私の趣味 ―パソコンー
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NECPC-6001 | NECPC−6001MKUSR | パナソニックA1-WX | EPSPN486GFと NECPC9821Xa10 |
パソコンを始めて購入したのは、昭和57年5月、32歳の時だから、パソコン歴も40年以上になる。パソコンも買い替え続けて19代目の機種となっている。パソコンでワープロが出来なかった時代に、ワープロ専用機も2機種買っている。もともとパソコンを始めたのは、当時はTVゲーム専用機がなく、家でTVゲームをしたかったというだけの話である。パソコンはおもちゃのようなゲーム機から、コンピュータとして実用に耐えられるものにまで信じられない程の進歩をした。
ゲームから入ったパソコンだが、早くから接していたおかげで、職場へワープロやパソコンが導入された際にも、周りの中年のおじさん達のように抵抗はなく、仕事でも使いこなせた。また、パソコンがなければ、インターネットトレーディング(外国為替証拠金取引)が出来ないのだから、会社を設立することもなかったし、パソコンと会計ソフトがなかったら会社は経営出来なかっただろう。パソコンはお金儲けまでさせてくれたし、私の人生でパソコンで暇つぶし出来た意義は大きい。
現在、パソコンの使い道は、@ゲーム、Aホームページの作成、B家計簿、Cメール、Dインターネットによる各種情報収集、Eゴルフのエントリー、F文書の作成・整理等である。ただ、携帯電話がスマートフォンになって、これは超小型パソコンでもあるので、パソコンへの依存度は低下した。
NEC PC―6001シリーズ
初代パソコン NECPC−6001
当時、何が出来るのかわからないまま、何か出来そうだ(ゲームができることだけは知っていた)ということだけで、8万円も出して、NECパソコンPC−6001を大阪日本橋の家電店で購入した。衝動買いであったが、一応、事前に資料は集めて研究をし、最終的に日立のベーシックマスターとPC−6001に絞っていた。結果としては、当時どちらかというとマイナーな企業イメージしかなかったNECにしたのは大正解であった。日立はそのうち、パソコンから撤退し、ソフトもあまり出なかったのだから…。
CPUは8ビット4MHzのZ80、メインメモリ−が16KB(すぐに32KBの増設RAMカートリッジが必要になった)、外部記憶装置はテープレコーダーであり、一番ひどかったのはおもちゃのようなキーボードである。しかし、音が出せ、色が8色表示、ひらがなも表示できるというのは、当時としては、画期的なパソコンであり、PC−6001はそれなりに一時代を築いたパソコンとなった。ただ、購入して半年も経たないうちに、廉価で数段上をいく性能を持った富士通のFM−7というパソコンが発売になり、非常にくやしい思いをした。
ソフトはカートリッジとテープで供給されたが、カートリッジ版はNECが出していたくらいで、ほとんどはテープ版だった。初期の頃、パソコンゲームの麻雀をしたくて、ある麻雀ゲームを購入したが、いかさま麻雀のようで、全然リアリティがないのにはがっかりした。しかし、パソコンの付録についていた地雷ゲームが毎日家で遊べるというだけで楽しかったし、ましてやインベダーゲームが、家の中で毎日ノーコインで出来るというのは一つの感動であった。
別冊のBASIC(プログラム言語)のマニュアルを買い、またNHKのマイコン講座を見ながら、BASICの勉強もしたが、他人の作ったプログラムの改造は出来ても、オリジナル作品はとうとう1作しかできなかった。当時、市販のゲームでもBASICで作られたものが多く、このプログラムの改造にはかなり熱中し、改造してはテストプレイしで、時間が知らないうちに過ぎてしまうという体験をした。「はるみのゲームライブラリー」と「走れ!TINY君」には多くのBASICのゲームが収録されてあって、自分の思ったように改造できた時は感動ものであった。はるみのゲームライブラリーの中ではペイントマンが秀作で夢中になった。このプログラムの入力間違いがないかを見るために、感熱式のプリンタも買ったがすぐ文字が消えるという代物だった。この当時、本格的に勉強して、ヒットゲームでも出せていたら大金持ちになれていたかも‥。そういうレベルのソフトしかなかった。
当時、子供だましのようなゲームソフトの多い中で、本格的なソフトが出始めた。それがアスキー社のAXシリーズ(東大生が作っているという話だった)であり、その中で最高だったのは「オリオン」という3Dのシュ−テイングゲームで夢中になった。また、「セブンバイブル」というゲームも秀作の一つである。アスキー社からはその後、SXシリーズ(シミュレーションゲーム)が出て、その中にPC−6001のゲームでの最高傑作「ドイツアフリカ軍団」があった。その他、スターコマンドΣ、ピラミッド、トリックボーイ、ミッドウエイ海戦など楽しめるゲームが非常に多く夢中になった。
2代目 PC−6001MKU
PC−6001を購入して、約1年後に、PC−6001MKUという後継機がでた。初めて見たのは東京に出張した際立ち寄った秋葉原の家電店である。16色表示、音楽のほかしゃべれて、漢字表示もできる(即ちワープロになる)というすごい機能を盛り込んでいた上、キーボードが本格的なものになって、やっとパソコンらしくなったので、どちらかというと外見で買い替えた。しかし、機能を盛り込み過ぎたのか、処理速度が前機種より遅いのにはがっかりした。しかし、このP6MKUは名機であり、多くのソフトがでた。ゲームでは、プラズマライン、ガールジャック、ザ・キャッスルなどがおもしろかった。そして、この時代、前述の「ドイツアフリカ軍団」や「信長の野望」というシミュレーション系のゲームが出てのめり込んでしまう。
ワープロソフト(ユーカラJJ)も出て買ったが、単漢変換というしろもので、非常に効率が悪かった。しかし、自分のパソコンがワープロに使えるというのは、それなりの感動があった。
当初はテレビにつないでいたが、途中から専用デイスプレイ(TV兼用)やフロッピイデイスク装置(5インチ)などの周辺機器もかなり追加購入した。デジタイザなどはほとんど実用にならない代物であった。フロッピイデイスク装置も当時は相当高かったが、読み書きの早さには驚かされ、一時はテープ版のソフトを何とかフロッピイに落とすという作業に夢中になった。しかし、機械語を使ったソフトはなかなかフロッピイには落とせなかった。その後、6601という3.5インチFD装置のついた機種がでたが、その前にフロッピイデイスク装置(5インチ)を買ったばかりだったので、購入するか迷って結局買わなかったが、買っておけばよかった機種である。
次のMKUSRを購入した際、PC−6001MKUは弟に譲って、弟家族はこれでかなり遊んだらしいが、今は廃棄されてない。
3代目 PC−6001MKUSR
その後、NECはPC−6001MKUSRという、専用デイスプレイが必要な(ビデオ端子に接続するためには別売りのアダプターが必要というつまらないところでコストを節約しようとした)訳の分からない新機種を出して失敗し、MSXへも仕様を引継ごうとしたらしいが、これも受け入れられず、PC−6001シリーズは途絶えてしまう。昭和61年10月、そのSRが福井のスーパーで何と15,000円という価格で投げ売りされていたので購入したが、SR専用のソフトはついに出なかったと思う。
そのうち、PC−6001シリーズのソフトは出なくなって、しばらく、淋しい思いをした。PCー88シリーズでは、「信長の野望−全国版」が発売になり、このゲームをしたいために、88を購入しようかと随分迷い、カタログも集めたが、高価なこともあって88シリーズへは移行しなかった。これは正解だった。同ソフトは安価なMSXで遊べるようになったのだから…。
このP6シリーズでは、PC−6001MKUSRの本体は動作可能であるが、平成27年10月、専用モニターが作動しなくなり、とうとう利用出来なくなった。ビデオ端子に接続できるアダプターを購入しなかったことは致命傷になった。平成28年10月に本体、周辺機器、ソフト一式を廃棄した。
MSXシリーズ
4代目 パナソニックFS−A1
昭和62年6月、MSX2でゲーム「大戦略」が出来ること、高価なPCー88シリーズでしかできなかったあこがれの「信長の野望−全国版」もMSX版が近々発売されると聞いて、MSX2のパナソニックFS−A1(27,000円という低価格だったこともあって)を購入した。この機種でのソフト供給はカートリッジだけである。
5代目 ソニーHB−F1XD
約半年後(11月)にフロッピイデイスク装置付きのソニーHB−F1XDが出ると、ソフトがフロッピイデイスクで利用できるので、これに買い替えた。この際、リンクスの通信アダプターが無料プレゼントされたことから、パソコン通信に加入、ソフトをダウンロードでも入手できるようになった。
MSXファン(途中からフロッピイ付きになった)やMSXマガジンという雑誌もほぼ毎月買っていた。ゲームパソコンは、この頃が絶頂期であったかもしれない。 MSX2では、主としてシミュレーション系のゲームを楽しんだ。その中での最高は、「三國志」という光栄のゲームで、何度か夜を徹して遊んだ。次いでは、マスターオブモンスタ−か。その他、信長の野望−全国版−、スーパー大戦略、ライトニングバッカス、T・D・Fなど。
この機種は次のA1−WXを購入した際、「麻雀悟空」という麻雀ソフトと共に、父に譲ったのだが、父はこのゲームのお陰で長生きが出来たという話をしている。平成29年9月、キーが動かなくなって廃棄処分となった。
6代目 パナソニックA1−WX
昭和63年11月18日、MSXはMSX2+という新機種になり、この自然画モードは画期的なものだった。ワープロソフト内蔵のパナソニックA1−WXを購入。これも歴史に残る名機である。BASICモードで"OUT &H41,154"と入力(リターン)すると、少しスピードが上がるという裏技もあった。しかし時代は、加速度的に高速化に向かっていて、8ビットパソコンでは対応できなかったのである。平成2年、MSXもturboRという中途半端な16ビット機を出すが失敗し、MSX3の発売が待たれたが、ついにそれは幻となり、MSXの歴史も閉じることになる。このMSXシリーズでは、パナソニックA1−WXが現在でも動くが、FD装置は何度も修理したものの現在では作動せず、カートリッジのソフトなら確実に作動する。これも専用モニターは壊れたが、ビデオ端子接続が出来るので、普通のTVへ接続してなら遊ぶことが出来る。
MSXのソフトはあるがMSXパソコン本体が壊れた人に朗報がある。MSXマガジン永久保存版という雑誌を買えば、MSXPLAYerが入ったCD−ROMがついている。このMSXPLAYerというソフトはエミュレータとして、Windows上でなんと、MSXのフロッピィが読み込めて、ゲームができるのである。
EPSON機
7代目 EPSON PC−CLUB
その当時、どちらかというと、パナソニックのMSXturboRの新機種を購入する気でいたが、発売が延期、延期となり、そのうちエプソンからNEC98シリーズの超廉価版であるPC−CLUB(286C)という機種が発売になった。平成2年11月、価格差があまりないことから、EPSON PC−CLUB(286C)を購入、ついに98派へ乗り換えた。
これは結果からみると正解であった。その後、MSXのソフトはほとんど発売されず、98の全盛期になったからである。しかし、超廉価版だけあってしばらく使うと、16ビット80286の10MHzというCPUのスピードに若干の不満を持つようになった。ハードデイスクも購入して、相当、MS−DOSの勉強をした。BASICを中途半端にかじっていたものだから、MS−DOSはなかなか理解しにくかったし、使い勝手も悪かった。
98シリーズには、提督の決断、キャンペン版大戦略U、マスターオブモンスタ−Uと多くのシミュレーション系のゲームがあった。多くのフリーソフトも入手したが、昔ほど夢中になれるソフトは少なかったように思う。また、98はかつて、ビジネス用パソコンと言われただけあって、ワープロ、データベース、表計算等の実用ソフトも多く購入したが、ワープロ以外あまり使いこなしていなかった。
Windows搭載機
11代目 COMPAQ PRESARIO124512代目 COMPAQ PRESARIO12XL123
平成12年7月、デスクトップパソコンPC−9821Xa10が故障したため、COMPAQのPRESARIO12XL123を147,999円(税別)で緊急購入した。前のCOMPAQより価格は安く性能は向上、CPUはAMD−K6−2(500MHz)、13インチHPAカラー液晶画面、メモリは64Mバイト、内臓ハードデイスクは6Gバイト、CD−ROMドライブ最大24倍速、内臓FAXモデム56kbpsというスペックで、OSはWindows98セカンドエディションである。しかし、HPAカラー液晶はスピード感のあるゲームは残像が残って少し見づらいところがあり、外部モニターへも接続できるはずであるが、従来から持っているソニーの外部モニターには表示が出来ないという問題が生じていた。このことに少し不満をもっていたところCOMPAQから再び画期的なノートパソコンが販売になった。そんな話をしていたらPRESARIO12XL123を7万円で買ってくれる人がいたので売却した。
14代目 シャープ メビウスPC-CB1-M5
平成14年4月、LAN接続のインターネットを導入した際、インターネット専用にシャープのメビウスPC-CB1-M5を131,096(税込)で購入。CPUはAMDDuron(850MHz)、12.1インチTFTカラー液晶画面、メモリは128Mバイト、内臓ハードデイスクは20Gバイト、CD−ROMドライブ最大24倍速というスペックで、OSはWindowsXPである。新しい機種を買ったので姪に譲った。平成15年4月、ヒューレット・パッカード社製の多機能(スキャナー、コピー機能付き )カラープリンタ(いわゆる複合機)を購入。これが、2万円以下とかつてならとても信じられない価格である。デフレを実感した。
15代目 シャープ メビウスPC-SV1-7DD
平成16年1月にシャープのメビウスPC-SV1-7DDを購入。ノートパソコン上でTVが見れ、それをハードディスクに録画でき、さらにCDはもちろんDVDにも記録できるという優れものである。また15型高輝度ピュアクリーンTFT液晶なので、画面も非常に綺麗であった。故障した後、迷って時間を空けて修理に出そうとしたが、もう修理部品はないだろうと言われ諦めた。
16代目と17代目
会社で購入した、社長用のデスクトップ型のNECのPC-VR500BD1Jと、従業員用のノート型のSONYのバイオVGN-FE31B。デスクトップ型のNECのPC-VR500BD1Jは甥に譲り、バイオは現在も動作可能で、ホームページ作成に活用している。
会社では2台の複合機(エプソン、ブラザーMFC-840CLN)を購入し、ブラザーMFC-840CLNはデザイン的にも機能的(電話・FAX付)にも非常に気にいっていたが、平成26年8月に動かなくなり、修理も出来ないということで、複合機ブラザーDCP-J952Nを購入した。
18代目 東芝 ダイナブックPT45333LSXW
平成26年2月、WindowsXPのサービス期間が4月に切れインターネット環境が危機になると脅されて、Windows8.1搭載機の東芝ダイナブックPT45333LSXWを購入した。前年11月に発売されていた「大戦略大東亜興亡史3」が前の機種では作動しなかったので、買い時ではあった。平成28年6月、OSをWindows10に無償アップグレードした。Windowsを次々更新すると速度が極端に遅くなり、初期化も出来なかったので、令和6年8月、廃棄処分した。
19代目 ASUS E210MA-GJ001B
令和4年3月、前機種が遅くなっていたのと、29,800円と余りにも安価だったので購入した。速度も速く十分満足している。このパソコンは無線LANにしか対応していなかったので、Wi−Fi環境を整えた。するとTVでもユーチューブが見れるようになるという副効果もあった。同年6月、OSをWindows10(Sモード)からWindows11に無償アップグレードした。
現在、2台のノートパソコンを24インチTV(HDMI端子等)に接続して使用している。
現在使用中のパソコン仕様一覧 |
機種 | パナソニックA1WX | ソニー VGN-FE31B | ASUS E210MA-GJ001B | |
購入年月 | 昭和 63 年 11月 | 平成18年10月 | 令和 4 年 3 月 | |
ディスプレイ | 外部接続 | 15.4型ワイドTFTカラー液晶 | 11.6型TFTカラー液晶 | |
プロセッサ | Z80A相当8ビット4MHz | インテルセレロン1.73GHzCPU | インテルセレロン2.80GHzCPU | |
メインメモリ | 64KB | 512MB | 4GB | |
キャッシュメモリ | 不明 | 1次64KB/2次1MB | 不明 | |
最大表示 | 512×212ドット 256×192ドット256色 |
1280×800ドット 1619万色 |
1366×768ドット 1920×1080ドット(外部) |
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ハードデイスク | なし | 80GB | eMMC 64GB | |
DVDドライブ | なし | DVDスパーマルチドライブ | 外付 | |
FDDドライブ | 内臓 | 外付 | 外付 | |
通信機能 | 外付 | LAN100BASE-TX/ 10BASE-T |
無線LAN | |
OS | MSX2+ | WindowsXP | Windows11 |
楽しめるゲーム
私がゲームソフトでの秀作と思うのは、システムソフトの「大戦略シリーズ」と光栄の「三国志シリーズ」である。大戦略シリーズの太平洋戦争版である「大戦略大東亜興亡史2」は楽しめるいいゲームだが、個人的には改善したいところが一杯あり、私に力があればプロデュースしたい気持ちだった。その後、「大戦略大東亜興亡史3」が発売され、画像処理はよくなったが、ゲームとしては「2」の方が楽しめる。パソコン版のゲームはこれが最後かもしれない。
三国志シリーズでは、Windows用に復活した「三国志リターンズ」が一番気軽で楽しめる。このソフトは今はもう販売されていないのでCDROMが壊れないか心配している。三国志シリーズの最新版はシステムが複雑になりすぎて遊びにくい。
また、光栄から発売されている「鋼鉄の咆哮」及び「鋼鉄の咆哮2」も楽しく長く遊べる秀作である。この「鋼鉄の咆哮2」に「エキストラキット」なるものが新発売になり、また長く楽しめるようになった。平成15年12月10日、最終エリアでも勝利し、ノーマル(イージィ、ハードという選択もある)で、132面の完全制覇を達成した。平成15年7月、続編の「鋼鉄の咆哮3」も発売された。
今は、パソコンのネット上でマイクロソフトのソリティアコレクションとスマホでガボールパッチゲームを毎日楽しんでいる。