[HOME] > 三加茂町ホームページ > 川原姓の秘密
(Update: Saturday 31 August 1996)
三加茂町の電話帳を開きますと、まあ「川原」の姓が多いこと多いこと。 おそらく5分の1ぐらいは「川原」じゃないでしょうか?(ちょっと大袈裟 です:-)
私が小学生の頃は、クラスの半数が「川原」 の名字でして、先生は下の名前を呼ばないといけませんでし た。だって、「川原っ」って呼ぶと半数が振り向くのです(^^;
明治政府が名字を武士以外に許した時に、名字を考えたのはお坊さんなどの その地方の知識人が考えたと聞きます。「川原」なんてありふれた名字は、
「吉野川があって平野があるけん、川原にしとこか」
てな具合に付けられたぐらいに思ってました。
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ところがです。実家にした時、久しぶりに小学校の時の幼な馴染み と呑んだのですが、「川原」の由来についての意外な(?)噂を耳にしました。 (因みに、この幼な馴染みも川原さんです:-)
実は、川原は源氏の末裔だとゆうのです。
話を聞いてみると、2つの説があるとのことでした。
まず、どちらの説にも共通するのですが、ご存知の通り、源平合戦の 屋島の戦いで平氏は滅亡の道をたどり、その落武者が四国の山中に落ちて行き ました(俗に言う平家伝説)。私が知っている身近な話としては3つあります。
ここまでは、小さな頃からよく聞いた話で、間違いなく史実だと思います。 で、ここからが本題です。
平氏が四国の山中に落ちのびたとゆうことは、当然、源氏の追っ手がかかり、 祖谷地方など現在の三加茂町周辺まで追ってきたはずです。 さて、追ってきた源氏の武士は、それからどうしたのでしょうか? 次のような可能性が考えられます。
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平氏の落武者を四国の山中まで追ってきた源氏の武士は、平氏の落武者を 追い詰めたが、その無惨な姿を見るに忍びなく、世の無常を感じそのまま 見逃してやった。都に帰るにも、見逃してしまった以上、そのままお咎め がないはずはないし都に帰ることはためらわれた。そこで、そのままその 地方に土着してしまった。
正体を隠すために、そのまま源氏を名乗るのはまずいので、源(みなもと) の字を「川」と「原」の2つにわけて「川原」と名乗った。
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平氏の落武者を四国の山中まで追ってきた源氏の武士は、なかなか発見でき なかった。落武者を発見する間に、村の者の家などに滞在するうちに、村の娘 と恋に落ちてしまい(ちょっと無理があるなあ)、娘には子どもが宿ってしまっ た。そのうち、その源氏の武士は落武者を捕えて、都に帰ってしまった。
娘は悲しんだが、子供を産み父のことを誇りに思うように、密かに 源(みなもと)の字を「川」と「原」の2つにわけて「川原」と名乗らせた。
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どちらの説にも共通するのが、源(みなもと)の字を 「川」と「原」の2つにわけて「川原」と名乗ったとゆうところです。
高校生まで三加茂町在住でしたので、あまり意識しませんでしたが、「川原」の姓は あまり全国にはいません。たとえ出会っても、「川原」ではなく「河原」の姓がほと んどです。地名にしても、同じく「河原」はまま見るのですが、「川原」の地名はあ まりありません。さんずい偏をそのまま一文字にすると、「河」よりも「川」の方がぴ ったりする気がします。
と、色んなことを考えていると、川原は源氏の末裔だとゆうのが 本当のように思えてきます。まあ、ほとんど証拠はなく推測の域をでませんが...
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Written by kabada