イスラエル(4)

 

11、パレスチナ問題の解決は可能か


 「ユダヤ人はわれわれが2000年間住んできたパレスチナの土地を盗んだ泥棒だ。彼らを地中海にたたきこむまでは戦争をやめない」と主張するパレスチナ(アラブ)人。これに対して、「この土地は神から与えられた土地であり、元々の所有者はわれわれだ」と主張するユダヤ人。
 イスラエル政府は、アメリカの制止を押し切る形でヨルダン川西岸、ガザ地区への入植に力を入れてきた。入植すると安価な住宅の提供など、さまざまな優遇措置が受けられる。これまでの入植者数(1994年現在)は、ヨルダン川西岸8万人、東エルサレム12万人、ゴラン高原1万3千人、ガザ7千人、合計22万人である。


↑ ヨルダン川西岸地区。

 ヨルダンとの国境にある有刺鉄線には電流が流されている。 4次にわたる中東戦争の結果、600万人のパレスチナ人のうち300万人近くが難民となり、200万人 近い人が今もガザとヨルダン川西岸に不自由な生活を送っている。この難民たちをどうするのか。

 基本的には、少なくとも1967年の第3次中東戦争で占領したガザとヨルダン川西岸は返還すべきであろう。しかし、パレスチナと妥協しようとしたラビン首相が1995年にイスラエルの右派によって暗殺されたように、PLOのアラファト議長も安易な妥協をすれば味方から命を狙われかねない。

 とりわけイスラエル・アラブ双方にとって聖地とされるエルサレムを、どういう形で決着をつけるのか。最大の課題である。パレスチナ問題は基本的には領土問題であるが、これまでの経緯から感情的なしこりも深刻である。通りすがりに見た アラブ人居住区は見るからにすさんでいたのが印象的だった。


↑ユダヤ人の作ったきれいな街並み西エルサレム


↑ 繁華街イェフダー通り


↑ 荒れるアラブ人居住地区
 



12、ホロコースト記念館

 ホロコーストはヨーロッパ全土で行なわれ、ユダヤ人は逃げるところがなかった。全部で約600万人が殺され、その内こどもだけでも150万人を数えた。地域別死亡者数は次の通り。なお、括弧内はユダヤ人総数。

ポーランド300万人(330万人)
ソ連150万人(302万人)
ドイツ17万人(50万人)
オランダ10万5千人(14万人)
リトアニア13万5千人(?)
ラトビア8万5千人(9万人)
オーストリア6万5千人(18万人)
ユーゴスラビア5万5千人(7万人)
ベルギー4万人(6万6千人)
イタリア1万5千人(5万人)
その他


↑地域別死亡者数を記すパネル

 

 1940年、リトアニア領事館の領事代理であった杉原千畝氏は、ポーランドから逃れてきたユダヤ人に対し、日本の外務省の命令に背いてビザを発給し、約6000人のユダヤ人を救った。そのこともあり、今も日本人に対するユダヤ人の態度はきわめて友好的である。杉原氏は日本の誇りである。

 その後リトアニアはソ連領となり、カウナスに残っていたユダヤ人は全て殺されたという。ビザをえたユダヤ人は、シベリア鉄道で2週間以上もかけてウラジオストックに着き、日本を経由し、その後、パレスチナやアメリカなど世界各地に旅立っていった。

 杉原氏は戦後、このため外務省を辞任させられた。杉原氏は晩年、「私のしたことは外交官としては間違ったことだったかもしれない。しかし、人間としては正しい行動だった」と述懐している。

 

 

 

 

 

 

 

↑ホロコースト記念館には、杉原氏の功績を讃える木が植えられている


 

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