北京・大同5日間の旅

(1993年8月)

 

(以下の記事は1993年に書かれたものです。そのつもりでお読みください)

【為替レート】
1元=10角=100分 = 約20円 

北京到着】
 1993年8月18日午前10時に大阪空港を出発。およそ3時間10分で北京に到着した。気温は27度。思ったほど暑くはない。北京の緯度は秋田とほぼ同じであるが、内陸にあるため夏には35度、冬には−18度まで下がる。冬には北海公園などの池は全部凍り、天然のスケートリンクになる。

 北京の春は黄砂でほこりっぽく、1年中で一番いやな季節である。反対に秋は一番過ごしやすい。北京の人口は1100万人(上海は1300万人)。 入国手続きを済ませると、空港の外には中国国際旅行社(中国最大の国営の旅行社、従業員800人)のガイドである「張」さんが待っていた。

 

【言葉】
 中国語ができなくとも紙に書いて示せば意志疎通ができると聞いていたが、そのことを初めて実感した。北京空港に着いてまずトイレに行ったが、そこで「男厠」と書いてあったのにはエラク感激した。入口、出口、国営、修理、大雨、小雨、などみんな日本語と同じである。中国の天気予報にはこのほか「中雨」というのもあった。タクシーに乗るときは、

到 天安門

などと書けばOKである。料金を聞くときは、

多少銭

と書けばよい。

その他、

」=〜の   (例:故宮、是明清両代的皇宮)
中心」=センター(例:貿易中心、国防教育中心)

など、少し知っているだけでも町の中の看板を見るのが楽しくなる。又、テレビ放送が終了すると「晩安」、「再見」という文字が画面にあらわれるが、これなどは中国語を知らなくとも容易に意味が想像できる。

 しかし、同じ漢字圏であるがゆえに難しいことも少なくない。「」と書けば中国語ではお母さんを意味し、「手紙」はトイレットペーパーを意味する。「汽車」は自動車を意味し、「飯店」「大酒店」はホテルを意味する。入口、出口という言い方は日本語と同じであるが、非常口という言い方は中国語にはなく「太平門」と書く

  日本の高校でも中国語を学べるようにしたら、中国に対する価値観も変わってくるのではないか。中国では、英語についで日本語に人気があると聞いた。

故宮にて
 ↑漢字文化

 

 

【史蹟】
 北京は元の時代に「大都」と命名されて初めて天下の中心となった。その後、明の時代になると、都は最初、南京におかれていたが、3代目の永楽帝の時に紫禁城が造営され(1420年)、翌21年に北京に遷都した。以来、清朝もまた北京を 国都としたため、現在北京に残っている有名な史蹟は、故宮(=紫禁城)・明の十三陵・万里の長城・頤和園など、ほとんどが明・清時代のものである。

 もし明・清以外の時代、例えば、秦・漢・(隋)・唐の時代の史蹟を見たければ「西安」に行かなければならない。中国史では都がどこにおかれたかが重要な所以である。


↑雲崗の石窟   大同にある。北魏が華北を統一したのが439年。雲崗の石窟は460年ころから30年間かけて彫られた。約1キロメートルにわたって5万1千の仏像が彫られている。石は砂岩のため、大変もろく崩れやすい。写真は一番有名な第20石窟。     

 


 ↑万里の長城

 

【自然・概略】
 ガイドの張さんの話によると、中国は全部で5つの地方からなる。東北・西北・中原・東南・西南の5つである。また、長江(揚子江)より北を北方、南を南方と大きく二つに区分する場合もある。一般に、北方と南方とでは気候、食事、人間性などに差が見られるという。

 北方は雨が少なく乾燥しており、コーリャンを中心とした一毛作である。人々は概してさっぱりしていて、こせこせせず、お金はすぐパッパと使い、酒やビールが好きで余り働かない。特に農民は仕事がなくなる冬になると、毎日博打をして過ごす。食事は麺類(きしめんによく似ている)やまんじゅうが多く、朝食はおかゆや細長い揚げパンで簡単にすますことが多い。

 一方、南方は雨が多く、米作を中心とした二毛作・三毛作が行なわれ、食事も米が主体である。人々は酒も余り飲まず、勤勉でもっぱら貯蓄をすることに精を出す。

 現在、中国には56の民族があり、そのうち漢民族は92%を占める。宗教は仏教であり、少数民族の中にはイスラム教徒も多い。 行政単位としては、31の「省」(日本の県にあたる)の下に「市」や「県」、「鎮」がおかれている。北京市内は10の「区」に分かれており、郊外の農村地区にいくと「県」という行政区になる。

 

【治安】
 
日本と同じようなものと思えばよい。悪い人はどこの国にでもいる。用心するにこしたことはない。しかし、北京に着いた最初の夜9時頃、宿泊している長富久飯店(ホテルニューオータニ)の前を散策中、一組みの母親と子供の物乞い(スリ?)に付きまとわれた時は困った。振り切ってホテルに逃げ帰ってきた。

  また北京駅では切符を求めてたくさんの人が泊まり込んでおり(中国では切符を買うために何時間も何日間もかかるのが普通である)、それに混じってホームレスの人もいるため、一時も油断ができなかった。しかし、旅行期間中危ないと感じたことは一度もなかった。

【町並み】
 北京では30階建・50階建のビルがあるかと思えば、一歩入ると60〜70年前に作られた平屋のレンガ造りの民家がたくさん残っていた。しかし、北京では今あっちこっちに古い建物を壊しビルが建設されている。78年以来の「改革・開放政策」が浸透していることを肌で感じた。市内の旧い民家に面した歩道にはたくさんの露店が並び、西瓜や桃、雑貨などを売っており、人々の活気とエネルギーが感じられた。


 ↑ 北京の裏通り

 

【住宅・土地】
 土地は今のところ国有である。ガイド さんの話では近い将来、私有が認められるようになるだろうとのことであった。一般に都市の職場には社宅があり(家賃は20〜30元)、独身の者は親の社宅から通勤する。結婚をすると社宅に入居申請をするが住宅難でなかなか入居は難しい。現在政府は住宅を商品化しており都心から車で30分くらいのところでどんどんマンションが建設されていた。

一人っ子政策のため2DKが多く、1u当たり10万円が相場とのことある。北京では住宅を買うことが奨励されているが、給料が安くて買えないのが実状である。例えば50uのマンションを買う場合500万円もする。今、都市のサラリーマンの平均年収が3000元(6万円)くらいだから庶民には高嶺の花であろう。ただし、地方へ行くと200万円くらいで買えるらしい。

 

【経済・ショッピング】
 1978年に改革・開放政策がとられた。89年の天安門事件で一度揺り戻しがあったものの、その後も中国経済の民営化は着々と進んでいる。特に一般市民を相手に物を売っている商店では、国営の商店がめっきり少なくなり、大半が個人経営の店であるという印象を受けた。特に大同では国営の商店はほとんど見当らなかった。

町のなかでよく「〜公司」という看板を見かけることがあるが、これには国営のものと民営のものがあるということであった。ただ、最近は民営のものが増えつつあるという話である。しかし、共産主義の根幹をなす企業はもちろんまだ国営である。

  ところで、中国人の商売熱心さには度胆をぬかれる。故宮や万里の長城など主な観光地には土産物屋が軒を連ねている。多分、日本人観光客は「鴨ネギ」と思われているのだろう。日本人と見るや、時には「センセェー!」・「シャチョオー!」などと呼び掛けてくる。

英語は全く通じない。しかし、日本語はある程度通じる。
「これいくら?」 
「ニジュウゲン」 
「高い!」
 「ジュウゴゲン」

といった調子である


 ↑土産物店

 多分、必要に迫られて日本人観光客から覚えたのであろう。仮に相手が日本語を話せなくとも紙に値段を書いてもらうと理解できるから、買物にはさほど不便を感じない。ただし、値段については注意が必要である。友誼商店と違って個人企業では値切るのが当たり前になっている。値切らないで買うと馬鹿を見る。Tシャツを買おうとしたある観光客と店の主人とのやりとりを再現する。 

「このTシャツいくら?」
「2マイ、センエン」  
「高い!」 
「5マイ、センエン」
「高い!」   
「10マイ、センエン」  

もう、無茶苦茶である。まるでゲーム感覚といってよい。もちろん友誼商店の品物と違って、洗えば2度と着れない代物に違いない。ちなみに、私はよく似たTシャツを友誼商店で2枚60元(約1200円)で買った。こちらの方は多分品質は信用できるだろう。

 一般に百貨店に行くと必要なものは大体売られている。ただ、照明が不十分なのでショッピングをしていてもあまり楽しさは感じられない。大学の生協食堂のサンプルケースのような陳列棚に商品が並べられている感じである。たまたま目にとまったいくつかの商品の値段(あくまで交渉前の値段)を記しておく。

カラーテレビ 2500元
ステレオ 2000元 
自転車 400元 
ビール (ホテル内) 12元  
コカコーラ(ホテル内)(可口可楽と書く) 12元  
コーヒー(ホテル内)   5.5元  
冷えていないビール(駅の売店で) 2元
西瓜(北京の露店) 3角


  昔、農村部では白黒テレビ・ミシン・洗濯機が三種の神器といわれた。今はカラーテレビ・バイク・クーラーがないと嫁の来手がないともいわれる。テレビ(白黒又はカラー)やカメラはほぼ各家庭に行き渡り、冷蔵庫もしだいに普及し始めているという。一頃言われた「万元戸(=年収20万円の家)」はすでに80年代の旧いスローガンと化し、今や10万元戸・20万元戸・50万元戸が目標であるという。中には1000万元戸(=年収2億円)の農家もあるらしい。

 84年に人民公社が解体され、その後「郷鎮企業」が設立され、農村部もだいぶ変わりつつあるという。ただし、多くの農民はまだまだ貧しく、医療保険がないなど生活は大変であるらしい。実際、北京と大同(人口100万人)とでは人々の身なりからして相当の経済格差があると感じられた。資料によると、労働者の6〜7割を占める農民の平均的な年収は1000元(=2万円)である。これに対して都市部のサラリーマンの年収は3000元(=6万円)といわれている。

 北京では衣・食・住のうち、衣についてはかなり充足されつつあり、多くの人がオシャレに神経を使っているように思われた。「人民服を来ている人はいないのですか」という小生のトンチンカンな質問に、ガイド さんは、「78年の開放政策以来人民服は姿を消した。あんなものはダサイ。」と一笑に付した。そういえば北京では結構カラフルな服を着、サングラスをかけ、さっそうと自転車(自動車ではない)を走らせる若い女性たちがたくさん見られた。

 

【テレビ放送】
 今、人々の最も大きな娯楽はテレビである。北京市内では中央電視台・衛視中文台・衛星放送など6チャンネルがあり(大同では4チャンネル)、朝から深夜まで放送をしていた。番組内容は一見したところ日本とほとんど変わらない。たまたまホテルで見たニュースでは、@国内政治 A災害(洪水) B国際政治 Cスポーツ D天気予報 などをやっていた。

 チャンネルを変えると歌謡番組(人気があるのは香港や台湾の歌手)や、日本のテレビドラマを中国語で吹き替えて放送していた。さらに衛星放送にチャンネルをあわせるとCNNニュースや洋画を英語で見ることもできた。又、番組と番組との間にはコマーシャルもあった。

 コマーシャルの中で最も多かったのは各種の薬(漢方)の宣伝で、電器製品の宣伝は予想に反してほとんど無かった。もちろん車の宣伝など皆無である。 大同では夜は街灯も少なく、ひっそりとしており、ほとんど誰も町を歩いていない。みんな家でテレビを見ているのだという。

 

【教育】
 
6・3・3・4制が採られている点では日本と同じである。義務教育は9年間で都市部ではほぼ守られているが、農村部では子供を学校に行かせないで働かせる親もいるようである。大学進学率は7%で、文字通りエリートである。大学に行かないと自分の思った職業に就けないとガイドの張さんは言っていた。現在、中学1年生以下の子供はほぼ1人っ子である。従って教育については金に糸目をつけない親が多いという。 


 ↑たまたま見かけた小学校の先生

大学入試は、5月にまず省内試験が行なわれ、約50%がふるい落とされ。その後7月7日から9日にかけて全国一斉に試験が行なわれる。最難関はもちろん北京大学で、学生は2万人、教授陣は7000人いる。北京大学は総合大学であるが、もうひとつの名門校である精華大学は理科系の単科大学である。このほかに北京師範大学があり、学校の先生を養成する。

 先生の社会的地位は高い。一般に大学に入学すれば卒業は比較的やさしいといわれる。就職は分配制度と呼ばれ、最近では各職場がそれぞれ独自の就職試験や面接を行なうことが多くなり、以前のようにコネでは就職できなくなったという。もちろん、人気のあるのは大都市である。

 

【交通】
 ところで、中国では車および自転車は全て右側通行である。従って車は左ハンドルである。北京空港では走行距離が20万キロにも達したような旧いガタガタの車が駐車場にあふれていた。空港から北京市内まで約50分。並木に囲まれた片側1車線の道路が続き、少し渋滞している。失礼な話だが、まさか中国に交通渋滞があるとは来てみるまで想像もしなかった。その横には空港から市内に入る高速道路がほぼ完成しており、来月開通予定だという。

 中国で車を買おうとすると、日本の「NISSAN」の250万円くらいのものが400万円もする。これは大卒の初任給(1ヵ月、約200元=4000円)の80年分にもあたるため、一般の人は高くて買えず車の個人所有はほとんど無いとのことであった。(ちなみに日本での大卒の初任給は1ヵ月、約17万円だから、これにボーナスを加味すると、約1年分の給料で車が買える。) 

 従って、北京を走っている車の約半分は会社(公司)の所有であり、残り半分は黄色い色をしたタクシーである。ガソリンスタンドの大半はそれぞれの会社の中にあり、道路わきにはほとんど見当らない。主要な交差点にはおまわりさんが交通整理をしている。幹線道路の両わきには3〜4メートルもあるような歩道が整備されており、たくさんの自転車や、自転車に引かれた荷車、それに歩行者が歩いている。

 少し郊外にいくと馬車も歩いている。ところどころに横断歩道があるが、横断歩道がなくても人も自転車も堂々と渡る。そのため市内では車はあまりスピードが出せず、大きな事故は比較的少ないという。その代わり自転車どうしの衝突はひんぱんに起こる。旅行期間中にバスの中から2回ほど衝突を見た。


 ↑ 自転車でうまる天安門広場

 市民の交通手段として自転車についでポピュラーなのがバスである。料金は1角から5角。車両を2台連結した細長いバスが市内をくまなく走っている。運転手のほとんどは女性である。たまたま見たドライバーは30代の肝っ玉母さんのような顔をしていた。

 タクシーには、普通車(1800tクラス)・1000tクラス・軽自動車のバンの3種類がある。料金はそれぞれ1qにつき2元、 1.6元、1元である。軽自動車のタクシーを1台買うと5万元(100万円)もするということだった。北京にはこのほか地下鉄も走っている。環状になっており、料金は5角で乗り放題とのことである。なお、北京市内ではバイクの所有や朝晩のトラックの乗り入れは制限されている。

 

【感想】
 今回中国を訪れてみて三つの感想をもった。

 第一に、78年12月の11期3中全会以来の「改革・開放政策」が進んだ結果、もうすでに貧富の差がかなり見られたことに改めて強い衝撃を受けた。(もちろんそれ以前にも特権階層は見えないところに存在していたに違いないが)。

 ケ小平は80年1月に「今世紀末に国民総生産を4倍増にして、小康(まずまずの暮らし)を成し遂げる」という「翻両翻(4倍増)」構想を打ち上げた。まさに日本の1960年頃(33年前)の高度成長を連想させる政策である。その後、80年代を通じて中国は8%台の経済成長を遂げ、92年からは「改革加速」の大号令もあって高い成長率を示している。

 今、北京は建設ラッシュである。あちこちにクレーンが高層ビルを建て、高速道路を建設している。しかし、高度成長にともなって12億の国民の間にさらに所得格差が広がるのも又必然であろう。

 第二に、中国には国営の店と個人企業が区分の上からはあるわけだが、一旅行者として接した場合どちらも大して変わらないという感想を持った。われわれを案内してくれたガイドさんは国家公務員である。大同で泊まったホテルも国営である。しかし、だからといって社会主義であることを肌でことを感じたことは一度もなかった。むしろ、強引な売込をする個人商店よりは国営商店のほうに良い印象を持った。

 第三に、実際に中国を訪れてみて、収入を「為替レート」だけで換算してその国の豊かさを国際比較するのは間違いであることを改めて痛感した。中国の大卒の初任給が1ヵ月、200元(=4000円)と聞けば誰だって中国は貧しいと思う。  

 しかし、西瓜が6円、地下鉄が10円、部屋代が1ヵ月500円、都心のマンションが500万円と聞けば、各国の物価水準を考慮した「購買力平価」で国際比較することに異論を唱える人はいないだろう。 最後に旅行費用は24万円(小遣いは別)であった。(1993.8.26脱稿)

蘆溝橋。蘆溝橋事件(1937)のあった場所
 ↑ 盧溝橋にて

 

 

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