叱り方は難しい 叱ることはほめること以上に難しい。しかり方を間違えると、一生その人の心に傷を残すことになる。しかり方のポイントを教科書的に言えば、 @頭ごなしに叱らない。必ず相手の言い分を聞いて、理由を説明して叱る。 A叱るという行為は、相撲で言えばガチンコ(真剣勝負)である。テレビのスイッチを切り、向かい合って、目線の高さを同じにして、相手の目を見ながら叱る。 B他人と比較して叱らない。特に兄妹の比較は厳禁である。 C父親と母親で役割分担をする。一般的には父親が叱り役で母親がフォロー役に回るとよい。両親が一緒に叱ると、家庭内における子どもの居場所がなくなり、「親」対「子ども」の対立となってしまう。 D叱りたいことを我慢して我慢して、ある日一気に爆発させるというのは最悪である。その都度注意をして、「3回やったら、容赦しないからね」と事前に警告を発し、徐々に叱り方をきつくしていく。 E「叱るときはだれもいないところで」というのが原則とされる。職員室に生徒を呼び出して叱るのは、ほかの教師の前で恥をかかされたという意識が残るので避けたほうがよい。 @すぐその場で叱る A人前で叱る B理由を明確に告げて叱る。絶対に人格攻撃はしない Cアフターケアをしっかり行う
たしかに一理ある。 もう60年近くも前のことだ。でも、それで私は社会常識を一つ身につけた。この例などは、間髪いれずにその場でしからなければならない典型例であろう。
山田恵諦天台宗座主の叱り方 「子どもを育てるときには、決して叱ってはいけない。褒めてもいけない。これが教育の基本である。特に叱ることだけはしてはいけない。叱っても、絶対といっていいほど反省はしない。 曲がったところ、悪いところを直そうと思ったら、自覚するようにし向けなければダメである。そのためには直接的に言ったらうまくいかない。本人が自覚するように、間接的にもっていくことである。
また、このごろの教育法では、盛んにその子のいいところをほめて、素質を伸ばしてやれと言う。確かに長所を見つけることは人を扱う基本である。しかし、ほめたからといって伸びるものでもない。下手にほめれば、のぼせるだけである。 叱ってもいかん、ほめてもいかん。じゃあ、どうするのか。答は、この二つを合わせて使うのである。どうしても叱らないかん時まで、ほめる材料を取っておいて使うのである。すぐに出したらダメで、温存せなあかん。 「あんた、いついつの時には、どこそこでこうしよったやないか。私は、賢い子だなあ、いい子だなあと思って感心しとった。それなのに、こんなことしたら、ちょっとおかしくないやろうかなあ」。 こういう言い方は、叱るんではなしに、教えているのである。子どもには子どもなりの理由があって、正しいと思って、あるいはそう悪いことではないと思ってしていることがたくさんある。だからこそ、本人に考えさせ、悟らさなければ直っていかない。 これは叱らないかん、これはほめないかんということを、一つ、二つと胸にしまっておく。そして、ここぞというときにさりげなく出す。黙っていても親の目が光っている。よほどのことがなければ口を出さない、ということが大切である。」 (『上品の人間』 大和出版より要約)
叱り方は、それぞれが工夫をするしかないのかもしれない。大人の社会では、叱ると人間関係が崩れるから叱らない(あるいは注意をしない)というのはしばしばある。 しかし、少なくとも教育現場ではそういうことはあってはならない。適切に叱ることは、「あの先生は、本当に自分のことを思って叱ってくれているのだな 」とかえって人間関係を深めてくれるものである。家庭がしつけの教育力を失った現在、学校にはそうしたしつけまで求められている。
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