行政権の拡大と安倍一強 (2017年12月4日)
権力の分割
三権分立を唱えたのはモンテスキューである。大統領制をとるアメリカは三権分立が厳格だとされる。一方、議院内閣制の日本は、三権分立というよりは二権分立に近い。国会と内閣が一体化しているからだ。特に近年は行政権の力が大きくなり、国会の影が薄い。
強まる行政権の力
行政権が強くなっている証拠として、次のような事例を挙げることができる。
@ 内閣提出法案の増加
法律の原案の多くは官僚の手で作られ、内閣法制局のチェックを受けたあと閣議決定され、内閣提出法案として国会に上程される。こうしたことを踏まえ、安倍総理大臣は2016年5月16日の衆議院予算委員会で、「私は立法府の長でもあります」と発言して物議を醸しだした。もちろん、議事録では「行政府の長」と修正されたが、単なる言い間違いであったかどうか。
A 委任立法の増加
法律には抽象的なことしか書かない。あまり細かなことを書くと、情勢の変化に合わせて頻繁に修正する必要が出てくるからだ。法律の詳細については、政令や省令で定められことが一般的になっている。このことも官僚の力を強くする一因となっている。
B ほとんど行われない内閣不信任決議
憲法69条には、衆議院は内閣不信任決議をすることができるとあるが、戦後不信任決議が可決したのは4回しかなく、ほとんど機能していない。
C 7条解散の常態化
衆議院の解散の大半は、「内閣の助言と承認」に基づく「天皇の国事行為」として行われる7条解散(憲法7条に基づく解散)である。しかし、内閣が一方的に衆議院議員の首を斬る7条解散は、国会より内閣を上位に置くものであり、本来あってはならないことである。イギリスでも、ドイツでも禁止されている。
D 内閣府の創設
2001年に内閣府が創設され、選挙で選ばれたわけでもない官僚の力をそぎ、政治家主導の行政を行うこととした。これ事態は民主主義の理念にかなったものであり否定すべきものではない。しかし、近年、内閣府が力を持ちすぎるようになった。特に2014年に「内閣人事局」が作られてからは、高級官僚の人事権を内閣(具体的には菅官房長官)が握るようになり、官僚が物を言わなくなってしまった。
これまで日本の政治は、あの優秀なキャリア官僚に負うところ大であった。かつて田中角栄が大蔵大臣になったとき、キャリア官僚に「頭は君たちのほうがいい。私を使って日本をよくしてくれ。責任は私がとる」といったと伝えられている。今はその正反対である。官邸に逆らえば左遷される。誰も官邸にものを言わなくなり、官邸の力が非常に大きくなっている。
E 小選挙区制の導入
小選挙区制が導入されたのは1994年である。小選挙区制は一つの選挙区から一人しか当選しない。したがって、当選したければ党の公認を得る必要がある。では、だれが公認権を握っているか。もちろん安倍総理大臣である。だから、だれも総理には逆らえない構図ができてしまった。かつての中選挙区制の時代にあっては、自民党の中で派閥があり、派閥の間で激しい議論が展開された。しかし、いま派閥は弱体化し、誰も総理に意見を言えなくなってしまっている。
バランスが大切
三権の力はバランスを保っていることが望ましい。一つに権力が集中しすぎると、政治は危うくなる。トップにものが言えなくなる裏返しが、「忖度」なのかもしれない。
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