ジャーナリストの使命 (2018年1月15日)

 
 国家権力はしばしば暴走する。そうした暴走を防ぐために憲法が作られた。しかし、憲法があるからといって安心はできない。国家権力の暴走を最終的に食い止めるのは主権を持つ国民である。

国民が政治状況を判断をするためには、正しい情報を持っていることが必要である。しかし、重要な情報の多くは国家権力が握り、権力者に不都合な情報は秘密にされることが多い。1999年に情報公開法が制定されたが、実際には公開するかどうかの裁量は政府にゆだねられている。そのうえ、2013年には特定秘密保護法が成立し、政府の裁量はさらに拡大した。政府は「出したい情報だけを出す」ことが可能となったのである。

2014年、自民党は在京テレビ各局に「選挙時期に一層の公平中立な報道」を求める文書を出した。政府に反対意見を述べる人を3人インタビューするなら、賛成する人のインタビューも3人放送すべきだ、それが中立というものだという趣旨である。さらに、2016年には、高市早苗総務大臣が「テレビ局が政治的公平性を欠く放送を繰り返した場合、電波停止を命じることができる」と発言した。

こうした発言によって日本のマスメディアは萎縮した。安倍政権にひれ伏したといってもよい。国谷裕子、古舘伊知郎、岸井成格氏ら、舌鋒鋭く政府に迫ってきたキャスターが次々に番組から降板した。また、姜尚中(カン・サンジュン)、浜矩子、金子勝氏ら政府に批判的な発言をする学者はテレビ出演しなくなった。こうした背景にテレビ局側にどんな事情があったかはわからない。政府による直接的な圧力というより、局側の「忖度」があったのかもしれない。

2017年に発表された「報道の自由度ランキング」を見て驚いた。なんと世界第72位だというのである(毎日新聞2017年6月29日)。これは国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(本部パリ)が、180カ国・地域について特派員、研究者、人権活動家にアンケート調査した結果である。




こうした環境の中で、いま注目を集めているのが東京新聞の望月衣塑子記者である。その望月記者が京都に来て講演を行なうというので出かけた。彼女のモットーは「権力側が隠そうとすることを明るみに出すこと!」だという。同席したパネリストの藤田早苗氏(英国エセックス大学人権センターフェロー)によれば、「メディアは市民の側に立って権力を監視する番犬であり、日本のメディアはその役割を十分に果たしていない。望月氏の取材スタンスはイギリスでは当たり前のことだ」という。

  



情報教育が学校現場に導入されてから15年。しかし、その教育はコンピュータの操作教育ではなかったのか。報道されないことの中にもっと重要な情報があるという視点が欠けていたのではないか。考えてみれば、長期政権を安定的に維持する最も効果的な方法は、マスメディアをコントロールすることである。ヒトラー、ロシア、中国、皆そうである。「中立」的な放送をしなければ電波を止める権限を持つ日本の電波法は、ロシア、中国の状況とたいして変わらない。

学生時代に受けた憲法の授業で、「自由とは、国家権力に反対できる自由のことである。国家権力に賛成する自由はいつの時代でもある。」(野中俊彦教授)と習った。ジャーナリストを生かすも殺すも国民である。どの新聞を購読するかを含めて、国民の応援が欠かせない。



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