政治的中立性 (2017年11月26日)

 高校の授業では政治的中立性が求められる。口で言うのは簡単だが、実際に何が中立的かと問われれば意外と難しい。一番間違いがないのは、政府の主張をそのまま伝達することである。政府はそれが中立的であるというだろう。しかし、果たしてそうか。

私がまだ学生だった1970年代は、マルクス主義経済学が全盛だった。大学構内は70年安保に反対する学生のデモが連日展開され、火炎瓶が飛び交っていた。私はそれには背を向け、ひたすら近代経済学を勉強した。当時、近代経済学は「御用経済学」とも揶揄され、近代経済学を学ぶだけで右寄りだとされていた。

高校教員になってからも、私は共産主義の政策をボロクソに批判した。文部省(当時)の学習指導要領では、一党独裁や権力集中制もまた民主主義の一つだと教えろと書いてあったが、私はいまだかつて、共産主義国家が民主主義国家だとは授業で一度も言ったことがない。だから、当時、私は右寄りの人間だとみなされていた。

しかし、時代が変わった。社会全体が右傾化する中で、最近では、「政治家は憲法を守れ」「憲法で一番大切な条文は第13条の『個人の尊重』だ」「集団的自衛権の行使は憲法に違反すると憲法の専門家が国会で述べたにもかかわらず、安保法制が成立した」、と授業で紹介するだけで、私は左寄りだとみなされるようになった。

憲法第99条は憲法尊重擁護の義務として、すべての公務員に対して「憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と定めている。私は公務員であり、これを忠実に守っているつもりである。しかし、いまの憲法を忠実に教えること自体が、すでに「左寄り」ということらしい。おかしな時代になったものだ。

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