは政治家の思うがままだと思っていた。事実、2012年以降、安倍政権になってから政治の右傾化がますます進んだ。しかし、今回の選挙は、主権者である国民が安倍政治に初めて「待った」をかけたのである。その意味で今回の都議選の意義は大きい。

 第二に、自民の足腰の弱さが露呈した選挙でもあった。連立を組む公明党が自民に反旗を翻し小池知事と選挙協力をした。その結果、小池知事派が勝利をおさめ、自民党は大敗した。自民党が公明党抜きでは選挙に勝てない政党になっていることは前々から言われていた。特別の選挙活動をしなくても公明党の組織票が自民党の候補者に流れてくる。そうした組織票頼みの自民党議員が増加している。

 第三に、国民は自民党に代わる受け皿を求めているという点である。2009年には民主党がその役割を果たした。今回は小池知事がその役割を担った。しかし、小池知事にはこれといっためぼしい政策があったわけではない。あったのは、「何かしてくれるのではないかという期待」だけである。これは2009年の民主党のときと同じである。

 それにしても、東京都の選挙が小選挙区制でなくて本当に良かったと思う。小選挙区制だったら、自民党はもっと大敗し、都民ファースト一色になっていたのではないか。それはそれで怖いことでもある。


3.今後

 いま小池知事に求められるのは、これからの東京都をどのようにしていくのかという長期的なビジョン・政策である。さらにいえば、日本をどのようにしていくのかというビジョン・政策である。それが明確に打ち出されない限り、小池劇場の人気は一過性のものに終わるだろう。

 一方の自民党は、今回のお灸で多少は反省するであろう。しかし、こんなことで憲法改正をあきらめる「やわな首相」ではない。夏には立て直しを図るために内閣改造を行うといわれている。その時には、国民的に人気の高い小泉進次郎氏や橋下徹氏を大臣に取り込むことも視野に入れているに違いない。

 憲法改正は今回の自民党の敗北で一歩遠のいたと思われる。日本をどのような国にしたいのか。経済政策もさることながら、憲法問題や平和主義をめぐる議論が選挙の争点になるような国であってほしいと思う


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