国民主権再考 (2017年6月5日)

 

 パソコンは時々面白いいたずらをする。「国民主権サイコウ」と入力して変換キーを押したら、「国民主権最高」と出た(笑)。なるほどなあ、そうかもしれないな、などと変に感心する。しかし、感心ばかりもしておりない。民主主義の最も基本となる国民主権がいま脅かされている。


1.国民主権の発明者

 そもそも政治なんてものは、力の強いものが権力にものをいわせて他の人々を自分の思い通りに動かすものとしてスタートした。ヨーロッパの絶対王政はその典型である。国王が好き勝手に税金を取って宮殿を造り、自分に反対するものを逮捕・投獄する。

 そうした政治の在り方を否定し、「政府というの「国民を守るために人々の契約によって作られた」というフィクション(社会契約説)を創作した一人がイギリスのJ,ロックである。

 ロックは、人類史上初めて国民主権」を打ち出した思想家として知られている。すなわち、権力の行使は国民から信託されたものであり、権力は国民を守るために存在するとしたのである。

残念ながら、ロックの国民主権は社会の下層階級を排除したものであり、社会の底辺を含む真の国民主権ではなかった。それでも政治の主人公は国民であると謳いあげたところにロックの発明のすごさがある。



2.権力の本質は今も昔も変わらない

 ロックが『市民政府論』を書いてから327年が過ぎた。幸い、日本ではロックの思想が取り入れられ、民主主義が定着した。しかし、権力を握ったものは国民を自分の思ったように支配したがるという「権力の本質」は変わったわけではない。

このことは肝に銘じておく必要がある。民主主義は、国民が常に権力を監視するという努力を怠ると、あっという間に崩壊する危険に常にさらされている。

 2017年6月3日・4日に行われたJNNの世論調査によると、加計学園問題(獣医学部の新設をめぐる問題)で、政府側の説明に納得していない人が72%に上ったという。

 そりゃそうだろう。元文部科学省事務次官による決定的とも思える文書が出てきたにもかかわらず、政府はこれを「怪文書」扱いし早期の幕引きを図ろうと躍起になっている。普通の感覚なら、「国民がこれだけ不信感を持っているなら、徹底的に調査します」と答えるのが筋というものだ。政府の対応は不誠実極まりない。国民不在というしかない。



3.国民主権とは?

 言うまでもないことだが、国民主権とは政治の在り方を決定するのは国民だということだ。したがって政府には、国民の声に素直に耳を傾ける謙虚さが必要だ。

たしかに安倍内閣は選挙で勝って政権を任されている。しかし、勘違いをしないでほしい。国民は自民党のすべての政策に賛成して政権運営をゆだねたわけではない。われわれ有権者は政党によって提示された政策を「パッケージ」としてしか選択することができないのである。

経済政策については賛成しても、、特定秘密保護法や安全保障、共謀罪など、個々の政策について反対している人は少なからずいることを忘れないでいただきたい。

 そうした投票制度の欠点を無視して「私は選挙に選ばれたのだから何でもできる。がたがた文句を言わずに従え」という態度は真の国民主権とはいえまい。

共謀罪によって国民の姿を丸裸にする一方で政府が情報を隠せば、政府と国民の力のバランスが崩れ、かつての「支配するもの」と「支配されるもの」になってしまう。

 国民主権とは国民が政府をコントロールすることであって、政府が国民をコントロールすることではない





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