水に流す文化 (2017年6月18日)

 2017年6月、共謀罪が可決成立した。法案は6月21日に公布され、7月11日から施行される。成立してしまったものはしようがない。この後、私たちにできることとは何かを考えてみた。



1.水に流してはいけないこともある

 韓国に旅行に行ってびっくりした。プサンに行っても、慶州に行っても、ソウルに行っても、かつて日本に侵略されたことを忘れまいとする記念碑が存在し、ガイドさんの説明にいたっては、ここも秀吉によって焼かれた、あそこも秀吉によって破壊されたなどと、あたかもついこの前まで秀吉が生きていたかのごとく説明するのである。つくづく韓国には「水に流す」文化がないのだと感じた。

 これに対して、日本は良くも悪くも「水に流す文化」が染みついた国である。血で血を洗うような争いをしていても、いったん「手打ち」を行なえば、翌日からは良き隣人として仲良くやっていく。原爆を落とされたにもかかわらず、戦後アメリカと仲良くやってきたのは日本の「水に流す文化」があったからともいえる。

 こうした日本人の特質は「熱しやすく冷めやすい」と評されることもある。共謀罪の成立にあれほど反対していた人たちも、いったん成立してしまえば、時間とともに冷めていくにちがいない。集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法案のときもそうだった。

 しかし、共謀罪のもつ潜在的な危険性を考えるならば、この法案の成立は決して「水に流してはいけないこと」である。しっかりと記憶にとどめておき、次の選挙できっちり「落とし前をつける」べきであろう。とはいっても、今の自民党に代わる受け皿はあるのだろうか。多くの国民は「ない」と思っている。



2.現在を評価することが一番難しい

 10年も20年もたってから「あーだった」「こーだった」というのはたやすい。しかし、いま起きていることそのことを評価するのはなかなか難しい。日本経済がバブルで浮かれていたころ、ほとんどのマスコミは「これはバブルだ」とは書かず、「この繁栄は日本人が過労死するほど働いてきた結果であり、日本の実力だ」と書き立てた。

 政府は「共謀罪」という名称を「テロ等準備罪」という名称に改め、法案を成立させた。テロ対策ならまあ仕方がないかと思った人も多いに違いない。しかし、果たしてそうか。もし私が首相だったら、「テロ等準備罪」などとはいわず、「新治安維持法」というネーミングにして、もっとストレートに国民に分かりやすく説明する。

 1925年に治安維持法が成立したとき、なぜ国民はもっと反対しなかったのかと今だから思う。でも、当時としては判断できなかったのであろう。法律はいったん成立すると独り歩きをする。安倍総理が、共謀罪を使ってすぐに何かをするということはないかもしれない。しかし、のちの首相がこれを悪用する可能性は十分ある。



3.19世紀への逆転現象

 これから私たちにできることは限られている。
第一に、共謀罪が悪用されないように政府を監視することである。
第二に、万が一共謀罪が適用された場合、違憲立法審査権を行使するという方法もある。
第三に、次の選挙で、しっかり態度表明をすることである。

 現在の日本の政治は、憲法論的に言うならば、「19世紀への逆転現象」がどんどん進んでいる。

 

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