保守と革新の経済政策 (2017年10月23日)


 
本来の保守と革新の違い

革新とは、現状を変えれば「良くなると信じる」態度をいう。だから、現状に不満を持っている人の支持を集める。現状に不満を持っているのは弱者であり、虐げられている人たちである。したがって、資本主義社会では、労働者の論理、労働組合の論理として用いられてきた。革新派は、しばしば左派と呼ばれる。

一方、保守とは「人間の理性を信じない」態度をいう。人間が頭で考えることには限界がある。変革しても必ずしも良くなるとは限らない。それだったら今のままでいいのではないか。だから、保守は現状に一応満足している人の支持を集める。現状に満足しているのは財界人、医師、経営者などである。したがって、資本主義社会では保守は資本家などの富裕層の論理として用いられる。

もちろん、保守といえども変革をまったく望まないというわけではない。変革するとしても、いろんな人の意見を採り入れて変えていく。だから、本来の保守は他人の意見をよく聞く「寛容さ」を持っている。



保守と革新の経済政策の違い

不満を持っている人の不満を解決するには、お金がいる。だから、革新派の経済政策はお金持ちからたくさん税金をとり、それを社会保障などの形で再配分することが基本である。つまり、基本的には「大きな政府」を志向する。

一方、保守派の経済政策は、税金はなるべく少ないほうがよいと考える。政府は道路・警察・国防などの必要最小限の仕事をしていればよく、基本的には「小さな政府」を志向することになる。

アメリカでは、保守派を代表するのは共和党であり、革新を代表するのは民主党である。また、イギリスでは、保守派を代表するのは保守党であり、革新を代表するのは労働党である。両国とも、いわゆる2大政党制が確立している。

一般に、保守派の政治は貧富の差を拡大しやすい。したがって、貧富の差が拡大してくるとやがて政権交代が起こり、革新派が政権を担う。しかし、革新派の政治はばらまき財政になりやすく、財政が赤字になりやすい。そこで、今度は保守派が政権を握り、バランスをとる。欧米の政権交代は、こうして起きる。



ねじれている日本の経済政策

日本では保守と呼ばれる代表は自民党である。自民党は基本的には富裕層が支持する政党である。しかし、保守である自民党は、社会的弱者とされるいろんな人の意見を聞き、それを政策に採り入れ、社会を変革する努力をしてきた。たとえば、農民に対する手厚い保護、公共事業を中心とする雇用の確保、中小企業に対する金融支援、景気対策などなどである。その結果、自民党は本来革新政党のやるべき「大きな政府」を志向することとなった。

これに対して、日本の革新政党は「自民党の批判」に明け暮れ、革新の役割を果たしてこなかった。本来「大きな政府」を志向しなければならないのに、「ばらまき財政」を批判し、「利益誘導型経済政策」を批判し、金融緩和を批判し、むしろ「小さな政府」を志向している。これではあべこべである。

 日本では戦後長らく、自民党の長期政権が続いてきた。その傾向は現在も続いている。なぜ、保守といわれる政党が長らく国民の信頼を勝ち取ることができたのか。それはひとえに「大きな政府」政策をとってきたからであるといってよい。人々の最大の関心事は経済政策である。

2017年の衆議院総選挙では、18歳・19歳の約40%が自民党に投票したという報道があった。これは、自分が大学を卒業するときちゃんと正規雇用にありつけるだろうかという不安の裏返しと見ることができる。授業で18歳の高校生に聞くと、「私たちが大学を卒業するときは、東京オリンピックが終わって日本は確実に不景気になると言われている。私たちの就職は大丈夫なのだろうか」と心配している。

野党は、こうした心配にきちんと答えるだけの理論武装をしているだろうか。たとえ、森友問題や加計学園問題、、憲法を無視した安保法制が作られようとも、やはり「安心して経済政策を任せられるのは、自民党しかない」と多くの国民が思っている。



99%の弱者がなぜ1%の富裕層の政策を支持するのか?

 国民の99%(90%?)は弱者である。それが、わずか1%の富裕層の政策を支持している。その結果、どんどん所得格差が拡大している。なんともけったいな政治構図である。このような政治を可能にする背景に、どのような巧妙な仕掛けがあるのか。これからのライフワークとして、じっくり時間をかけて検証していきたい。


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