私の趣味 ―麻雀(マージャン)―

 麻雀を覚えたのは16歳の時だから、雀歴は相当長い。父の軍隊時代に覚えたというあいまいな記憶と古本屋で買った本(図解麻雀入門)でルールを覚え、中古の麻雀牌を購入して、家族で始めた。覚えたての頃は、とにかく麻雀がやりたくて、家族でメンバーが4人(中学2年、小学2年の弟達を巻き込んで)揃えば、やっていた。母は子供達がこのために勉強しないと怒っていて、家事が忙しいということで覚えなかったが、後々のことを考えたら、無理にでも巻き込んでいた方がよかったと後悔している。そうしていれば晩年認知症にならなかったかもしれない(?)。麻雀のおかげで、両親が高齢になってからも、家族麻雀(三人麻雀になったが)をしながら見守りも出来たし、父は(私の譲った)MSXパソコンの麻雀ゲームを長年愛用し、長生き出来た源であるとまで言っていた。認知症予防にも効果があるとも言われているので、老後の暇つぶしにはもってこいである。


 麻雀は、運が大きく作用するゲームで、勝負は、運7実力3とも言われているが(逆という人もいる)、長期的にみれば、やはり上手な者が勝つことになる。ところがある瞬間だけをみると、覚えたての初心者がベテランの実力者を負かせてしまうのだから、こんな痛快な遊びは他にはない。また、瞬時の読みや決断が要求されるし、相手との駆け引きもある。麻雀は心理戦の一面もある。それに麻雀をする中でその人の本性が見えるというのも面白い。

 就職直後の若い時代、それなりの自信もあって、職場の人達とスポーツ新聞社主催の麻雀大会にも何度か参加したこともあるが、どうしても一発勝負の大きな手を狙うのでいい成績は残せず、賞にはありつけなかった。
 一時期、青春の刹那の中で、今日が最後と感傷的になりながら、麻雀をやった記憶もある。勝ってもしようがないんだ、と言いながら勝ち続けたこともある。和歌山勤務時代には、私が宿直当番の時に暇なので家族を呼んで宿直室で徹夜麻雀をしたり、局内大会というのを開催して1度優勝し、その優勝カップが今も家にある。奈良勤務時代は、ギリギリまで雀荘で遊んでいて、最終電車に間に合うように、近鉄奈良駅まで走ったことが頻繁にあった。麻雀メンバーの送別会で下市温泉まででかけ1泊で徹夜麻雀をしたこともあった。麻雀のおかげで、職場での人間関係の円滑化にも役立たち、早く酒席から逃げることもできたし、社員旅行の夜はいつも麻雀だった。

 マンションのサークル活動の一環として、平成18年から週1回、私が講師となって、初心者(主に高齢女性)相手に集会室で麻雀教室を開催するようになった。一時中断したが、平成22年4月からは、教室を引き継ぐ形で健康麻雀をはじめると、役も点数もよく分かっていない人達だが、時間が過ぎるのを忘れるほど夢中になるという。ただ、高齢なので覚えも悪く、あまりにも覚えてくれないのは、教える側のモチベーションが上がらなかった。
 平成22年1月から、経験者の男性達が健康麻雀をするようになり、この二つの麻雀グループは、その後週1回の合同開催となって、ルールの調整やレベルで分けるなど試行錯誤を繰り返しながら、マンション麻雀同好会となった。今までの経緯から一応会長ということになっており、世話人の人とともに成績の記録や賞状の印刷などの作業もしている。平成25年からは優勝カップや各賞(優勝、準優勝、半荘最多得点、月間最多得点、役満賞)の賞状も出すようになった。
 平成24年、父もこちらに引っ越してしばらくしてから、この麻雀同好会に参加させてもらって、弟宅へ転居後も私が車で送迎するなどして、亡くなる半年前の97歳まで遊んでいた。賞状をだすようになった年の優勝は高齢の父だった。私も何度か年間優勝をしている。12月の最終競技後は、麻雀同好会としての忘年会も実施し、酒好きの父は喜んで参加していた。
 平成26年から、当日の参加者の人数によって、四人打ちと三人打ちを混在させて、出来るだけ待機者をなくす工夫をしている。
 平成31年に当同好会が申請して枚方市の「高齢者居場所づくり補助金」の交付団体となり、その補助金で備品等を追加購入した。そのため、外部の人達にも開放しており、現在6名の人が参加している。
 令和2年の新型コロナの時期は、マンションの集会室が使えず、麻雀同好会はお休みとなり、以後忘年会はしなくなった。
 令和4年からは、弟夫婦も参加させてもらい、弟は令和5年の年間優勝をしている。当初の参加者から次第に女性参加者が減り、転居された方や病気や亡くなった方もいて、内部参加者は少なくなった。

 ケーブルTV(CS)で、プロや芸能人の麻雀対局の番組があることを知って見ているが、暇つぶしにもなるし勉強にもなる。最近はユーチューブにも多く対局がアップされている。私の一番好きな女子プロは、二階堂亜紀プロ。若くして麻雀プロとなり、美人で実力もある。新しい女流プロは続々と誕生しているが、いろんな意味で二階堂亜紀プロを越える人はでていない。