イスラエル(3)

 

9、エルサレム

 エルサレムは、ユダヤ教(2500年余の歴史)、キリスト教(2000年の歴史)、イスラム教(1300年余の歴史)の聖地である。

 ユダヤ教徒にとってはソロモンが最初に神殿を建てた地であり、キリスト教徒にとっては、イエスが磔刑(たくけい)になりやがて昇天した場所である。一方、イスラム教徒にとっては、創始者のムハンマドが岩のドームから昇天したとされ、これまた譲ることのできない聖地とされる。このような事情から、エルサレムをどこの国が支配するかは、パレスチナ問題最大の課題となっている。

 嘆きの壁(ヘロデ王が建てた第二神殿の一部)の前に行くと、全身黒ずくめの「ハシディーム」と呼ばれる熱狂的なユダヤ教信者がたくさん見られる。いちばんイスラエルらしい光景として、よくニュースに登場する光景である。

 しかし、このようなハシディームは、イスラエル全体では決して多くはない。人口の数パーセント程度であろうか。ユダヤ社会のなかでも特異な存在である。彼ら超正統派ユダヤ人は、メイヤシャリームという限られた地区にのみ住み、仕事はもっていない。税金をもらって聖書研究をし、お祈りをすることが仕事で、兵役も免除されている。

 一般にユダヤ人のユダヤ教に対する 態度を分類すると
@きわめて熱心な人(超正統派+正統派)、約20%
A一般のユダヤ人(好みに応じて宗教法を部分的に守っている)、約60%
B無宗教派のユダヤ人、約20% といったところであろうか。




嘆きの壁
 真ん中にフェンスがあって、男女別々に祈る。左側が男性、右側が女性。


↑嘆きの壁の広場を上から警備するイスラエル兵士

 


岩のドーム

各辺20メートルの正八角形をしており、中にはムハンマドが昇天したとされる岩がある。靴、荷物、カメラをみな置いて中に入る。中は撮影禁止。モスクの床には、メッカの方向がわかるように赤のビニールテープがはってあった。修築中だったため、足場が組まれている。


 



ビア・ドロローサ(悲しみの道)

イエスが、処刑されるまでの最後の1キロメートルを十字架を背負い歩いた道。


 
 

聖墳墓教会

イエスが処刑されたゴルゴダの丘には、335年に聖墳墓教会が建てられた。写真は、聖墳墓教会の内部。


 


ダビデ王の墓を納める建物(左側の建物)

シオンの丘にはダビデ王の墓とされるものがある。その建物の2階には、イエスが弟子たちと過ごした「最後の晩餐」の部屋がある。


↑最後の晩餐の部屋

 

 

オリーブ山

イエスは処刑後3日目に復活し(墓が空っぽになった)、40日後に、オリーブ山(ざん)から昇天した。それにより「神の子」という強い信仰に変わった。


↑ 遠方にオリーブ山を望む

 

10、ユダヤ教という宗教
 
 ユダヤ人がユダヤ教という宗教をどの程度信じているかは、人によってさまざまである。
いちばん熱心な信者
は、異邦人(ユダヤ人以外)の家にも行かない。
その次に熱心な信者
は、異邦人の家には行くが、一緒に食事はしない。
もちろんあまり熱心でない信者もいる(実はこれが国民の大半である)。
意外な感じを与えるかもしれないが、ユダヤ教を信じていないユダヤ人もいる

 聖書では、ユダヤ人は神から選ばれた民とされる。しかし、イスラエル人で「選民意識」を持っている人はごくわずかである。大半は日本人の仏教程度の意識といっていいかもしれない。


↑ユダヤ教では、髪に剃りをいれてはいけないとされている。


(ユダヤ暦)

 天地創造を元年とする。2002年はユダヤ暦の5762年になる。しかし、イスラエル訪問中にユダヤ暦にお目にかかる機会はなかった。 行事にユダヤ歴が使われることを除けば、一部の熱心な信者の家庭内でしか使われていないのかもしれない。

(安息日)
 安息日は土曜日である。したがって、日曜日は日本の月曜日にあたる。安息日は金曜日の深夜から始まる。ユダヤ教に厳格な家庭では、家庭の主婦は安息日が始まるまでに料理も掃除も全部済ませておく。安息日には勉強もしてはいけない。電気のスイッチも入れたり切ったりしてはいけない(センサーをつけて自動化されている)。もちろん、他人にものを頼んでもいけないし、電話をかけることもいけない。

(食事)
 肉は「ひずめが分かれていないもの」は食べない。また、海や湖に住む魚のうち「鱗のないもの」(たとえば、タコ、海老、イカ、うなぎなど)も清くない食物として食べてはいけないとされる。
 また、変わったところでは、ミルクと肉は一緒に食べてはいけない。朝ミルクを飲んだあと、昼に肉を食べるときは6時間以上あけなければならない。もちろん、肉と一緒にパンを食べるときは バターはつけない。食事の作法は旅行者にも厳格に守ることが求められる

(ユダヤ人が迫害された理由)
 
ユダヤ教とキリスト教がはっきりと分かれてきたのは2〜3世紀ごろと言われる。キリスト教社会が確立する中で、しだいに反ユダヤの感情が芽生えていった。土地を持てないユダヤ人達は「教育」を重視。知識人が増えるにつれ 、それが一層嫉みを買い迫害される原因となった。


↑ 4世紀後半のシナゴーグ(教会)


 
 一般的にユダヤ人が迫害される理由は次の4つだといわれる。

@キリスト教ではイエスをメシア(救世主)とする。しかし、ユダヤ教はイエスを救世主と認めない。そのためキリスト教社会からはじき出された。

Aイエスを裏切ったのはユダヤ人のユダであった。そのためキリスト教徒から反感をもたれた。また、ユダヤ人が自分たちを神から選ばれた「選民」としていることも反感を持たれる理由となったといわれる。ただし、ユダヤ人の選民意識は反ユダヤ主義者によってことさら強調され、利用された面もある。実際のユダヤ人の選民意識はそれほどでもない。

Bユダヤ教の習慣が独特のものであり、しかも彼らが地域文化に同化しようとしなかったため、周囲の社会から浮いてしまった。

C土地を持たないユダヤ人が大切にしたのが、「教育」と「お金」。とくにお金にこだわることは卑しいことととされ、それがユダヤ人に対する偏見となった。現代においてこそ金融は花形の職業であるが、近代までは賎業とされた。シェークスピアのようなインテリでさえ、「ベニスの商人」のシャイロックのような描き方をしている。

D国内に不満があると、為政者はその不満を解消させるため矛先を反ユダヤに向け、ユダヤ人をスケープ・ゴート(身代わりの山羊)にした。ヒトラーはその典型である。

 

 

海外旅行目次に戻る

 

トップメニューに戻る