歴史に学ぶ (2017年12月3日)

2017年11月26日、「80年目の南京」というテーマの集会が大阪で行われた。南京大虐殺については今も、「虐殺」はなかったと主張する人もいる。真相はどうなのか?いろんな人の意見を聞いてみたいと思って、参加してみた。

                  
最初に、湯谷茂樹氏(毎日新聞編集委員)の講演があった。「南京に行くと、南京市民がいまだに日本軍による虐殺を語り継いでおり、それは、広島や長崎で原爆が語り継がれるのと同じである。若者には「戦場に投げ込まれたときの想像力」を身につけてほしい」と述べていた。

続いて、松岡環さんの講演があった。
「南京市の中の一角に、大きな城壁で囲まれた地区(南京城)がある。そこは安全だということで、場内に流れ込んだ避難民もたくさんいた。南京の城壁の内側の面積は、だいたい山手線の中の面積と同じで、陥落直前の人口は40万人から50万くらいだったのではないか」。

「私は南京大虐殺の被害者300人、日本側の加害者200人を探し出して協力を求め、証言を集めてきた。もっとも日本側の協力はほとんど得られなかった。その中で三谷翔さん(2017年9月、98歳で死亡)から多くの証言を頂いた。三谷さんは海軍の軍人として南京に赴き、揚子江に停泊中の駆逐艦「海風(うみかぜ)」から見た様子を証言してくれた」。

最後に、三谷翔さんの証言ビデオが流された。
南京大虐殺を話そうと思ったのは、石原慎太郎が南京大虐殺がないといったのが始まりだった。「自分は見たんや、全体の人数は、一部しか見てないから言えない。でも無かったとは言わさん」。

1937年12月18日から25日、駆逐艦「海風」は南京の揚子江に停泊していた。私は当時18歳だった。揚子江は川幅が1キロくらいだ。その真ん中あたりに停泊していたから、岸部までは約500メートル。肉眼でも岸辺の様子をみることができた。私の海風における任務は「見張り」だったから、大きな双眼鏡で見ることができた。

連日トラックにのせられた中国人が、岸辺に立たされ機関銃で「ダダダ」と撃ち殺されていた。もちろん、機関銃の音も聞こえた。それが朝から晩まで続く日もあった。揚子江は茶色の水だったが、それが血に染まっていた。死体を川に流す作業が(たぶん中国人を使って)行なわれていた。

トラックには30人ほどが乗せられていた。縛られたりはしていなかったから、どこかで「作業をする」などとだまされて連れてこられたのではないか。当時、捕虜の取扱いに関するルールはあった。しかし、中国兵の中には、軍服を脱いで一般市民と同じ格好をしているものもいたから、軍人と市民の区別がつかず、解放すればまた反撃してくるのではないかということから、結局、殺すしかなかったのだろう。

駆逐艦に乗っていたほかの部署の兵隊が何人も「俺にも見せろ」とやってきて双眼鏡を覗いていた。12月25日に駆逐艦は揚子江から引き揚げた。だから、そのあとのことは知らない。佐世保には12月27日に帰った。佐世保に帰港後「南京で見たことはしゃべるな」と上官から口止めされた。(ビデオ証言ここで終わり)



日本の右翼は、第二次世界大戦を「アジアからヨーロッパの勢力を追い出し、アジア諸国を独立に導いた正義の戦争だった」と美化する。しかし、それではなぜ日本は中国人に対して大虐殺や強姦や多くの略奪をする必要があったのか。説明がつかない。

右翼の主張を正当化するためには、南京大虐殺はなかったことにするしかない。右翼の人が、「南京大虐殺はなかった」と執拗に抗議するその理由がようやくわかった気がする。この日も、会場周辺には右翼の街宣車が何台も集結し、大音量で妨害活動をしていた。

南京大虐殺はあったのかなかったのか。専門家の判断にゆだねるしかない。
そうしたなかで、2018年5月13日、日本テレビが放送した「NNNドキュメント南京事件2」は生々しかった。日テレといえば産経・フジテレビと並んで比較的政権に近いマス・メディアとして知られている。番組の内容についてのコメントはここでは差し控える。興味のある人はご覧いただきたい。

https://www.dailymotion.com/video/x6ji5vq




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