入試は総合力の勝負
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1.高校の授業は人生の教養 受験生の中には、入試科目にいるものといらないものを自分勝手に判断し、入試科目に必要がなければ、手を抜いたり、時によっては勉強することを放棄してしまう生徒がいる。 もちろん、入試にいる科目もいらない科目も同じように勉強せよというつもりは毛頭ない。しかし、入試に直接関係しないからといって、授業さえ聞こうとしないという態度は間違っていると言わざるを得ない。なぜなら、高校での学習は大学入試のためにだけおこなわれているのではなく、長い人生の中で必要な教養だからおこなわれているからである。 確かに高校での学習で、入試科目以外は手を抜いても大学に合格するかもしれない。しかし、それでは将来困る事態に遭遇する可能性がある。たとえば次に示したのは 、大卒を対象にした国家公務員一般職の教養試験問題の内容である。
将来公務員(特にキャリア官僚)を目指す人がその夢を実現できるかどうかは、高校時代にすでに勝負はついている、といっても過言ではない。自分の人生の選択肢を広げておくためにも、大学受験に関係のあるなしにかかわらず、高校の授業くらいは一生懸命聞いておきたい。
2.入試でものをいう総合的な学力 国公立大学の入試科目は、国語、英語、数学、理科、地歴、公民の6教科である。皆さんの多くは、国語の勉強は国語の時間で、英語の勉強は英語の時間で、と思っているかもしれない。しかし、勉強というのは科目が異なってもどこかでつながっている。 たとえば、ある英語の入試問題で「ヴィシー政府」(第二次大戦中、ヒトラーに協力したフランス政府)のことが出題されていた。もし、世界史の基礎知識があれば、英文が多少難しくても、内容が容易に類推できたはずである。 もちろん基本的な文法の知識や単語力がなければ英文は読めない。しかし、いくら英語力があっても、英語力だけで英文が読めるわけではない。実際、大学の英文学の先生に経済学のテキストを読ませたらグチャグチャの訳をしたという話がある。 書かれてある内容についてどれだけの予備知識を持っているか。それが文章を読む正確さとスピードを決める。英語長文は思想、文学、経済、歴史、生物、地学、化学などさまざまな分野から出題され、しかも大学入試で最も配点が大きい。したがって内容に関する予備知識の有無が、結果的に大きな得点差を生む。「すべての学習は英語に通ず」といっても過言ではない。 実は、同じ事が日本語の文章を読む場合にも当てはまる。先日おこなわれた現代文の中間考査に「サイボーグとクローン人間」に関する問題が出ていた。この文章を読むには、クローン技術をはじめ、臓器移植問題やニーチェの哲学など幅広い教養が求められる。 単に国語力だけで日本語の文章が読めるわけではない。日本語であれ英語であれ、最後にものをいうのは、そこに書かれてある内容に関する深い予備知識なのである。
近年、大学入試で小論文を課す大学が増えている。800字くらいの長さのところが多いが、長いものになると2000字などという大学もある。小論文入試の多くは、日本語で書かれた長文を読ませ、 「問1 筆者の主張を要約せよ」 「問2 筆者の主張に対するあなたの考えを述べよ」 というパターンが多い。 そこで問われるのは、文章を読みとる力であり、自分の意見を表現する力である。日頃からどれだけ読書をし、考えているかの「総合力」が勝負となる。神戸大学の論文試験で、ある女子生徒がたまたま読んでいた岩波新書から出題されたと語っていた。もちろん合格した。日頃の読書が合格を呼び込んだ好例である。
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